副題   自然経済から人工経済へ

科学、技術がとどまることなく進歩し、生産能力が常に向上する社会にあって、人々の生活がさっぱり豊かにならないのはなぜだろうか? 
非正規労働者(低い賃金で、社会保険に加入していないので、将来年金を受け取ることもできない、その上いつ解雇されるかわからない人たち)ばかり増えている。
この人たちは結婚して家庭を持つ事は難しいので、少子化はますます進むだろう。

本来、生産能力が向上すれば、人々の暮らしは良くなるはずだ。より多くのモノ、サービスを生産することが可能になり、しかも、そのモノ、サービスはより質の高いものへと進み、我々はそれらを十分に享受することができるはずだ。
なおかつ、過酷で危険な労働、あるいは長時間労働から解放されるはずである。ところが現実はどうだろうか。

世の中にはブラック企業が横行し、休日返上、サービス残業は当たり前、きついノルマを課されて、身体を壊して止めていく者、または自殺するものは後を絶たない。
そもそも、ブラック企業なるものは、10人新入社員を雇っても、そのうちの2、3人ぐらいが残れば良いと言う考え方で、過酷な勤務に耐えられる者を選抜しているように思えるのだが。
さらに、最近はブラックバイトなる言葉も聞かれるようになった。コンビニ等では、売れ残った商品をバイトに買わせたりするようだ。

大学生は、有利子の奨学金を受けた場合、300万円から400万円の借金を抱えて卒業することになるようだ。これほどの借金を背負って、社会人1年目をスタートすることになるのだ。

年金生活者はどうだろうか。国民年金は月6万円程度で、とても生活できる額ではない。厚生年金でも、決して余裕のある生活はできない。
実に暗たんたる世相ではないか。

今から20年以上前までは、日本は1億総中流と言われ、誰もが豊かさを感じることができた時代があった。当然ブラック企業も非正規雇用もなかった。
この時代よりも、現在の方がはるかに科学、技術は進歩し、生産能力は向上しているはずなのに、なぜ日本は貧しくなっていくのか?
その理由は、人間が経済をうまくコントロールできていないからだ。生産能力の向上を人々の暮らしの向上につなげることができていないからだ。知恵を出さないから、暮らしの向上につながらない。

世の中では、様々なミクロ経済主体(個人、企業、自営業者など)が様々な形で生産及び消費などの経済活動を行うが、その結果、ある種の不整合が生じる。
その最たるものが、国全体の総生産(総供給)と、国全体の総消費(総需要)の不一致である。
なぜ不一致が生まれるのか? 
それはもちろん、各ミクロ経済主体が、各々の利益と満足だけを考えて行動し、国全体の経済の最良の状態を作り出すことなどには、意識を払わないからだ。
もちろん、ミクロ経済主体は、このような利己的行動をとるのが当たり前なのであって、何ら責められることではない。

企業は熾烈な競争の中で、生き残るためには手段を選ばない。利益を上げるために、ギリギリまで経費を削減しようとする。経費の中で最も大きいのは人件費であるので、たいして能力を必要としない部署の人員は、正社員から非正規雇用者に置き換え、賃金を半分程度に減らす。
それに準じて、正社員の賃金も、ほどほどに下げることに成功する。こうして全体の賃金は下がる一方になる。
しかし、企業が生き残りのために経費(人件費)を削減する事は、何ら間違った行動ではない。
間違ってはいないが、その結果生じる事は、日本全体の購買力が低下すると言うことだ。なぜなら、日本全体の賃金の合計額が、購買力であり、消費力であり、総需要であるからだ。
企業は自分が生き残るために賃金を下げるのだが、そのことが、ひいては自社の製品やサービスを売れなくするのであり、結局自分の首を絞めることにつながるのである。
それでは困るので、企業は日本全体の購買力を高めるために、賃金を上げようと努力するかと言うと、そうはならない。自分の所だけが上げても、よそが上げなければ何にもならないからだ。
結局、すべての企業は、どうしようもなく賃金を下げる競争をすることになるのだ。

これがミクロ経済主体が、宿命的に持つ限界と言うものだ。自社が競争に勝つための行動は、日本全体を貧しくする結果を生むのである。誰もこの宿命から逃れることはできない。

ただし、....ただしである。ここに唯一、日本国内にあって、この競争原理の宿命から超絶した存在がある。
それは政府である。政府は営利を目的としていないので、ミクロ経済主体の持つ競争原理の桎梏から、かけ離れた存在であり、なおかつ日本国において最高権限を持ち、法律を制定し、貨幣を発行することができる。
さらに、日本国民の最大幸福を目指す使命を担っている(はずである)。

さて、ミクロにできないことを、マクロ的存在である政府が行うのである。どうしようもなく、日本を貧しい方向に導こうとするミクロに代わって、政府が需要を生み出すのだ。
実際の生産能力(供給力)にふさわしい需要を、最高権限を用いてつくり出すのである。その方法はいろいろあるだろう、MMT でも、ベーシックインカムでも良い。
しかし、その前にまず、消費税を撤廃することだ。それから、医療保険の負担を減らし、年金の支給額を増やすことだ。こうして人々の所得を増やし需要を高める。
次に、競争原理が激しくなりすぎないように、ほどほどの規制を設けることも必要であり、非正規労働者を生み出す「労働者派遣法」を改正しなければならない。

新自由主義は規制をなくし、自由に競争させることが、より経済を活性化すると主張し、「小さな政府」を標榜するが、これは全く大間違いで、よくこんなに真反対の考え方ができるものだ。
これからは、人間が経済をコントロールしなければならない。競争原理の有用性を決して否定はしないが、ミクロ経済主体に経済の成り行きを任せてしまってはいけない。
国民の豊かさが奪われることがないように、政府が経済をコントロールするのである。自然経済社会から人口経済社会へ。