「ブッタが尻をぶった」

こんな
バナナを一瞬で鈍器なみの硬さに変えてしまうような、激さむギャグを思いつくほど今の私は時間を持て余しているのです

暇を持て余すということは、
このようにしょうもない雑念を数々生みだしてしまうということであり、
日々忙しく何かに精進することが
人として真っ当に生きる一つの手段であります。

私のようなあまり働く気の無い高等遊民が
「準ニート」
として世間から忌み嫌われるのは、
そうした精進する姿勢の無さに原因があるのだと思います。


しかし、「日々精進していく」という言葉はよく耳にしますが、一体なにをすればよいのでしょうか?


ブッタ(仏様)は正しい精進(=努力)の仕方を次のように説いております。

1.今までやって来た悪いことを辞める精進
2.今からやろうとしている悪いことをやらない精進
3.今までやって来た良いことを成し遂げる精進
4.今までやったことのない良いことをやり始める精進


つまり、
・自分のダメなとこを治す努力
・人としてやってはいけないことをやらない努力
・自分の良いところを伸ばす努力
・この世界にとってプラスになることを積極的にやろうとする努力


これらを正しい精進としているのです。


「誰かを押しのけて一番になる努力」

「金欲や性欲などの欲望を満たすための努力」

などはブッタ的にはアウトなのです。

そんなことしてたら尻をブッタれるのです。

そんなことしてたら尻をブッタれるのです。


大事なことなので②回言いました。


くだらないギャグはその辺しておいて

私も正しく努力をして
お金持ちになり、高い地位に上りつめ、幸せな家庭を築きたいです。

はい、言ってるそばから欲まみれ下衆な今日この頃。
努力って難しいや。








大学院生活が始まりはや二ヵ月

私が今思うことは一つ、


「高校生からやり直したい」


そう、ただこれだけである。


しかし、こう思えるようになったのは自分が研究に対して真面目に向き合いたいと考えるようになったからである。
つまり、
「研究をしてみたい」
と思い始めたのだ。

なぜそんなことを思い始めたのか

それは、さまざまな理由が絡んでおり的確にかつ具体的に説明するのは
いささか難しいことではあるが、端的に言うと

それが私の夢であると気づいたからだ。

大学院という環境に身を置くことで、私がとても昔に諦めたが、
いまだ心の奥底に秘めていた
「研究者」になるという夢が掘り起こされたのである。


しかし、問題は私が高校生の時から今まで勉強というものをほとんどしてこなかったことである。

恥ずかしながら私の高校時代の成績は全国の同学年の高校生の最下層であったと言っても過言ではない。
ある教科で偏差値23という驚異的な数字をたたき出したことがある。

そして、大学に入学してからもほとんど勉強せず、遊んでばかりいた。
唯一誇れることがあるとすれば、大学二年生から三年生へと進級するために必要な単位を取得できず、留年がほぼ確定であったが、
学部で一番偉い教授に土下座する勢いで進級を頼みこみ、見事に進級し
不可能とされていた大学卒業を果たしたことだろう。





もし今、目の前に未来から来たネコ型ロボットなるものが現れれば、
すぐさまタイムマシーンを出してもらい高校時代に戻り、自らのための勉強、いや主体的な学習に取り組むであろう。

だが、残念ながらそんなことは起こり得ない。

私たちにあるのは

生まれてから今までの記憶と
今から死ぬまでの未来だけである。

私たちはどれだけ後悔しても
自分の人生を今日から死ぬまでしか変えることはできない。

いや、そんな否定的な表現はやめよう。
今日から死ぬまでは自分の人生に何かしらの変化を起こすことができる。


高校時代勉強しなかったがために三流大学に通った事実は変わらない。
大学で勉強しなかったがために専門的な知識を習得しなかった事実は変わらない。

しかし、だからと言ってこれからの自分がそれらの影響を受けるかどうかは、
結局のところほとんど自分の意志次第なのではないだろうか。





目標が達成できるかどうかは別として
私は今から内心に不安を抱きながら
しかし、ワクワクを忘れずに
これからやっていきたいと思う。










最近、ブログの方向性が定まっていない。
あんまり書くことがない。
というのも、春は決まって頭の中がお花畑モードになっていて日中は基本的に何も考えずボーとしている。
ここでいうお花畑モードとは自分の頭の中にお花畑を再現し、そこで永遠と花の香りと風の匂いを妄想するやや痛々しい行為を行うモードである。

そんなんだから、新しい発見や自分の思うことなんか全く出てこない。

しっかりしろ私

そんな風に自らを鼓舞してやる気を出そうか出さまいか迷っていたところ、
指導教授から研究の大まかな計画書を書いて提出するように指示された。
研究の計画を立てたいのは山々なのだが、正直私の専門知識は研究を行えるレベルにまだ達していない。
卒業研究は半ば無理やり分かっているふりをして完成させたが修士論文となるとそんなことは許されない。
だから、まずは基礎的な知識を勉強しようと考えてマッタリしていた。

つまり、今の状態で計画書を書くのは少し無理がある。
しかし、そんなことは言ってられない。提出期限は来週の月曜日なのである。
とりあえず、教授と相談して今あるなんとなくな目標を使って計画していこうと思う。



そろそろモードを切り替えて真剣にやっていきたいと思いつつ、ひたすらアニメを見続ける今日この頃。

とうとう新学期が始まった。
春休みにモチベーションが下がってからというもの、家でずっとごろごろしていたため
学内を歩くだけでひざが痛くなるという貧弱極まりない身体になっていた。
これでも、高校時代は運動部に所属し、大学でもフットサルに打ち込んでいたのだが体力というものは非常に簡単に落ちていくものである。
脂肪も一緒に落ちてはくれないかと思うのだが、世の中そんなに甘くはない。

今日は大学院の各講義のオリエンテーションに行った。
大学院の講義とは一体どんなものだろうかと胸ふくらませて行ったのだが、
最初に思ったことは
「レベル高っ!」
である。
いや、実際そんなに高くはないのだ。
圧倒的に私のレベルが低いのである。
私は学部時代最低限卒業に必要な科目しかとらなかった。
したがって、ほとんどの分野に関して一般人に産毛が生えた程度なのである。

オリエンテーションで説明された講義内容の3%くらいしか分からなかった。
これはまずい。
いくらアホな私でも久々に危機感を覚えた。

学んだことのないことは出来はしないと諦めれればそれでいいのだが
そんなことは言ってられないのである。

そもそも、学ぶということは誰かにやってもらうことではなく
自分でやることである。

義務教育の鋳型に押し込められ、国を潤す家畜の資質能力を開発された私のような者にとって
「学ぶ」ことは「学ばされること」としてしまうことがある。
しかし、それでは一生自由を奪われながら生きていくことになる。
現に今新しいことを学ぶ自由を奪われつつあった。


話がそれたが、
理由はどうであれ私は大学院に進学したのである。
今の自分のレベルは恐ろしいほど低いが
それがどうということはない
まだまだ、学べるチャンスがあると思って
一つ一つやっていこうと思う。



今日はこれから大学院卒業までの大まかな計画を立てました。

私の大学院進学の目的は概ねモラトリアムの延長なのですが、

さすがにそんな目的では高度な学問を追求することが目的である大学院という場所で
サバイブしていくことは不可能であると気づいたので

大まかな二年間の研究目標を立てました。

まず、一年目は研究を行うための基礎知識、技術を習得します。
情報系なのでプログラム言語の習得や簡単なアプリケーションの作成などに取り組みます。

そして、二年目はその基礎知識、技術を使って本格的な研究を行います。
一応、一年目に先行研究の論文を読み、そこで得た材料をもとになにかしらを作っていこうと考えております。(てきとう)



しかし、私の研究室の院生の方の話によると就職活動が思いのほか長引いてしまう可能性があり、

そうなると思うように研究が捗らず、結果中途半端なものになりかねないらしいのです。

実際、その院生の方はとてつもなく優秀なのですが就職活動が長引き、結果として自分の思うような研究成果を出すことができなかったようです。

よって、一年目でとりあえず研究の方向性を決めて何かしら取りかかる必要がありそうです。


私の周りの大学院進学予定者は皆大学院での研究テーマをすでに決めています。

内心とても焦りを感じます。

しかしながら、私の場合は担当教授さえも私がやろうとしていることについてあまり知識を持っていないので、迂闊にテーマを決めることは賢い選択であるとは言い難いと考えます。

なので、私は私の出来ることから一つ一つ積み上げていこうと思います。