経済の実体は「生産」です。「生産」によってモノ、サービスが生み出されるから、それらを取引、売買する上で「貨幣」が必要になるのです。
「生産」が全く行われていない社会、すなわち、モノ、サービスが全く生み出されない社会においては、「貨幣」はいくらあっても何の役にも立ちません。なぜなら、売り買いするものが何もないからです。
以上のことから、経済の実体は「生産」であり、「貨幣」ではないということがわかります。

ところが、現在の日本経済において、多くの人々は、国(政府)の借金は1千兆円を超えるほど巨額であるので、大変だ、このままだと日本は破綻すると言う考え方を持っています。
この時、人々はお金のことばかり考えているのであり、日本国全体が持つ生産能力については、まるで視野に入れていません。
すなわち、「経済の実体は生産」ではなく、「経済の実体は貨幣」と思い込んでいるのであり、本末転倒しています。

この時点で、人々は日本経済の実状を大きく見誤っています。
そして、緊縮財政路線へと走り、20年以上の「失われた日本経済」を見事に実現したのです。
一国経済(マクロ経済)のについて論じるとき、お金の計算は二の次で良いのです。それよりも、生産力がいかに向上しているかを、よく見極めることの方が、はるかに重要なのです。

よく言われるように、戦後の日本は、ものすごい勢いで経済成長を遂げました。国内総生産(GDP)は、1955年から1997年の42年間で、約60倍に増大しているのです。
これほどの著しい成長を遂げながら、信じられないことに、1997年以降パタリと成長が止まってしまって、20年以上もの間、ほぼゼロ成長状態が続いているのです。
これはまさに、異常状態であり、よほどの深い大きな原因がなければ、このようなことが起きるはずはありません。

生産能力の向上が1997年を境に、ピタリと止まってしまったのでしょうか?
いや、そんな事は到底考えられません。科学、技術の進歩には停滞はありません。
例えば、コンピュータ1つを取り上げても、その進歩の度合いは、計り知れないものがあります。
この分野は、ほんの1年間で、凄まじい成長をとげます。そして、あらゆる機械装置にコンピューターは組み込まれ、生産能力の向上に寄与します。
はじめは、主に製造業の分野において、コンピューター内蔵の機械は、発達し、普及したが、やがてサービス業の分野でも、多種類のコンピュータ機械が開発され、使用されるようになりました。

まもなく、日本中に普及すると思われるのは、自動レジ機です。これが普及すると、スーパー、コンビニ、その他の商店などでは、レジ係は全員姿を消すことになるでしょう。
すばらしい生産能力の向上、進歩ではないでしょうか。スーパー、コンビニでは、今までの従業員数を半分ぐらいに減らしても、同じ売り上げ額を維持することができます。
半分の人員で、売り上げが同じと言う事は、一人当たりの売り上げは倍になると言うことです。すなわち、生産力は倍になるのです。

何よりも、製造業の分野では、最近の20年間で、もっとすさまじい生産能力の向上がありました。それは、ロボットの開発、普及です。
その最先端を行くのは、自動車の製造工場でしょう。
組み立てロボットが自動車を組み立て、溶接ロボットが溶接し、塗装ロボットが車体を塗装すると言う有様で、人間の労働は、ほとんど必要ないほどです。
おそらく、ロボット導入以前と比べると、従業員数は10分の1ぐらいに減ったと言えるのではないでしょうか。言い換えると、生産能力は10倍になったと言うことです。

以上見てきた事は、日本の生産能力向上のほんの一部ですが、この20数年の間に、これほどすさまじい生産能力の向上があったのに、なぜ国内総生産(GDP)は全然増えないのでしょうか?
その理由は簡単で、生産能力が向上しすぎたからです。
人間の代わりにロボットやコンピューターが仕事をするので、人間の労働の価値が下がったのです。
人間の労働の価値が下がればどうなるか?当然のように賃金が下がります。人間を雇う側(企業)は、絶えず必要経費を削減しようとするが、ロボットやコンピューターの傍らで、単純作業しかできなくなった人間に、良い給料を支払うはずはありません。
その上、機械、ロボットが人間の仕事を奪うから、人間の労働は次第に不要になっていきます。ますます、企業が賃金を下げる原因になります。
雇われる側は、他に仕事がないので、低い賃金でも働くしかありません。
しかも、正社員ではなく非正規として。

統計を見ると、1997年以降、雇用者の平均賃金は、はっきりと下がり始め、もはや上向く事はありません。
国内総生産(GDP)が下がり始めたのも1997年でした。
賃金とGDPは、見事に連動しているのです。
1997年までは、賃金とGDPは両方とも上昇していました。
賃金が上がればGDPも上がり、賃金が下がればGDPも下がると言う、実に明快な両者の関連が、浮き彫りになっています。

その理由は実に簡単で、賃金が下がれば、ものを買うお金が少なくなるからです。
日本全体の雇用者の賃金の合計額が、日本全体で生産されたモノ、サービスを買うことができるお金の合計額であるから、これが少なくなれば、買えるモノ、サービスも少なくなります。したがって売れ残りが生じます。そうすると、生産する側は損失を被るので、次第に生産量を減らすことになります。
生産量が減ると言う事は、要するにGDPが減ると言うことになるのです。
現在の日本は、起きて当然のことが起きているだけなのです。

生産能力が向上すれば、必ずGDPが上昇すると言うものではありません。生産能力が高まりすぎて、人間の労働の価値が下がり、賃金が下がり始めたなら、それまでと一変してGDPは低下し始めるのです。
その分岐点が1997年だったのです。
奇しくも20世紀の終末に、日本経済の土台、地平が一変したのです。われわれはこのことを、しっかりと認識しなければなりません。

ここで、もう一度この文章の冒頭部分に戻りましょう。
経済の実体は「生産」であり「貨幣」ではありません。「貨幣」は「生産」に従属するものであるから、人間が意図的に生産量に貨幣量を一致させれば良いのです。
なぜなら、放っておいては貨幣量は自分から生産量に一致してくれないからです。それは上に見てきた通りです。

さて、科学、技術は果てしなく進歩します。よって生産能力は果てしなく向上します。そして、われわれは今後果てしなく貧しくなっていきます。果てしなく賃金が下がり、果てしなくGDPが減少するからです。今はまだ序の口なのです。

経済をつくりあげたのは人間です。「人間」が「経済」の主人なのです。
そうであるなら、「人間」が「経済」をコントロールしなければなりません。「人間」が「経済」に振り回されるのは、終わりにしなければなりません。

結論....政府が生産能力に合致した貨幣量を人々に供給するのです。生産能力が向上しすぎて、失われてしまった人々の所得を、政府が回復させるのです。