日本国を、政府と政府以外(国民)の2つに分けて考える。
政府は、1年間の予算を組むが、国民からの税金だけでは不足するので、国債を発行して、国民から借金をして不足分を補う。
したがって、予算額=税収額+国債発行額と言う式が成り立つ。
そして、1年かけて、予算は執行される。すなわち、予算案に従って歳出が行われる。
内わけは、公共事業費、社会保障費、文教及び科学振興費、地方への交付金などだ。
その結果、国民から徴収した税金、および、国民から借りたお金は、全額国民に戻されることになる。
公共事業費などは、道路、トンネル、橋、公共の建物などの建造を、国民に発注し、その労働の報酬として支払われる。
社会保障費は、年金や健康保険の補助、その他国民の生活の補助として支払われる。
こうして、国民が納めた税金と、国民が政府に貸したお金(国債の購入代金)は、全額国民に戻されることになるのだ。(政府以外は、すべて国民の側と言う考え方に従えば)
ここで、奇妙なことに気づかないだろうか。政府が国債を発行して、国民から借りたお金は、予算執行によって全額国民に戻されたのに、国債と言う借金証書は、依然として国民が持ったままであると言うことだ。
予算が執行されて、お金が戻ってきたので、国債を政府に返還すると言う事はしていない。これは一体どう考えたらいいのか。
国債を購入するのは、銀行や保険会社、年金機構等であるが、その資金は、国民の預金や保険、年金の掛け金だ。
したがって、国民が実質的には国債を買ったことになる。
で、銀行や保険会社は、予算が執行されて、国債購入代金が全て国民に戻っされたのを見て、自分が保有する国債を政府に返還しましょうと申し出るような事は、過去1度もした事は無い。
それで、結果的に、国債は国民(銀行、保険会社も国民の側に入る)の手元に残ったままと言うことになる。
以上の経緯は、よくよく考えてみると、非常に不思議なことではないか。
これを、個人の話に例えると、Aと言う人間が、Bと言う人間から100万円を借り、Bに100万円の借用証書を渡す。
返済期日が来たので、AはBに100万円を返したが、100万円の借用証書は、Bが持ったままになっている。
AはBに証書を返すよう請求はしていない。
このままだと、どういうことになるか。
いずれ、BはAに100万円の借用証書を見せて、もう一度100万円の返済を請求することができる。
または、
Bは別の人間C に、100万円の借用証書を、売り付けることもできるだろう。するとCは、Aに100万円を請求できるし、また、別のDに売り付けることもできる。
以上の事は、極めておかしなことで、常識的にはありえないことだ。AはBに100万円を返済した以上、必ずBに借用証書の返還を求めるはずだ。
ところが、政府は国民に対して、借用証書の返還を、これまで1度も求めた事は無い。過去数十年間、政府は国債(借金証書)の返還を求めないまま今日に至ってているのであり、その総額は、およそ1000兆円にも上るのである(国債残高)。
このことを、どう考えればいいのか。
結局、政府は国民に1000兆円の国債という金融資産を、贈与したと考える以外ないではないか。
贈与と言う言葉がふさわしくなければ、政府は国民に対し、1000兆円の国債を供給した、あるいは、もっとわかりやすく表現すると、1000兆円のお金を供給したと言えるのではないか。
では、なぜ、これだけのお金を国民に供給しなければならなかったのか?
それは、戦後の日本が、著しい経済成長を遂げ、猛烈な生産の増大があったからだ。
1955年から1997年の42年間で、日本の国内総生産(GDP)は、約60倍にも膨れ上がっている。
これほど生産量が増えれば、それを取引、売買するお金の量も増えなければ、一国経済はスムーズに回らなくなる。
日本において、お金を発行する機関は、唯一、日本銀行だが、日銀は公開市場操作の買いオペレーションによってしか、お金を発行することができない。
すなわち、何らかの金融資産を買い取らなければ、お金を発行することができない。
ところが、民間が出す手形や債券を買っていては、額が小さくて、大量のお金を発行するには都合が悪い。
一方、政府は1度に巨額の債権(国債)を発行することができるので、必然的に、日銀は国債を買い取ってお金を発行すると言う手法を用いることになる。
要するに、日本は著しい産業の発展、生産の増大があったからこそ、それに合わせて、貨幣量を増加させるために、国債を発行し続けたのである。
したがって、政府が国債を発行したのは、国民から借金するためではなかった。本当に借金なら、予算執行によって、借りたお金を全て国民に戻した時点で、国債の返還を求めなければならなかった。
しかし、政府はそれをしなかった。返還させたら、お金の発行にならないからだ。
それに対して、税収の範囲内で歳出する健全財政では貨幣量は増えない。
なぜなら、国民から集められた税金が政府に移り、歳出によってそれが再び国民側へ戻るという、お金は移動しているだけで増える事は無いからだ。
このようなことでは、生産が増大し、生産量が増加する成長経済にあっては、その増加する生産量に見合うだけの貨幣の量を増やすことができない。
そこで起きる事は、経済の失速であり、不況であり、デフレである。この状況を打開するために、政府は国債を発行して、国民から借金をするのだ。経済成長に見合う十分なお金の供給を行うために、借金をするのだ。
いや、形だけの借金をするのだ。日本銀行と言う、唯一の貨幣発行機関
が、金融資産を買い取らなければ、お金を発行することができないと言う、厳しい制約があるから、政府が国債を発行すると言う方法をとるしかないのだ。
よって、政府が国債を発行するのは、貨幣の発行と同じことである。「国債」は、名前は「国の借金」だが、実質は借金ではない。名前に騙されてはいけない。
例えば、江戸時代や、室町時代のような生産の増大のほとんどなかった時代であれば、大量の国債を発行すれば、たちまち悪性インフレになったであろうが、戦後の日本は、このような時代とは生産力が全然違うのだ。