「ある人が、2000円の品物を買うためには、2000円以上のお金を持っていなければならない。もし1000円しか持っていなければ、2000円の品物は絶対に買うことはできない。」
上に述べた事は、個人のレベルにおいては、ごく当たり前で、常識的なことである。
それでは、一国全体のレベルにおいては、どうだろうか。
やはり、個人のレベルと同じように、国全体においても、お金がなければ、ものを買うことができない。
国全体で生産するモノ、サービスのすべてを、国民が購入するためには、そのモノ、サービスの値段の合計額以上のお金を、国民が持っていなければならない。
もっと具体的には、国民全員の所得の合計額が、モノ、サービスの合計額以上でなければならない。このことは、何の疑いもないことだ。
ところで、国民の所得の合計額が、次第に減っていく場合にはどうなるのだろうか?
当然、それまでは買うことのできたモノ、サービスを買うことができなくなる。
そうすると、モノ、サービスを生産する側は、買ってもらえる範囲内まで、生産量を減らさなければならない。
なぜなら、今まで通りの生産を続けていては、売れ残りが生じるからだ。
国全体のモノ、サービスの付加価値の合計額は、GDP (国内総生産)と言う統計によって表されるが、所得の合計額が減ると、そのGDPが次第に減ると言う現象に陥るのだ。
なお、国民の所得の合計額は、雇用者(労働者)の賃金の合計額の統計である「雇用者報酬」によって知ることができるが、1997年以降、この「雇用者報酬」は徐々に減少してきている。
と同時に、GDPも1997年以降同じように減少しているのだ。
まさに、国全体で「お金がないので、ものが買えません。そして、生産する側は、買ってもらえないので、生産を減らすしかありません。」と言うことが、目に見える形(統計に現れる形)で起きているのであり、これが日本において、20年以上もの長きにわたって続く、底無しのようなデフレ不況の正体なのである。
それでは、賃金の合計額である「雇用者報酬」は、なぜ下がり続けるのか?
その理由は、科学、技術が進歩しすぎたから、と言うしかない。
なぜ、科学、技術が進歩しすぎると、賃金は下がるのか?
それは、機械の性能が良くなり、コンピューターやロボットが発達して、人間の労働が、次第に不必要になるからだ。
不必要なものの価値は下がるしかない。
機械、コンピューター、ロボットが発達して生産力が増大すると、生産されるモノ、サービスの量は増え、しかも、その種類も多彩になり、人々の生活が豊かになり、便利になる。
科学、技術の進歩に、停滞は無い。絶え間なく、より一層進歩し続ける事は間違いない。
しかし、人々の生活が、それに比例してより一層豊かになると言うことにはならないのだ。
なぜなら、科学、技術の進歩が人間の労働を不必要とする、ある時点が必ずやってくるからである。
その時以降、賃金が下がり始め、人々の所得の合計額が減り始め、ついには生産するものの全てを購入することができなくなり、生産を縮小せざるをえなくなるからだ。
結局、「お金がないので、ものが買えません」と言う、実に単純明快な、そして、パラドックス的な底なし沼にはまり込むのだ。
何度も言うように、科学、技術は、果てしなく進歩し続けるので、人間の労働も果てしなく不必要になり続け、最終的には、賃金の合計額はゼロになる時が来る。
その時に、一国の経済は完全に消滅するのだ。
日本は、今、その時に向かってまっしぐらに突き進んでいるのだが、このことを知っている人間は、一体何人いるのか?
生産力が高くなりすぎると、かえって、社会は貧しくなるのなら、これ以上生産力が高くならないように、科学、技術の進歩を止めれば良いのか?
いや、そんなことをする必要はないし、そんなことができるはずもない。それよりも、はるかに簡単に、豊かになる社会を取り戻すことができる。
それは、人為的に、人々の失われた所得を回復し、補填して、生産されるものを全て購入できるようにするのだ。
失われた所得がどの程度であるかを計算し、あるいは推測して、それを国民に支給するのである。
誰がそれをするのか?
もちろん、それは政府である。
貨幣を発行する権限を持つ政府が、人々の失われた所得を回復するための、一連の行動を起こすのだ。
生産力に比例した、お金を支給するのであるから、決して悪性インフレになるはずはない。
現在の政治の主流において、行われている政策、巨額の財政赤字をなくすために、国民に増税を課し、歳出を削減する、などと言う真反対の、愚かな政策は即刻やめるべきだ。