自分は第9代監督として時習館サッカー部に1990年に赴任しました。
その時の2年生には高校トレセンで教えていた選手たちもいて、素質のあるメンバーに新1年生を迎えて時習館サッカー部を指導することになりました。
その時の2年生は時習館44回生でキャプテンがその当時のことを「サッカー部に寄せる思い」に書いてくれています。
「それ以前のサッカー部は、練習といえばシュート練習が中心で、1年生はその球拾いをして終わるという日もあり、とてもじゃないですが、これで強くなるとは到底思えない状況でした。
その頃強かったのが、金田先生が指導していた豊橋南高校であり、その先生が時習館サッカー部の顧問になるということで、強くなれるという期待と練習が厳しくなるかもという不安を抱え、戸惑いながら先生を迎えたことを覚えています」
期待と不安が入り混じっていたのは自分も同じでした。
しかし、母校の監督になったからには勝つことを意識して時習館サッカー部の名を挙げ、選手と一緒に喜び、サッカーを好きになって欲しいと思っていました。
まずは当たり前ですが「挨拶」がしっかりできることは人としての常識だと思って徹底しました。
またグランド状況が悪く怪我の心配もあり、自分たちの使うグランドは自分たちで整備することから練習は始まるということも教え、サッカーに取り組む姿勢を正しました。
それまで練習試合も東三河中心だったのを名古屋や浜松まで対戦校を増やしました。
練習試合についてもキャプテンが思い出を書いています。
「以前は練習試合といえば東三河の高校がほとんどだったので、東三河以外の高校のレベルを実感する機会が増えたことで、着実に強くなっていく気がしたものです。
そう言えば日本で働く南米系の方々とも試合をし、テレビで取り上げられたこともありました」
成績は東三河支部大会準優勝、新人戦優勝で県大会出場1回戦敗退でしたが、これからの時習館サッカー部の転機になった年代だったと思います。