国(政府)は、国債を発行して、国民からお金を借りるが、予算を執行(歳出)することによって、国民から借りたお金は全て国民に戻される。
したがって、次の年度に政府は再び国債を発行して、前年度に国民に戻したお金を借りることができる。そしてまた、予算執行によって、そのお金を全て国民に戻すのである。
これが、永久機関のように毎年繰り返されるのだ。
世間でよく言われるように「政府は国債を発行し続けると、いずれ国民の保有する金融資産が枯渇してしまうので、外国からお金を借りなければならなくなる、などと言う事はありえない。また、国(政府)が破綻することもありえない。さらに、経済学の教科書に書いてあるような「クラウディングアウト」なるものも、起きるはずがない。」

ところで、借金、すなわちお金を借りるとはどういうことなのか?
個人Aが、個人Bから100万円を借り、AはB に100万円の借用証書を渡したとする。そうすると、Aはこの100万円を全て自分のために使うだろう。まさかB のために使う事はしないはずだ。Bのために飲食を提供したり、服やカバンを買い与えたりするはずはない。
そんなことをしたら、Aは何のためにBからお金を借りたのかわからない。
こんなバカなことをする人間は、世の中にいるはずはないが、こんなことをする政府は厳然として存在するのだ。
政府は、公共事業などで国民に仕事を発注し、その代金を国民に支払う。あるいは、社会保障費として年金や医療費等の補助として国民にお金を払う。あるいは地方への交付金としてお金を払う。
こうして国民から集めた税金も、国債を発行して国民から借りたお金も、全て国民に戻す。
政府は最初からお金を戻すつもりで、税を徴収したり、お金を借りたりするのだ。
しかし、これはいったい、お金を借りたことになるのだろうか?

ここで、注意して欲しい事は、借金証書である「国債」を政府は国民から返してもらっていない。国民から集めたお金は、全て国民に戻したのであるが、「国債」は国民の手元に残ったままと言うことだ。

これを一体どう考えれば良いのだろうか? 
これは、世間一般で行われる通常の金銭貸借とは全然違うようだ。これは、政府が国民からお金を借りたのではなく、政府は国民に「国債」と言う金融資産を贈与したと言う方がよほど正しいのではないか。
なぜなら、借りたお金を全て返したのに、借用証書である「国債」は、国民に与えたままになっているからだ。
あるいは、贈与と言う表現を使うよりも、政府が国民に貨幣(国債は国債市場でいつでもお金に変えることができるので貨幣と同じと考えて良い)を供給したと言う方がもっと適切なように思える。

しかし、それでは、なぜ政府はこんなにややこしい貨幣の発行の仕方をするのか、と言う疑問が湧くだろう。その答えは、日本で唯一の貨幣発行機関であるはずの日本銀行には、実際には貨幣を発行する能力がないからだ。
そんなバカなと思うだろうが、これは厳然とした事実なのである。

日銀は、日本銀行券(お札)を直接世の中に送り込むことはできない。日銀は、市中銀行に日本銀行券を送り込むことができるだけだ。(日銀は市中銀行から、債権や手形を買い取るのと引き換えに、日銀券を支払う) 
それ以上の事は日銀には何もできない。あとは、銀行が企業や個人にお金を貸すと、初めて預金と言う形でお金が世の中に出ていく。
したがって、だれも銀行からお金を借りなければ、お金は世の中に出ていかない。世の中のお金(マネーサプライ)は全然増える事は無い。

もう少し詳しく言うと、世の中の景気が良ければ、事業を起こしたり、設備投資をしたりするために、多くの企業や個人は銀行からお金を借りるだろう。そうすると、世の中のお金は増える。
しかし景気が悪ければ、その反対に人々は銀行からお金を借りなくなるので、お金は増えない。
要するに、世の中のお金が増えるのも減るのも、景気の良い悪いにかかっているのだ。日銀が世の中のお金を増やしたり減らしたりしているのではない。
そして、銀行も自分から積極的に貨幣(預金)を発行することはできない。あくまで景気が良くなって、民間の企業や個人がお金を借りてくれるかどうかにかかっているのだ。

ところで、日本は20年以上もデフレが続いて景気の悪い状態が続いているので、銀行貸し出しはさっぱり増えない。それで、世の中にお金が出回らないので、ますますデフレになって、ますます景気が低迷する状態が続いている。

安倍政権は、この状態をなんとか変えようとして、アベノミクス(大金融緩和政策)を実行したが、それは、日銀が市中銀行から大量に国債を買い取って、日銀券(ベースマネー)を大量に銀行に送り込むと言う政策であった。
しかし、この方法は、8年かかってもさっぱり効き目が現れなかった。
それもそのはずで、お金は銀行の日銀当座預金口座に貯まる一方で、全然世の中に出て行かなかったからだ。
こうして、アベノミクスの推奨者、日本の経済学の重鎮、元エール大学教授、浜田宏一の説は大間違いであることが証明された。
しかしそれでも、政府は全く政策の転換を図ることをしない。そしてその上、救いようがないことに日本は、コロナに突入し塗炭の苦しみを味わうことになった。

さて、この八方塞がりの状態を打開するためには、どうすれば良いのか? 
われわれは、現実を直視し、現実に合わせて頭の中を切り替えるしかない。
日本銀行には、貨幣を発行する能力がないと言うこと(社会がデフレで不況の状態にある場合において)。
それでは、日本銀行に代わって誰が貨幣を発行することができるのかと言うと、それは、政府による国債の発行以外にはないと言うこと。
政府は、これまでに毎年40兆円程度国債を発行してきたが、これは景気を下支えするための、貨幣発行と同じ立派な政策であったと言うこと。
それでもGDPは横ばいのままで、デフレから脱却できないのは、国債の発行額が少なすぎたと言うこと。
すなわち、日本全体に大きな需給ギャップが起きていると言うこと。以上の現実の状況をしっかり見極めることが大事だ。

では、なぜ日本にはこれほど大きな需給ギャップが起きているのか? 
それは、国全体の生産能力が著しく増大し、供給が高まる一方であるのに、その生産されたものを購入するために必要な、十分な所得を国民が受け取っていないからだ。なぜ所得が十分ではないのか?
生産能力が高まると言うこと、すなわち、機械、コンピューター、ロボットなどの性能が高まれば、人間の労働に代わって、これら機械やロボットが生産に携わるようになる。
そうすると、当然人間の働く場が少なくなり、なおかつ、機械、ロボットの補助的な単純労働にしか携われなくなる。
これでは、人間の労働の値段である賃金は下がる一方になる(これは統計にもはっきり表れている)。
その上、政府は法律を改正し、外国人労働者をどんどん受け入れつつあるので、なおいっそう賃金は下がる。
このようにして、国民の総所得、すなわち国民全員の賃金の合計額は下がる一方になる。
ところで、当たり前のことであるが、ものを買うためにはお金がなければならない。お金がなければ、ものは買えない。
国全体の需要とは、言い換えれば国民の賃金の合計額(総所得)である。この総所得が下がる一方になれば、当然、国全体の需要も下がる一方になる。
結局、生産力が高まって、生産されるモノ、サービスが増えても、それを買うお金がないので買うことができない。したがって生産する側は、生産を縮小する以外にない。

これが現在の日本に起きている供給(生産)に対して、需要(消費)が不足する状態、需給ギャップの正体なのである。
この需給ギャップを誰が是正するのか?
もちろん、これを正すことができるのは、日本国において、唯一政府しかない。

政府は、国民から徴収した税金以上に歳出することによって、国民の所得を増やし、国全体の需要(消費)を高めることができるのである。
政府は税収分だけ歳出していたのでは、何にもならない。これでは、国民の所得は全然増えないので、需要は高まらない。
すなわち、均衡財政を行っていては、いつまでたっても需給ギャップは治らない。したがって、デフレでも治らない。

我々は、江戸時代や室町時代のような、生産能力がほとんど高まらない時代に暮らしているのではない。
生き馬の目を抜くほどの、凄まじい生産能力の向上の時代、21世紀に生きているのだ。したがって、年々の生産能力向上分を、国債発行分に当てて、国民の所得を増やし、需給のバランスをとらなければならないのだ。
江戸時代なら、均衡財政でちょうどよかっただろう。何しろ、生産能力向上がほとんどなかったのだから。
ここで結論が導かれる、現在の主流派経済学者の頭の中は、江戸時代を想定した経済学なのだろう、と言うことだ。