お腹壊した。。(´д`lll)


今日は一日中トイレとお友達でした。



おそらく、昨日食べた刺身に当たったんでしょう。


賞味期限が切れていたわけではありません。


単に、私のお腹の消化能力が低いだけです。


生ものを食べるときはいつも命がけです。


サバイバルです。


いけると思ったんだけどなー


過信は禁物ですね。




話は変わりますが、


最近、ふと考えることがあるのです。


それは、


「なんとなく直観で」生きるのがよいのか


「しっかり考えて」生きるのがよいのか


つまりは


「感じる」ということと


「考える」ということは


物事を判断する上で


どちらが優れているかということです。



一般的に言えば、


しっかり考え、合理的で具体的な判断を行っていくこと


安全であり、着実であるので、


良いことであると考えられています。


しかし、


私たち人間は本当に大切な判断というものを


直観的に、反射的に行っていることが多いような気がします。


例えば人命救助の場面で


よく「気づいたら彼を助けに入っていた」だとか


「無我夢中で彼女を助けていた」だとか


そういう言葉を聞くことがあります。


また、一流のスポーツ選手は考えるというよりは


感じる、いわば自らのセンスを信じ、


プレーを行うことで素晴らしい能力を発揮している


という話を聞いたことがあります。



このようなことから


私は、感じる方が物事を決断する上で優れているのではないかと考えています。


というか


「よく考える」って一体何をそんなに考えているかと言うと

「失敗したときの言い訳」を考えているんじゃないでしょうか


本当は、本能的に、直観的にすでに判断を行っている。


でも、やはりその決断には後ろ盾がほしい

その決断によって失敗や後悔をしたとき

納得できる具体的な理由がほしい


そうすれば安心できるんですよね


しかし、そうやっていくうちに

時間がーとか

お金がーとか

誰かがーとか


そういうふうに、

本当の自分のやりたいことから、

自分におけるもっともよい決断から

どんどん遠ざかっていくんじゃないでしょうか?





とはいったものの


やはり、「なんとなーく」で生きてたら

「なんとなーく」死んじゃうと思います。


だから

「なんとなーく感じる」

のではなく

「しっかり感じる」


でも、大体の計画や計算を考えることは何かを実現するために必要だと思います。


なので

「しっかり考える」

のではなく、

「なんとなーく考える」




ってことでいいのか?



まあ、いいや




・結論


頭でなんとなーく考えて


心でしっかり感じて決断しながら


生きていけばいい






へぇへぇいーへぇーい!


へぇへぇいー平日




平日という言葉をつけただけで


何とも楽しげだった「へぇへぇい」という言葉が


一瞬にして


悪意を帯びているかのように感じるのはなぜでしょうか




それが


平日だからです。



「平」たい「日」々。


そう、それが平日です。




今日は朝の9時から大学に行ってきました。


何をしにいったのかというと


私が所属する研究室の教授が担当する、実習の手伝いに行ってきました。


手伝いというか、雑用です。


物を運んだり、掃除をしたり、配布用プリントを印刷したり


分からないところの質問を受けたり。



大学院に行けば、このような実習の手伝いにはお金が発生するらしいんですが、


学部生の私はその手伝いの「見習い研修」としてただで働いております。(今日が二回目ですが)


まぁ、基本的に座っているでけなんで


ただでもなんでも


気にはしていません。




その手伝いの中で久しぶりに教授と話しました。



教授:「○○(私)君、研究の方は進んでるかい?」


私:「いいえ。あんまり進んでいません。」


教授:「そうか。どのくらいまで出来た?」


私:「えーと、●●がやっと理解出来たくらいです」


教授:「んーあんまり進んでないな。まぁ最悪出来なくてもいいから。

     うちの学科は「卒論」って書いてある紙の束を出して、

    なんとなくパワポ作って発表すれば何とかなるから」



え!


なにそれ!



いや、確かに卒論は進んでないけどさ


そんなんでいいの!?



てか、私は大学院に進学する予定なんだけどなー


不安すぎる!



そんな不安に押しつぶされて


午後から研究室に籠って

画像処理の勉強をするはずでしたが



おうちに帰宅しました・°・(ノД`)・°・



はい、豆腐メンタルです。


根性なんてものは


根っこのない私にはありません。



なんかなー



どうしてこう

なのもかも中途半端なんだろう


何事にも本気になれない。


面白いなと思ったことがあっても


すぐに飽きる。


やらなくなる。


私の特技はーとか

私の趣味はーとか

私は「こうだ!」ってものがない




はぁ。(´д`lll) ーー






ひぃーー


ふぅーー


へぇー


ふぅーーー(バイキンマン)





まぁ


なんくるないさ(沖縄)!





    



*今回は、非常に個人的な妄想です。





うーーーー♪



翼の折れたエンジェル



あーいつーもー♪



翼の折れたエンジェル





みんな翔べないエーンジェール♪



ご存じのとおり


中村あゆみさんの名曲「翼の折れたエンジェル」


ふとこの曲が頭の中で再生されました。



そこで思ったのですが


翼の折れたエンジェルは


ハネのない扇風機をどう思うのでしょうか?



I am モラトリアム?~夢は布団の中でしか見たことない~




「翼の折れた」エンジェルとは


歌詞の内容から推測すると、



エンジェルとしてのアイデンティティを失くした


エンジェルではない「他の何か」ということになります。



そこには崇高な、自由に空を飛ぶエンジェルから


「他の何か」になり下がってしまったという現状に対する


絶望感や遺憾の念が存在すると考えられ、



また、もう一度エンジェルになる日を、


エンジェルとしての本質である「飛ぶ」ということを実現する日を、


夢見ながら、「他の何か」として生きていると考えられます。



つまり、


「翼がほしい」わけです。

もっといえば、

「翼がなければ自分は自分でない」


「翼があってこそ本来の自分として、本来の場所へ羽ばたけるのだ」


と思っているだろと考えられます。





そんな「翼の折れたエンジェル」が


「ハネのない扇風機」と出会った場合、どう思うのでしょうか?





「ハネのない扇風機」も

「翼の折れたエンジェル」同様


自らのアイデンティティとも呼べる「ハネ」を取り除かれ


従来の扇風機ではない「他の何か」に変えられてしまっているのです。



しかし、


「ハネのない扇風機」は


自分自身の扇風機としての


本質を見失ってはいません。


彼はハネはなくとも、扇風機として


一生懸命みんなのために、風を送り込んでいるのです。


彼は決して、「自分とはこうでなければならない」という

固定概念に執着することなく、


「今自分に出来る風の起こし方は何であるのか」


自ら探求し、それを実現させているのです。




私は「翼の折れたエンジェル」は


このように、運命を素直に受け止め、


自らが出来る最大限のことを可能な限り考えて実現していく


「ハネのない扇風機」の生き方をみて


きっと改心することだろうと思います。


自由に空を飛ぶ方法などいくらでもある。


まずは、止まっていた歩を進めることにしようと。






生きていくことは失っていくことです。


私たちはこの瞬間にも大切ななにかを


失っているんじゃないでしょうか。




愛する人と過ごせる時間とか


夢を叶えるための翼だとか


すばらしかったあの日の景色とか。



でも、失うことは悪いことばかりではありません。


辛い記憶とか


嫌な自分だとか


未来に対する不安とか


これらもいずれすべて失っていけます。



だから


失った分だけ考えていきましょう


失った分だけ進んでやりましょう



人生の価値はどれだけ失ったかで決まると思います。



-END-





なんだこれ!


暇すぎて臭いポエムみたいになっちまったぜ気持ち悪い!


私が失っているのは自らの本質ですけどね(´・ω・`)


つまり、「自分を見失っている」ってことです。















今日は日曜日なんです。


そうです。休日です。



さーて


何をしようかなー



んー



んー



んーーーーーーーーーーー




寝よう!





(´・ω・`)




やることがない!



友達と遊びに行く気力がない。


そもそも


友達がいない。



趣味に没頭する気力がない。


そもそも


趣味なんてない。



THE無気力!



なーんかもったいない( ・д・)/--=≡(((卍


とか思いつつ


日曜日はいつも


アニメを見て


ボーとして


寝て


食って


寝て


風呂入って


寝る感じです。



何という無味乾燥なSUNDAY!(ノω・、)





てか、普通の大学生ってどんな生活してるんだろう?



私も大学入学当初は


サークルを3つ掛け持ちして


バイトして


勉強にも真面目に取り組んでたから



友達いっぱいいて


休日はアクティブにいろいろとこなしてたのになー



いつしか


ひきこもりニートになり(*大学は辞めていません)、


サークルも辞め


バイトも辞め


勉強も辞め


友達もいなくなり


ぼっちになり


無気力の権化と化してしまいました。



というのは、ちょっとオーバー



友達はいるにはいます。


でも、なーんか疎外感というか、温度差というか


そういうものを感じます。


というのも、


私の友達はほとんど教師を目指しているので


とてつもなくやる気に満ち溢れています。


やる気の木から生えてきたような奴ばっかりです。


目をキラキラさせて


今の教育はーとか


子供たちに必要なことはーとか


語ってきます。



いやもう、


そいつらといるときの劣等感と言ったら


屈辱感に近いものがあります。



なので、基本的にぼっちです。


精神的にぼっちです。



自分の友達のように


アホみたいに目をキラキラさせて自分の夢なんかを語れたらなーとか

思う日々です。


てか、実を言うと私も、大昔に教師を夢見たことがありました。


でも結局、コミ障で人みしりだったし


メンタル強度が豆腐並だし、


集団での存在感のなさは群を抜いてましたから


向いてないとあきらめました。



実はまだその夢を諦めきれずに


引きずってるなんてことあるわけないようなーと


ずっと思っていました。


しかし最近、よくそれを寝て見る夢に見ます。


それがどういう意味なのか私にはわかりません。




夢のお告げか!


いやいやそんなわけない



んーどうなんだろう?







んー




んーーーー





とりあえず、寝よう!(`・ω・´)







私の所属する研究室はとてつもなく放任主義です。





基本的に自由です。





フリーダムです。








実際、工学系の研究室となると





教授から出される課題や実験の手伝いなんかで





大忙し





帰宅午前2時とかありえるらしいんですが、








私の研究室は





課題や研究テーマは自分で探しなさい





いつ来てもいいし、むしろ来なくてもいいよ





来るか来ないかはあなた次第(`・ω・´)(都市伝説)





てな感じで、





その研究室に所属する学生は全員、





工学に対する興味関心など、




童貞と一緒に捨ててきたような人たちばかりです。





担当教授も、いったい何をやっているのかさっぱり分からないというか、





なぜこの学部でこの研究をしているのか疑問に思うようなことを研究しています。


しかし、やる気がないわけではないようで、一応親身に話を聞いてくれたりします。





私がこの研究室を選んだ理由は一つ。





「楽だと思ったから」





そう、ただそれでけです。





私も、この研究室の他の学生と同じように





工学に対する興味関心などとうになく(童貞は捨てていません)、





なんとなく就活をして





なんとなく就職するつもりでした。






しかし、こんなふうに





なんとなくで社会に出て


なんとなく稼いで、


なんとなく結婚して


なんとなく死んでいくことが





とてつもなく怖くなったのです。





また、こんな自分が社会でやっていけるはずがないと思ったのです。





そんなわけで、大学院進学を目指したのです。








なんと、後ろ向きというか、前を見てないというか





子供じみた短絡的な決断だと自分でも情けないと思っています。











しかし、私はその道しか選べませんでした。








大学院に進学しても、


今所属している研究室のまま研究を続けていくことになります。





そうなると、


自分自身で研究成果を出して行くために


超人的な自立心


研究意欲が必要となるわけですが、





私にはそれが見当たらないわけです





今はそのことがとぉぉっても不安です。・°・(ノД`)・°・





なんか、いろいろと選択を間違っているような気がして





でも、それ以外にないような気がして。














まあ、選んじゃったものは仕方ないですな(・∀・)








昔、じいちゃんが言ってました


「ムダムダのダムはアイディアを発電するとても大切なものやねん」





その当時は、「はぁ?何言ってんねんこのボケ爺」





と思って聞いてましたが、




なんだか今は、その言葉が的を得ているような気がします。








その言葉を信じてムダムダしていこうかな。








はぁーこんなんでええんかな?。(´д`lll)