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境界線とは何なのか

水辺と道の境界線がいっぱいある内川沿い。
 
写真は、先週、久しぶりに六角堂でディナーする直前に、
内川沿いを散策したときのもの。
 
桜の花がまだ結構あって、上もきれいなんだけど、下もきれいだった頃。
今はもうすっかり葉桜になっちゃいましたが…。
 
久しぶりに散策をして、
川沿いに柵のない内川の魅力を実感したひとときでした。
 
 
●内川の境界線
 
改めて、水辺と陸地の境界線は、たんなる一筋の線ではないんですよね。
 
デザインソフトでイラストマップなどを制作することがままありますが、
 
手に取れる冊子に使うものは、小さい縮尺になってしまうので、
水辺の水色と道の土色(といってもほんとうはアスファルトだけど)くらいでしか境界線を表現できず、
 
もう少し詳細な散策用のサインなどでも、
内川と道の間に、川沿い公園のをせいぜい足すのがいいところ。
 
でも、ほんとうは、この写真みたいに、
水辺から道路までの境界線は、めちゃめちゃ面白いんですよね。
 
内川の水辺
→船の緩衝役としてのタイヤロープ(これを、防舷物(ぼうげんぶつ)というそうだ)
→護岸のコンクリート(上からみるとけっこう幅がある)
→土とコンクリートの間で仕切り役をする使用済のジュース瓶
雑草の生えた(と、そこに散る桜の花びら)
→遊歩道との間を仕切るレンガ
→遊歩道の石畳
車道である石畳
 
とくに、土色最前線にいるジュース瓶がよい役割をしている。
そして、桜の影花びらの散らばる水辺は、
こんな水色などではなく、とてもよい色をしている。
 
 
●境界線とはあいまいなもの
 
…こんなふうに色を替えたりマーカーしたり、
まわりくどく何を言いたいかというと、
 
境界線は一筋ではない、ということだ。
 
水辺と陸地という明らかな境界にも、幾筋もの幅があるのだ。
であれば、私たちが捉えている様々な事象の境界線も、
あいまいで幅があるのは当然なのだ。
 
好きと嫌いの間、おいしいとおいしくないの間、教えると教えられるの間、見ると見られるの間、多いと少ないの間、できるとできないの間、アマチュアとプロの間、大人と子どもの間…。

 

徐々に意識していくものや、繰り返しによってできるようになるもの、時間経過によって増えたり減ったりするもの、多くの人が関係するものなど、プロセス的で定性的なものの境界線は、常にグラデーションなのだ。

 

 

桜ごしに見る桜色の夕焼け空
 
 
●どんなものの境界線もあいまいである…と思いたい
 
誰の目から見ても、はっきりと線を引けるものもある。
 
「する」と「しない」も、0(ゼロ)と1(イチ)も、
隣り合いつつきっちりと一線が引かれているように見える。
 
男と女の間、勝ちと負けの間、成功と失敗の間、ホントとウソの間、役立つと迷惑の間、正解と誤答の間、生と死の間…などなどなど。
 
でも、それは、わかりやすくするために、
省いたものを無視しているだけで、
両者にはやっぱり膨大な「間」が存在すると思う。
 
多くの人が白と黒しかないと思っていることにも、
必ずグレーゾーンはあって、
 
一枚目の写真のように切り取ってみると、
水辺と陸地の間で無視されているコンクリートのグレーゾーンが3分の1はある。
実は、世界の大半がグレーゾーンでできている気がする。(気がするといって境界をあいまいにしているけど)
 
…だとしたら、黒か白で割り切ったとたん、世界の大半を見ていないことになってしまう。
 
それは、とてももったいないなぁと思うのだ。
 
だって、この内川の境界線、めっちゃ面白いし素敵だと思うから。
境界線は幅があればあるほど、味わい深いんじゃないだろうか。
 
 
 
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