こんにちは、うたえみです。
もはやこのブログは止まっているのか?と
思われても仕方ないほどに更新できてなくて…皆さま、お元気ですか?
私は勉強も続けてまして、実践した中から選りすぐりのものをセッションでお伝えする日々を過ごしております。
クライアントさまは自分と向き合う時間にセッションを使っていらっしゃって、
私は(セッションを)「受けてりゃ変化は起こるんでしょ」と人任せにしていた時期が長かったので、
素晴らしいな、かっこいいなと思う気持ちをセッションに全乗せしております٩(ˊᗜˋ*)و
さて、今日のテーマは【静かな怒り】についてです。
私がセッションでお手伝いしているメインが、「どう思っているか・感じているか」の炙り出し。
今、目の前で起こっていることから派生して、実は過去のことがベースにあることも、しばしばあります。
・学生時代にあったこと
・親に言われたこと
・家族の姿から感じ取ったこと
きっかけは山のようにあるとはいえ、相手に感情をぶつけたところでどうにもならない場合、自分なりに解釈して収めることってありますよね。
学びを深める中で、
あのとき「なんでそう思っちゃったんだろう」と思うこともあるかもしれませんが、
そのときの最適解であったというだけなので、否定や自分責めする必要はありません。
また、学びを深めていても、
なかなか感情の始点を見つけられないことの方が多くあります。
自分と・過去と向き合うのもつらいものなので、無意識に心の奥に沈めてしまった感情は、ちょっとやそっとじゃ意識に上がってきません。
もう、それは普通のこととして捉えていいと私は思っています。
そして、その沈めた感情は、案外【怒り】だったりします。
(これが、一次的感情は表面化しないに繋がります。)
普段温厚で、怒ることがほとんどなかったとしても、モヤモヤにさえならずに感情として上がってこない怒りがあったりするものです。
「そんな怒りがあったんだね」と気づかないままでいられればいいのだれど、
心の奥に沈めてしまっていているだけで、消化(消滅)していないがために、同じようなパターンで不快感を抱くことが出てきます。
特定のワードに引っかかったり、
人のとある態度にイライラしたりってことですね。
これって「あの人の言い方」とか「あの人の態度」のように、
誰か特定の人に不快感を抱くように感じるけど、実は、相手が誰であっても不快に感じる可能性が高いんです。
それは、
心の底に沈めた感情や出来事に触れそうになるから。
沈めていた感情を感じることで「本当はどう思っていたか?」を現象が思い出させようとするんですね。
思い出して・感じてもらって終わらせたいと言えば近いかな。
「なんでここに引っかかるのか」
「なんで同じ現象が起こるのか」ってことに苦しくなったら、
未消化の感情を消化してあげるのは、方法の一つです。
不完了の完了とも言いますね。
とはいえ、すぐに沈めた感情を掘り起こす必要はないです。
ガッツリ向き合うのが必須なので、なんとなくや「やればいいんだろうな」と取り組むのは、むしろおススメしません。
不完了の完了って自分と向き合う準備ができてないと、できません。
(もう、断言してもいいくらい。)
準備や覚悟ができてないと、質問されていることが責められているように感じるし、イヤなところに触れられたように感じて、ただただ辛いだけ。
とはいえ、「感情を癒す」「感情を感じきる」等、いろんな言い方で勧められているメソッドであるということは、自分に変化を感じられる方法であるということ。
同じことが起きるとき・現実が足踏み状態だと感じるときには、効果絶大な方法だなと私も思っています。
【不完了の完了】
知識を持ってるのと、実際に体験するのは、まるで違います。
ここらでガッツリ向き合って、心の奥で静かに怒っていることを見つけたい・消したいなと思ったら、セッションで一緒に見つけていきましょうね!
暑い日が続いていますね。
東北とはいえ先月から夜も暑くて、寝ているときにもエアコンをつけているのですが、
すっかり喉がやられてしまいました…
人生で最大の?ガラガラ声で、クライアントさまにも申し訳ない日が続いています。
体は元気なだけに、なんか悔しい!
そんな中、仙台七夕にはハイキューの吹き流しが出てました!
上がバレーボール柄になってて、かわいい♡
体調を崩されないようにご自愛くださいね!
いつもあなたを応援しております☆
ただいまご提供中のセッションはこちらからどうぞ!