プレゼントの再編集 | 勝手に☆とやまの定住コンシェルジュのBlog

プレゼントの再編集

こんな風に、代々の獅子頭が飾ってあった。

今日は、獅子舞の日。そして、今日は私のお誕生日。
 
今年はコロナのせいで獅子舞も家々をまわらすことができず、
せめてもと神社部長のお宅に獅子頭や天狗さんのお面が展示されていた。
 
 ●去年のお獅子の様子
 
↑去年のこの日だけで3本も記事があるって、どんだけ楽しみなんだ!?って話だけど、ほんとにお獅子は格別。
 
動くお獅子が見られないのはちょっと寂しいけれど、
朝のお参りの後に獅子頭を見せてもらい、
朝から何かプレゼントをもらった気分だった。
 
賑々しいイベントはないとしても、
氏神様に感謝や祈りを伝える日であることは変わらない。
 
奈呉町に引っ越して以来、一番静かな獅子舞の日だけど、
こうして、できる形で特別な日を噛み締められることが幸せだなぁと思う。
ありがとう、奈呉町のみなさん。
 
 
こっそり用意してくれた花束
 
いつもなら、開店休業で宴会しつつお獅子を待っている間にサプライズがあるけれど、今は全員リモートワークの日々。
 
オンラインで朝礼の最後は、必ずみんなで事務所の神棚にお参りをしている。
(画面の向こう側のみんなは拍手のタイミングがワンテンポずれるけど)
 
そのお参り直前に、Aちゃんが「大漁旗をはぐってみてください」っていうから、
(今、大漁旗のデザインをしていて(めざせ三河屋的デザイン事務所なんで)、スタッフがリモートワークで社内にいないのをいいことに、参考資料として漁師さんにお借りした大漁旗をみんなのデスクを覆うように飾っていたのです)
 
はぐってみたら、花束とプレゼントが出てきた。
 
こっそり用意してくれた花束と表示。
 
大好きなCOUPさんのシックな花束と、コーヒー。
昨日私が退社した後に、Hちゃんがこっそりセッティングしたらしい(笑)。
 
この表示ケース、コロナ対策用にセッティングしてたやつ。
コピー機や電気のスイッチの定期的なアルコール消毒を促す表示の上に
重ねて「Happy Birthday」の紙を差し込むって(笑)…。
 
でも、大漁旗もコロナ対策表示も、今だけの要素。
その場にあるものや人をうまく工夫して組み合わせて、
今までとは違う効果を生むって、まさに編集の妙じゃないの!素晴らしい。
 
こんな時でも何とかサプライズをしてくれるその気持ちが嬉しかったし、
タイミングや見せ方の作法が、今の気持ちに沿ってて、とても好きだった。
ありがとうね、みんな。
 
 

1日だけのスペシャルトランクショー。

 

夜は、ちょっと早めに帰宅しておいしいワインでも…って思ってたけど、

オンライン会議と作業が長引いてしまいお店も閉まってしまう時間に。

 

はあぁ~…何も特別なものを買えなそうだけど、まぁひとまず帰るか…。

 

と、帰り支度をしてたら、

夫がおもむろに手作りのチケットを手渡してきた。

 

(これ、先月の夫の誕生日に「1日限りのお買物券」

 …金額上限なし、何買ってもよし、ただし私と一緒に選ぶこと

 っていうのを渡したんだけど、完全にパクりじゃないか!)

 

何かと思ったら、

“たった今、ここで開催するメガネのトランクショー”だという。

(ご近所の眼鏡屋さん・太陽堂さんのご協力により)

 

メガネ太陽堂さんHP (ちなみに弊社で制作させていただいております!三河屋!

 

好きなメガネフレームを一緒に選んで、

後日、お店で視力をはかって調整するという仕立て。

 

こういう時期だから、お店に足を向けにくいし、

店内にあるものをベタベタとさわるのも気兼ねだ。

 

「これかけてみたい」というと、

夫がアルコール消毒をしながら、手渡ししてくれる。

 

20分ほどで15本ほど試着して、2本のフレームを選んだ。

基本、即決体質なので、それでもじっくり考えたし楽しめた。

 

時間も他人の目も気にせず、

一緒にメガネを選べるという体験と時間もプレゼントしてくれるなんて、

ありがとうね、夫よ。


 

お誕生日近くにたまたま届いた。お酒と本のプレゼント

 

嬉しいプレゼントと言えば

数日前に、東京に住む友人Iから、先日送った昆布〆のお礼が来た。

 

ブルックリンブルワリーのボトル詰め合わせと、

同じタイミングで届くように別便でやってきた本。

富がえりのレシピでもお世話になった、編集者の和田さんがつくられた本だった)

 

それぞれを開いて、答え合わせするような楽しさがあった。

「伝え方が9割」というベストセラーを書いたのはコピーライターさんだったが、

酒好きの敏腕編集者は、「渡し方」を再編集することで、わくわくさせてくれた。

ありがとうね、Iよ。

 

 

こういう時期だから、お祝いやお祭りの形は変ってしまうが、

祈りや感謝や喜びのもとは、なくならない。すでにそこにある。

 

ただ光が当たってないだけだ。

いや、光に気づいていないだけだ。

 

 

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 しかし、光は闇の中にかがやき、闇は光をおおいつくせない。~(中略)~

 幸福についての教えと常によばれてきたこの教え、すなわち真実の教えは、人々が動物的個我のために求めている欺瞞的な幸福の代りに、そのうちどこかで手に入るかもしれぬなどというのではなく、人々が常に今この場所で、常に手に入り、奪われることのない実際の幸福を現に持っているのだということを示したのである。

 その幸福は、理屈からひねりだしたにすぎぬものでもなければ、どこかで探し求めなければならなぬようなたぐいのものでもなく、いつかどこかで約束された幸福でもない。それは汚れを知らぬ人間の魂のどれもが直接そこへひかれてゆく、人間にもっとものなじみ深い幸福である。

      (トルストイ 『人生論』)

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20年あまり前の学生時代、この本に出会って、私の人生は変わったと思う。
未だ何者にもなれていない自分の存在とそれゆえに救済の目途のたたない自己顕示欲も、
すべては愛と幸せに包まれているから存在するのだ、と。
 
そしてこの世にあるすべての人の存在と営みは、
幸福ゆえに、今ここにある、と。
 
 
365日のすべて、1日1日が残らず、だれかの誕生日や記念日だ。
 
コロナが大流行している今この瞬間だって、
誰かが特別な気持ちで祈りや感謝を捧げ、
今の自分たちができる方法で、祝いや祭りをしているのだろう。
 
制限されているからこそ、捉え方を変え、工夫できる楽しみがある。
それこそが、人間らしい幸せじゃないかと思う。
 
 
もうこの世にはいない両親にも、ありがとう。
 
今年のありがとうには、違う意味もこもってる。
年々厚みが増していくなぁ、気持ちも体も。