ひとの視覚と写真機の視覚

ひとは光がないとなにも見ることはできないっぽい。
いや、音や温度や雰囲気とかの感覚で、暗闇を歩くことも出来るけど、狭い意味での『視覚に対する感覚と行為』ととらえていただければよろし。
で、写真機とゆーものは、おおむねそれと似た感覚をもつツールだね。
人間が視覚的感知不可能な、赤外線や紫外線などなどの光を感知出来るカメラとかは、例外だしハナシがややこしいので放置。
しかし、人間と写真機が決定的に『違う視覚に対する感覚』をもってることを忘れてはイカンのだ。
それは、レンズの構造とか、フィルムやCCDとかCMOSと網膜の違いとか、そーんな機能的なことじゃなくて。
ひとと写真機はモノをみるときの時間軸と情報に対する縛られ方が違うんだと思う。
あやふやな言い方だし、詭弁っぽいけど、そーなんだと思ってる。
だから、見たまんまの写真なんかじぇぇぇったいに撮影できんし、報道とかリアリズムといわれるジャンルでさえ、演出が含まれた表現だ。
ま、最初の文章だ

最初のブログ文章としてどーだろか、と自分でも思ってしまうよーなハナシからはじまるのだ。
実は先週末のことなんだが...。
中古で手に入れてテストしようと思ったものなので、業務用途(取材かPVかもすかしたらAVかもね)で使用してたであろうCanonの非ハイビジョンムービーカメラ(レンズ交換できるやつ)と、デジタル一眼レフカメラNikon D200一式を、茅ヶ崎海岸の海に漬け込みました。
海水なのでおもいっきし全損ですね~、幾らの金銭的損害かは計算したくない。
でもイガイなもんでアシスタントな時期に、高額機材をクラッシュさせる事故を何度も目撃したのせいか、『ま、機材なんて壊れるときは壊れるさ』といった達観とゆーか諦観した気分である。
ホントはこーゆーと「もっとモノを大事にしなさいよ」と叱られそうだが、妙にかわいがって一回もシャッターを切らず、防湿庫に入れっぱなしのコレクションカメラのほうが可哀想だよ。
中古Canon DVカメラは別としても、デジタル一眼レフのD200なんかは数万回もシャッターを切ってくれたし、いままでわたくしの眼と気持ちを助けてくれたので、感謝の気持ちイッパイ。
普段Nikon D3とD2xで仕事するので、D200はプライベートでの作品づくりとかスナップな用途が多かった。
D200が新製品だったそのころ、ヨッパラってた勢いでぺろ~んとヨドかビックだったかで購入。
ヨッパライ友だちと街をぷらんぷらんしてたり、自分の好きなよーに写真を撮りたいときに愛用。
なのでこのカメラはいつも楽しいときに一緒にいて、楽しいことを一緒にみてくれていたので、なんか気の合う友だちとか相棒みたいな感覚でいたカメラだったのね。
ちなみに仕事用なD3とD2xは同僚みたいな感覚かなぁ。
まぁしかし、そんな機材アクシデントでの精神的ショックより、過去幾度と経験した女性から別れバナシを喰らった時、つーほうがショックが大きかった気がするので、わたくしはやっぱフェミニストなんだなぁ、と証明されちゃったのである。
もちろんモノは大切にしなきゃイカンけんど、機材であるモノなんかね、代わりは(金さえあれば)効くでしょ?
あったりまえだけど、ヒトの代わりは一切効かないんだしさ。
これは異性だけじゃなくてオトコ友だちに関してももちろんのことであーる。

