科学、技術が進歩し、機械などの生産設備が充実し、その上、性能が高くなると、当然生産量は増大する。
生産量が増大すれば、それだけ、我々の生活は、便利で豊かになる。これは、とても良いことであって、20世紀は、まさに科学、技術の長足の進歩と、豊かな生活の実現と言う、実に右肩上がりの理想的な、経済的発展を成し遂げたと言える。

そして、人々はこの進歩、発展は今後も永久に続くものと、思い込んでいたのだが、しかし、決してそうではないと言うことを思い知らされることになるのだ。
それは、20世紀の末、1997年に顕著な兆候となって現れた。
それまで、ほぼ必ずと言っていいほど、年々増え続けていた国内総生産(GDP)が、この1997年をピークとして、以後減少傾向、もしくは横ばいの状態に陥ってしまったのだ。
しかも、この傾向は、20年以上経った今日においても、なおも変わらず続いているのだ。その上、このGDPの減少傾向はデフレを伴っている。なおかつ、政府がどんな経済対策を打っても、この状況は一向に良くならない。
まさに、原因不明の根深さを伴っていて、現在、全くお手上げの状態にある。

戦後、常に右肩上がりに、成長、発展してきた日本経済が、ある時点を境に、いっきょに真反対の右肩下がりに転落すると言う、あたかも、一国経済と言うものが、まったく異質なものに変質してしまったかのようである。

よく考えなければならないのは、GDPは成長しなくなってしまったが、一方、科学、技術は、なおも進歩し続けていると言うこと、生産現場においては、より性能の高い機械が次々と導入され、コンピュータは果てしなく進歩し、ロボットはますます発達し、やがてAIの時代が到来しようとしているのである。
経済の基盤となるべき、生産能力はいっそう高まり向上しているのであるが、その結果現れるべきはずの、国内総生産(GDP)の増加が起きないのは、一体どうしたことであろうか?

なぜ、国全体の生産能力と、国全体の総生産額(GDP)が、一致していないのか、連動していないのか?この奇妙な現象について、どう考えれば良いのか?

そのヒントとなるべきものに、「雇用者報酬」と言う統計(内閣府発表)なるものがある。
これは、日本国中のすべての雇用者(正社員、パート、アルバイト労働者など、雇用されて労働をする者)の賃金の合計額を集計したものであるが、実に面白いことに、GDP統計と全く同じように、戦後ずっと右肩上がりに増加してきた賃金の合計額が、1997年を境に、一転して減少傾向に変化しているのだ。
折れ線グラフで表すと「GDPのグラフ」と「雇用者報酬のグラフ」が、きれいな相似形をなしているのである。

それでは、雇用者の賃金は、なぜ減少に転じることになったのか?


科学、技術が進歩し、生産設備の能力が高まり、生産量が増大すると、確かに世の中は便利で豊かになる。
しかし、機械などの生産設備の能力が高くなると言う事は、それまでの人間の労働に代わって、機械が生産を行うようになると言う事でもある。
かつては、工場の中では、機械だけでなく多数の労働者が生産に携わっていたのだが、その人間の労働が、機械に置き換えられ、さらにコンピュータが急速に進歩して人間を不必要とし、また、ロボットなどが次々に開発され導入されて、人間の仕事の場は、どんどん少なくなっていったのだ。

人間が不要になれば、人間を雇う側、すなわち企業側は、解雇するか、もしくは賃金切り下げに出ようとする。
一方、雇われる側は、安い賃金でも働かざるを得ないことになる。このようにして、賃金は次第に下がっていったのである。

それにしては、現在失業率が2%程度であるのはおかしいではないか、もし、人間の労働が不要になりつつあるのなら、失業率はもっと高くなるはずではないか?と言う疑問が起きるだろう。
この点については、少し説明を要する。
今現在、企業側は、設備投資を故意に控えていると考えられるのだ。すなわち、科学、技術の進歩があまりに早いので、慌てて新しい機械を導入することをためらっているのだ。
もう目の前に、AIや、車の自動運転が、現実のものになろうとしているのであるから。
設備投資と言うものは、企業にとっては、大金を投じる、大変な冒険であるので、できれば先延ばしにしたい。何より、現在目の前に、安い賃金で、しかも社会保障に加入する必要のない、いつでも首を切ることのできる非正規の労働者が溢れているのだから、これを使わない手は無い、と言うことになるのだ。

かつての高度経済成長期には、新しい産業が発達し、大工場が次々と建設され、そこに多数の従業員が雇われた。そうすると当然、企業間で労働者の奪い合いが起きて、必然的に賃金は上昇したのである。
人間の労働に対して、供給より需要の方が多かったので、人間の値段、すなわち賃金は上昇したのだ。
この状態が、1997年までは当たり前のように続いたのであるが、その後、供給と需要が逆転してしまったので、賃金は下がり始めたのである。
すなわち、機械、コンピューター、ロボットが人間の代わりに働くようになったので、人間の労働が不要になり、賃金が下がり始めたのだ。
このことによって、日本全体の労働者の賃金の合計額の統計である「雇用者報酬」は、下がり始めたのである。
そして、それに連動して、GDP (国内総生産)も下がり始めたのだ。

それは、どういうことかを説明しよう。
一国経済全体として考えると、労働者の賃金の合計額以上には、モノ、サービスを購入することができないと言うことだ。

ここでは、海外との取引は無いものと仮定する。
そうすると、日本全体において、生産されたモノ、サービスを買うことができる、お金の総額は賃金の合計額だけと言うことになる(自営業者の所得はここでは考慮に入れないと仮定する)。
その賃金の合計額が減っていけば、当然、買うことのできるモノ、サービスの総額も減ってて行かざるを得ない。したがって、当たり前の話であるが、モノ、サービスを生産する側(企業側)は、買ってもらえる範囲内に生産量を縮小させるしかないのである。
よって、「雇用者報酬」に完全に連動した形で、GDPも減少していくのだ。

これが、マクロ経済的考え方と言うものだ。すなわち、全体的にものを見ると言うことだ。日本中の所得の合計額以上に、ものを買うことはできない。だから、生産量を所得の合計額に合わせるしかないのである。

日本経済においては、まさに1997年に経済の質的転換が起きたのである。
それは、科学、技術が著しく進歩したことによる、生産の飛躍的増大と言う現象であった。生産の飛躍的増大による、人間の労働の不必要であり、それによる賃金の低下であった。賃金の低下は、総生産物の総購入額の低下であり、最終的に総生産額(GDP)の低下であった。
そして、その最初の原因は、科学、技術の著しい進歩であった。科学、技術の進歩は、人類に豊かさと便利さをもたらすはずであったが、ある一定レベル以上に進歩すると、今度は逆に、豊かさを奪い取る方向に突き進むのである。

ここまで説明してくると、MMT や、ベーシックインカム論が、生まれる理由が理解できるのではないだろうか。
経済の発展は、自由放任が通用しない時期が必ずやってくると言う事、国家が経済を強力にコントロールしなければ、人類は、ある時点を境にどんどん貧しくなっていくと言うことだ。
生産の著しい進歩増大が、むしろ逆に我々の所得、そして豊かさを奪うのであれば、その失われた所得を、国家が、国家の強大な権限を用いて、回復させ、補填するのである。
それは、MMT 的方法でも良いし、ベーシックインカム的方法でも良いし、あるいは、政府紙幣発行的方法でも良いのである。