日本においては、戦後、1955年(昭和30年)ごろから、1972年(昭和47年)にかけて、「高度経済成長」と呼ばれる経済の著しい成長、発展の時期があった。
この時期、名目GDPの年間成長率は、平均10%程度と言う凄まじさであった。
最近の日本の年間成長率が、大体0%であるのと比較すると、いかに凄まじい成長のスピードであったかがわかる。
例えば、1955年当時、一般家庭には、電気製品としては、電灯とラジオぐらいしかなかった。
また、自家用車を持つ家庭は、皆無と言ってよかった。
それが、わずか10数年後には、電気製品は、洗濯機、炊飯器、テレビ、冷蔵庫、掃除機、扇風機、ステレオ等などを、ほぼ全ての家庭が備えるようになっていた。
なおかつ、自家用車も一家に1台あるのは普通と言うほどの普及ぶりであった。
もちろん、これらの多種、多様な製品を、大量に生産するために、各地に大工場が次々と建設された。
家電工場、自動車工場、紡績、繊維工場、食品工場、そして、何よりも鉄を生産するための、巨大な製鉄所が作られた。
そして、それらの工場には、膨大な数の人員が雇用されていった。
また、これらの下請けとなる、無数の中小、零細工場も誕生した。
人々は、仕事を求めて、地方から都市へと移住するので、山を切り開いて、宅地を造成し、住宅やアパートが建てられ、道路が作られ、電気、水道が施設された。
また、そのための建設会社、土木会社が誕生し、多くの人々が雇用された。
高度成長期のような、各種産業が勃興する時期には、膨大な数の職業、職種が新たに生まれ、多くの人々が雇われるので、労働者の、超売り手市場社会が実現し、当然のように、雇う側(企業側)は、賃金を上げて、人員を確保しようとする現象が起きる。
この、賃金が上昇するということが、非常に重要な点であって、もし賃金が上昇しなければ、高度経済成長もあり得なかったのである。
なぜなら、せっかく生産された家電や自動車を、人々に買ってもらえなかったはずだからだ。「お金がなければものは買えない」この自明の理が、一国全体、すなわちマクロ規模で起きたはずだ。
高度成長期以前の人々の生活は、ほどほどにものが食べられ、そこそこの家財道具をそなえ、たまに、ささやかな娯楽を楽しむ位の収入しかないのが普通であった。
これでは、次々に世に出る電気製品などを、買うことのできるお金のゆとりがあるはずがない。
ところが、電気製品や自動車を生産するために、企業は大量に人員を雇用したことによって、労働力が逼迫し、賃金が上昇した。
その賃金の上昇分があったから、人々は、電気製品や自動車を買うことができたのである。もちろん、キャッシュでは無理なので、多くの場合、ローン支払いを利用したのであるが。
このように、高度経済成長期の生産(供給)と需要(消費)の間には、見事なほどの調和とタイミングの良さがあったのだ。
また、この時代の機械の生産能力は、現代と比べると、かなり劣っていたので、大工場の中では、機械だけでなく、多数の人間の労働が必要とされたのである。
現代のような、機械とロボットばかりで、人間はほんの少ししかいない工場とは、よほど様子が違ったのである。
このようにして、高度経済成長期から、1980年代の安定成長期へと、科学、技術の進歩と相まって、製造業からサービス業にわたって、新たなモノ、サービスが大量に生産された。
人々は、賃金の上昇を受けながら、これらの新たなモノ、サービスを購入、消費し、実に、生産と消費の見事な調和によって、日本経済は発展成長したのだ。
で、この発展成長は、今後も永久に続くものと、人々は信じて疑わなかったのであるが、ある時点を境に、人々の賃金が上昇から下降えと逆転し始め、それと同時に、経済成長も、衰退への道をまっしぐらに歩み始めたのだ。
その時点とは、あらゆる統計に、はっきり表れているように、1997年であることに間違いない。
なぜ、1997年から賃金は下がり始めたのか?
理由は簡単で、科学、技術が著しく進歩したことにより、機械、コンピューター、ロボットなどの生産設備の性能が高まり、次第に人間の労働が不要になり始めたからだ。
例えば、自動車工場では、生産ラインにおいて、「組み立てロボット」が自動車を組み立て、「溶接ロボット」が溶接して、「塗装ロボット」が塗装すると言う、ほぼ、人間の労働なしで、製造が完了すると言う有様だ。(YouTubeで簡単に工場内を見学することができる)
自動車工場以外の工場も、大体同じようなものだ。
製造業だけではない、農業も機械化、サービス業もコンピューターの進歩が、かなりの人員を削減しただろう。
こうして、人間の労働は、安く買いたたかれるようになった。
その顕著な例が、4割に達する非正規労働者たちだ。
安い賃金で、社会保険にも加入してもらえない上に、いらなくなれば、簡単に解雇されてしまう。
一方、正規労働者はどうか?
こちらは、やめたい者はいつやめても良いとばかり、猛烈に人間をこき使って、残業代不払いは、あたりまえというブラック企業が目白押し。
バナナのたたき売り、いや、たたき買い同然の人間のたたき買いで、合わせて賃金は下落の一途をたどり、社会には不幸が蔓延しつつある。
さて、おかしいとは思わないだろうか?
我々は、何のために科学、技術を進歩させ、機械、ロボットを開発し、生産力を著しく高めることに成功したのか?
便利で豊かな社会を築くためではなかったのか。
過酷な労働、危険な職場、長時間労働から解放され、余暇、レジャーを十分に楽しむことができる、理想社会を実現するためではなかったのか?
こんなことなら、科学、技術は進歩しないほうがよかったのか?
いや、そんなはずはない。科学、技術の進歩、生産力の高まりが悪いのではない。
これらをうまく利用できない、人間の作った社会システムが悪いのだ。
だから、社会システムを現代の実情に合ったものに変えれば良い。
生産力の向上、生産量の増大に比例して、賃金が上昇し、十分な需要、消費が生み出されていた時代は、はっきりと終わったのだ。
これからは、AIがますます人間の仕事を奪うだろう。スーパー、コンビニのレジの自動化も進むだろう。レジ係はみんな失業するのだ。
その上、車の自動運転が実現すれば、運転手もみんな失業するのだ。
仕事にありつける人間は、ごくわずかになり、人々の所得の合計額も、ごくわずかになり、それで買うことのできるモノ、サービスも、ごくわずかになる。
そして、日本経済は、確実に消滅するのだ。
そうなるのを、阻止する方法はただ1つ、人為的に所得を創出するのだ。
生産力が向上した事が原因で所得が失われたのなら、その失われた分を、政府が国民に配るのである。
その財源は、国債発行でも良いし、政府紙幣発行でも良い。(なお、国債は国の借金ではない。貨幣の発行である)
国民に直接配る方法に、抵抗を感じるのなら、財政出動により、公共事業、社会保障につぎ込み、国民全員に行き渡るようにする。
生産力の向上分に見合った、所得の創出であれば、悪性インフレになる事は無い。
消費税は廃止し、他の税も半分にして良い。そうすれば、国民の可処分所得が増えるのだから。
