「人々は、ミクロ経済とマクロ経済を混同している。ミクロ経済主体(企業や個人)は、他の企業と競争して、負ければ生き残る事はできないと言う厳しい競争社会の中にある。
我々は、企業に所属するか、個人で事業を営むかして、常に競争を生き抜いているのであるが、この競争原理は、ミクロ経済において働く原理である。
ところが、これらのミクロ経済主体が集合して成り立つ一国経済のようなマクロ経済では、ミクロ経済とは別の原理が支配している。と言うよりは、マクロ経済には、競争原理は働いていない。
ある国と他の国が、経済の上で競争関係にあると言う事は無い。先にも説明したように(前のブログを参照)、ある国の経済発展は、他の国の経済発展でもある。ある国が経済発展したために、別の国の経済が衰退すると言う事は無い。
ただし、この時、それぞれの国は、適切なマクロ経済政策を行わなければ、自国の豊かさを守ることはできない。その政策とは、一国全体の生産能力と貨幣量(総所得)を一致調和させること、言い換えれば、失われた所得を支給することである。
新興工業国から、安価な製品が流入することによって、自国内の製造業が衰退し消滅するのを見て、これは自国の産業が新興国に負けつつある姿であると認識するのか、それとも、自国の代わりに新興国が生産してモノを提供してくれるのであるから、これも自国の生産能力の範囲内であると認識できるのかの違いである。
あるいは製品価格で、新興国に負けないために、自国の労働者の賃金を低下させるような雇用政策を実施して、総所得(貨幣量)を減少させる努力をするのか。それとも、自国、他国を含めた生産能力の向上に合わせて、所得が上昇するような政策を行うかの違いである。
そもそも、自国の労働者の賃金を新興工業国のレベルに合わせてはいけない。新興国との国際競争に勝って、輸出を維持するためには、国民の所得水準を新興国の水準に向けて不断に切り下げていくしかないからである。
これは自国の豊かさを自ら放棄することだ。
ミクロ経済とマクロ経済を同一視してはならない。
個々のミクロ経済主体は、自己の利益を追求する行動原理を持つ。この原理に従って、同業他社との熾烈な争いに勝つために、より低価格で、より品質の良いものを生産するように工夫し、切磋琢磨する。こうした競争原理があるからこそ、安くて良いものが生み出され、人々の生活は豊かになる。
その反面、競争に勝つために企業は常にコスト削減の努力をしなければならないが、その大部分は、賃金の削減によって成し遂げようとする。ミクロ経済主体である企業にとって、賃金は低下すればするほど望ましいことであるに違いない。
しかし、一国全体のレベルで賃金が低下してしまった場合、一国全体の需要はそれだけ確実に低下する。需要が低下すれば、それに合わせて生産も削減しなければならない。結局、一国全体の経済は縮小していくしかない。
ミクロ経済主体(企業)にとっては望ましいことが、一国全体の経済(マクロ経済)にとっては、全く望ましくない結果となって現れる。
なおかつ、国全体の需要が減って経済が縮小すれば、それはとりもなおさず、生産者である企業にとっても、苦しい経営状況に追い込まれることになるのであり、企業は苦し紛れに、なおいっそう賃金を削減しようとするだろう。
さて、ミクロ経済において望ましいことが、なぜマクロ経済としては望ましくない結果になるのだろうか。
それは、ミクロ経済主体の生産者(企業)は、経済全体(マクロ経済)の一部分でしかないからだ。一部分にとって有益なことが、そのまま全体にとっても有益になると言うものではない。むしろその逆になることの方が多い。なぜなら経済には、生産と需要と言う2つの面があるからだ。この両方にとって有益でなければ、経済全体が良くなる事は無い。
これは、考え方としては、部分観と全体観の違いと言っても良いだろう。部分観においては正しくても、全体観に立てば正しくないと言う事は、社会にはいくらでもあることなのである。あくまで我々は、全体観に立って、経済全体を良い方向に導くために、工夫しなければならないのである。」
上に挙げた文章は [ 日本国債は国の借金ではなく通貨発行益であることを証明する]から引用したものです。
経済全体を良い方向に導くために、我々はどのような工夫をしなければならないでしょうか?
現在、政治はミクロ経済を基準とした経済政策を行っているが、これを転換して、マクロ経済主体の政策に切り変えるのです。
ミクロ経済にあっては、強い競争原理が働くので、企業は経費削減、賃金削減を強行し、家計は消費削減に走るので、一国全体の総需要は、どこまでも減少していきます。それに合わせて、生産する側は生産を縮小するしかなくなり、結果として経済成長が止まってしまうのです。
この時に力を発揮する事ができるのは、ミクロの競争原理から超越した存在である政府しかありません。
政府は国債を発行することができます。これによって不足する総需要を補うのです。ミクロの力ではどうすることもできない競争原理の呪縛からマクロ(政府)が、経済不況から国を助けだすのです。
