昭和23年に愛知県立豊橋時習館高等学校に校名変更されました。
その当時の写真の時習2回生は2人だけで、後は全員3年生です。
1回生のチームは大変充実していて、強く県下でも強豪と有名だったそうです。
2:3:5のフォーメーションでポジションチェンジはなく、バックが最前線に攻撃参加することは考えもしなかったし、認められていませんでした。
また台風の直前に試合をやるのかと思ったが、「雨でも風でもやるのがサッカーだ」と言われていたので、迷わず臨んだがボールは常に風下に吹っ飛んで試合にならなかったようです。
自分も雨でも風でも決めたことはやるのがサッカーだと思っていましたが、今は無理があるかもしれません。
昭和27、28年では校庭のあちこちに古びた兵舎が点在していて、この一つを部室としていました。
ボールは修理して使い、雨天時の皮のボールは重く蹴っても蹴っても転がるのみで、こんなボールのヘディングは嫌ですね。
時習11回生の刈谷のグランドでの写真です。
この時でも用具は悪すぎました。
東三河では勝っても、名古屋に行って勝ったことはなかったようです。
太平洋戦争が風雲急を告げ、学校のスポーツも球技全面廃止、国防競技に変わった時代にも、豊中蹴球部から存続を強く願う先輩たちが学校当局と交渉して練習は黙認されました。
しかし、全てが戦争遂行に動員され、伝統ある豊中蹴球部もグランドから消えていきました。
戦争も終わって校名も豊橋時習館高校と変更になった時代のサッカー部は用具やグランドは悪いながらも、豊中蹴球部の思いを引き継いでサッカーにかける情熱は消えることもなく、我々に残してくれたことに今感激しています。





