「どうして分からないの?」から「どうやったら分かってもらえるかな?」
これは県内でTEACCHプログラムを共に学んでいる臨床心理士のIさんが教えてくれたもので、私がティーチみやぎの教室での勉強会に参加した方々に必ずお伝えしている言葉である。スペクトラムの子どもへの指示が上手く伝わらない時、大人は「分かってよ!」「何で分からないの?」「こんなことも分からないの?」「どうして分からないの?」と、子ども達を責め立ててしまうことが多い。 たとえ責めなくても、「だめなことはだめなんだ!」「とにかくってもらうよ!」「ここではこれをやるぞ!」と言い、大人にとって正しいと思う行動を強制してはいないだろうか。 私たちがごく普通に言っている「○○して!」「○○したら○○やるよ!」「みんなと同じようにやって!」「やることわかっているだろう・・・」「何回同じこと言わせるの!」等はスペクトラムの子どもにとって分かりづらいものだろう。たとえ責めなくても、「何で分かってくれないの・・・」「こまったなあ・・・」と思い、その子ができないことをその子のせいにしていないだろうか?
そんな時「どうして分からないの?」から「どうやったら分かってもらえるのかな?」という発想の切り替えは、大人の側にとって180度の転換ではなかろうか? つまり指示が分からないのは子どものせいではなく、大人の指示が悪いのだと考える。これは「TEACCHは自閉症の示す不適応を、本人ではなく、周りにる私たちが引き起こしているのだ、と考える」という言葉に通じるものであろう。私たち大人には、どうやったら分かってもらえるかな? どういう手立てをしたら納得してもらえるかな?という謙虚な気持ちでスペクトラムの子ども達に接し、いろいろな工夫を凝らし、視覚的な支援を試みることが大切ではないだろうか?