経済の実体は「生産」です。「貨幣」は経済の実体ではありません。
貨幣は生産されたモノ、サービスを流通、分配、売買するのに便利な仲介物に過ぎません。貨幣自体には何の価値もありません。生産が全く行われていない社会においては、貨幣がいくらあっても、何の役にも立ちません。

以上は、誰もが納得することであり、異論はないでしょう。
ところが、国全体の経済の話になると、たちまち多くの人々が、上の考え方を忘れてしまい、「貨幣こそが経済の実体」と言う錯覚に陥ってしまうのです。
国債発行残高が1千兆円あるので、国は1千兆円の借金を抱えていると思い込んでいます。
この時、人々は国全体の生産能力が、どれほどのものであるかについては、全然考えていません。
ここが間違いの始まりです。「生産」こそが経済の実体だからです。

戦後の日本は、著しい生産能力の向上がありました。当然生産されるモノ、サービスの種類は、多種多様を極め、その生産量、生産数はものすごい勢いで増加しました。
で、これらの生産されるモノ、サービスの増加に合わせて、貨幣量も増加させなければなりませんでした。
貨幣量が増えなければ、モノ、サービスの取引、売買がスムーズに行われなくなり、経済の発展が阻害されるからです。

では、誰がその貨幣量を増やしたかと言うと、それは日本銀行ではなく、民間銀行です。
中央銀行である日銀は、直接世の中にお金を送り込むことはできません。日銀は、銀行にお金(日本銀行券)を送り込むことができるだけです。それ以上の事は、日銀には何もできません。
後は、企業や個人が銀行からお金を借りると、その借りた額だけ世の中にお金(預金)が出て行きます。
すなわち、銀行からお金を借りると、それだけ世の中のお金の量は増えるのです。だれも銀行からお金を借りなければ、世の中のお金は全然増えません。
また、誰かが借りていたお金を銀行に返すと、それだけ世の中のお金は減ることになります。
ほとんどの人は、日銀が世の中のお金の量を直接増やしたり、減らしたりして調節(管理)していると思っているようですが、それは間違いです。直接、世の中のお金の量を増減させているのは民間銀行です。

戦後の日本は、急激に経済が成長し、生産が増大しましたが、それと同時に、世の中のお金の量(マネーサプライ)も急激に増加したことによって、モノ、サービスの取引売買がスムーズに行われ、経済の発展に支障が起きる事はありませんでした。
これは、企業などが銀行から多額の借り入れをしたからです。

では、その間、日銀は一体何をしていたのかと言うと、せいぜい金利の操作ぐらいはしていたと言うことです。
景気が過熱しすぎると、金利を上げて銀行からお金を借りにくくし、景気を引き締め、景気が落ち込めば、金利を下げて銀行からお金を借りやすくして、景気を向かせる、と言うことを行っていたのです。
要するに景気の調節をしていたのです。初期のうちは、公定歩合を上げ下げし、のちには、公開市場操作によって、銀行が保有するお金の量を調節することによって金利を操作していたのです。

日銀にできる事はこの程度で、あとは民間の企業、自営業者が銀行からお金を借りたから、借りた額だけ世の中のお金が増えたのであり、それが生産の増大とうまくマッチしていたから、日本経済は非常に順調に成長、発展し、GDPは常に右肩上がりに伸びていったのです。
日銀が、世の中のお金の量を増やしたのではありません。日銀にはそういう能力は無いのです。

さて、成長を続けた日本経済も、1990年にバブルが崩壊し、それまで銀行から多額の借り入れをしていた企業が、その借金をどんどん返済するようになりました。
もはや、事業の拡大や設備投資の必要がそれほどなくなり、内部留保も溜まってきたために、借り入れをする必要がなくなったのです。
企業が今まで銀行から借りていたお金を返済すると、世の中のお金の量はどんどん減っていきます。そうするとどうなるか、当然のようにデフレ傾向に陥ります。そして不況に突入します。
これがバブルの崩壊後に起きた現象です。

こうなると、政権党は不況を放っておくことはできません。なぜなら、国民は経済が低迷し、自分たちの暮らしが苦しくなることを最も嫌うからです。
経済政策の不手際として、政治の責任を追及されて、選挙で不利になります。
そこで、政権党は自己保身の為、景気を回復させるために財政出動に打って出ます(国民のためと言うより、あくまで自己保身のために)。その財源は、当然国債発行によって調達します。その場合、発行された国債の半分近くを銀行が買い取ります。
ここが非常に重要な点ですが、銀行が買った額だけ、世の中にお金が出て行き、マネーサプライが増えるのです。
すなわち、企業が返済したことにより、減ってしまったマネーサプライを、銀行が国債を買うことによって、穴埋めをすることになるのです。
このことによって、本来なら激しいデフレになるところを、ある程度は阻止することができるのです。
誰かが銀行からお金を借りるから、世の中にお金が生まれ、一国の経済は成り立つのです。民間が、借りていたお金を銀行に返すのであれば、別の誰かが銀行からお金を借りなければ、一国経済は消滅してしまいます。
それでは大変なことになるので、民間に成り代わって、政府が銀行からお金を借りたのです。こうして、経済が消滅してしまわないようにしたのです。

日銀が公表する資金循環統計(フロー表)を見ると、1995年前後に企業部門と政府部門とが入れ替わって、政府部門が常に銀行から借金をする側になっています。それまでは、企業部門が借金をする側だったのですが。
政府が国債を発行するしか、お金を生み出す方法がないからです。

日銀は、銀行から国債を買い取ってその代金を銀行に支払いますが、それ以上は何もできません。「量的緩和」とは、銀行から多額の国債を買い取って、多額の代金を支払う事ですが、こうすると、金利を下げることができるだけです。
そもそも、20年以上前から、すでにゼロ金利状態にあったのですから、もうどんなに「量的緩和」をしても、これ以上金利は下がりようがないのです。
日銀はお手上げです。何の働きもできません。(強いて言うと、国債を買い取っただけ国の借金を減らしてはいますが) 

これが、わが国の貨幣発行制度の正体なのです。誰かが銀行からお金を借りると、世の中のお金が増える(貨幣が発行される)と言う仕組みなのです。
貨幣発行機関が、強力にお金を世の中に送り込んでいるわけでは無いのです。

この文章の冒頭部分に戻りましょう。
経済が発展し、生産が増大すると、それに合わせてお金の量も増えなければなりません。増えなければ経済は停滞します。
停滞しないために、必然的に政府が国債を発行するのです。政府以外(民間)が誰も銀行からお金を借りないので、仕方なしに国債を発行するのです。国債を発行しなければ、お金が増えない仕組みになっているからです。
ところで、いつそういう仕組みになったのでしょうか? 
それは、ずっと大昔、今から約140年前に西郷隆盛の西南戦争が起きた時(明治10年)、この仕組みが作られたのです。
明治新政府は、この戦争に勝利するため、政府紙幣を大量に発行して、戦費に当てたのです。すると、この紙幣は世の中に大量に出回り、激しいインフレが起きて、社会は大変な混乱に陥ったのです。
そこで政府は、インフレを収束させるために、中央銀行である日本銀行を創設し(明治15年)、政府紙幣を回収させ、それ以後、政府紙幣を発行することを完全に封印したのです。
そして、現在あるような[日本銀行—銀行]による信用創造に基づく貨幣発行制度を制定しました。この制度が、ほぼそっくりそのまま現在に残っているのです。
誰もこの制度を変えようとはしません。
明治初年当時の生産能力(農業、漁業とわずかの家内工業程度の生産能力)に適合した貨幣 発行制度です。インフレになりにくい、お金の量が増えすぎない貨幣発行制度です。
この制度を、現在のような、ものすごい勢いで生産能力が増大する世の中においても使っているのです。
これでは、数々の矛盾が湧き起こっても不思議はないでしょう。その矛盾の最たるものが、お金の量を増やそうとすると「国の借金」が生まれると言うものです。
名前だけが「国の借金(国債)」と言うものが生まれるのです。国の借金が生まれる「仕組み」になっているからです。

世の中に、おかしな不都合なことが起きるようなら、その根源を探ってみてはどうでしょう。時間をさかのぼって、その始まり、原因はどうであったかを知ることが重要なのではないでしょうか。
ところが、今の学者、政治家、マスコミなどの日本をリードすべき者たちは、そんな面倒な事はしません。ただ現在だけを見て「借金を借金だ」「名前が借金なのだから借金に違いない」と言うのです。とても愚かなことではないでしょうか?