んなわけない | ひろかわ整体院のブログ

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大阪市西区阿波座の東洋医学の逆襲!ココロとカラダにダブルアプローチします。

おはようございます!
今日も働きまくります。
早速ネタ切れです(笑)


今日は何を書きましょうか?

1年前に和泉市の弥生博物館に行きました。

ガラガラの館内の中で、弥生式土器や銅鐸の鋳造や鉄器や鉄斧などを見て回ったわけなのですが、

5~6年前に行ったエジプトのカイロにあるエジプト考古学博物館と同じ心象を受けました。

違うなちょっと違う話を書きます。
ピラミッドを間近で実際に見た時にも思ったし、姫路城、大阪城、名古屋城の石垣を見た時にも思いました。

広島の呉で戦艦大和の模型をみた時にも、
ルーブル美術館で写真のような絵画を眺めながらも思いました。


ピラミッドも城の石垣も戦艦大和もモナリザも、共通して言えることは「現代の」技術では制作することは不可能なんです。


話を元に戻します。

弥生土器って(縄文土器もですが)、2300年前~1700年前に作られたと言われています。


まともな頭があれば理解出来ると思うのですが、

2300年前の土器が、風化もすることなく地中に埋まっていることが出来るわけないんですよね。


縄文土器に関しては16000年前です。


土で作られただけの土器が16000年や2300年の時を経て地中の中の、それも同じ土の中から発見されるわけがありません。

つまり形を変えず同じ地層で埋まることなど不可能であり、薬品や塗料が塗られていれば話は別ですがね。


あとは鉄ですね。

縄文人や弥生人のような、いわゆる原始人が炉を使って石を溶かして鉄を抽出出来るか?

知識が0の場合は不可能ですよね。
ノウハウを知っていれば話は変わってきますが。これは豆腐やこんにゃくと同じ理屈です。
製造工程を予め知っていなければ作れません。

10年前に話題になったユヴァルノアハラリのサピエンス全史、ホモデウスを読んだ時に、私は違和感しかなかったんです。

2000年代初頭に話題になった藤村新一。
彼はたぶん正しかったんです。


遺跡関係は、間違いなく殆んどインチキです。土器、土偶、鉄を使った武器などは、
もっと最近に出来たものです。

あったとしても、
1700年代です。寛容に見積もっても。
そうでなければ、閉めきったクローズな作業場で、土をこねくりまわしながら、パートのおばちゃん達が、土器や土偶を作っているはずです。


1700年代のどこかで、現代の我々に迫り来るポールシフトのようなものが、

自然災害的なものがあったんだと推測出来ます。

異常気象を生き残った人類が、
ボロボロの服を着ていたのが縄文時代だったんです。

戦国時代の甲冑も、
西洋の騎士が着ている兜や鎧を、
着る機会があれば着てみて下さい。

あんな格好で戦えるはずがありません。

信長が着た甲冑も秀吉が着た甲冑も家康が着た甲冑も、未だに発見されずで、美術館にあるのは全てレプリカです。

本当にあったんですかねぇ。