経済の実体は「生産」である。「貨幣」は経済の実体ではない。生産されたものを流通、分配する上で便利が良いので貨幣が使用されるのである。貨幣自体が働いて生産を行ってくれるわけでは全然ない。
ところが、人々はこの根本的なことを忘れてしまい、あたかも貨幣が経済の実体であるかのような錯覚を抱いてしまう。
そして、お金の流ればかりを見て、経済がわかったように思い込む。その典型的な間違いを犯しているのが、経済学と言う学問である。
我々がしっかりと見極めなければならないのは、「貨幣」ではなく「生産」である。
その「生産」は、絶えず成長し増大する。生産能力(生産性)は常に向上し続ける。なぜなら、人間は絶えず研究し、工夫し、生産能力を高めることに力を注ぐからだ。
科学の分野においても、その科学を実際に応用する技術の分野においても、日々進歩し発展している。
こうして、一国全体の生産能力は高まるのであるから、国内総生産(GDP)は、常に成長し、増大するはずである。
はずであるが、現実は必ずしも、そうならない。なぜなら、国内総生産(GDP)と言う統計は、金額で表示されるからだ(500兆円とか、520兆円と言うように)。
一国全体の生産能力が高まって、モノ、サービスの生産数量が増大しても、それらモノ、サービスの価格が全体的に下がると、当然、一国全体のモノ、サービスの合計額(正確には付加価値の合計額)であるGDPは増えない。
結局、生産能力が高まり、生産数量は増えているのに、生産数量の合計額であるGDPは増えないことになるのだ。
では、なぜモノ、サービスの価格は下がるのだろうか?
それは、もちろん、生産者同士が競争するからだ。生産者は他の生産者に勝つために、より品質の良いものを作り、それをより安い価格で売ろうとするからだ。
その上、機械などの生産設備は常に改良されて、より生産能力が高まるので、それだけモノの単価は次第に下がることになる。
さらに、商品の単価が下がれば、それを生産する企業はそれだけ収益が減ってしまうので、利益を維持するために、多くの場合人件費を削減しようとする。
こうして、労働者の賃金は、1997年以降一貫して下がり続けているのである。
さて、科学、技術が進歩し、一国全体の生産能力が向上して、生産数量は増加したのであるが、単価が下がることによって、一国全体の付加価値の合計額であるGDPは低下することになる。
さらに、追い打ちをかけるように、賃金が下がることによって、国民全体の所得の合計額も下がることになり、必然的に一国全体の総需要も低下することになる。総需要が低下すれば、生産者側は生産を控えなければならない。生産を控えれば、もちろんGDPは低下する。
こうして社会は、底なしのような不況に突入するのであるが、その不況は根強いデフレを伴うことになるのである。まさに、日本の現状そのままである。
さて、賃金は1997年以降下がり続けているが、同じようにGDPも1997年以降低迷を続けている。このことによって、賃金とGDPは完全に連動していることがわかる。
ミクロ経済社会と言うものは、強く競争原理が働くので、商品の単価は下がり、さらに労働者の賃金も下がり、そしてGDPが下がるのである。
しかし、これは本来の日本国全体が持つ生産能力の向上とは、まるで反比例した姿なのである。生産能力は常に向上し続けるが、その向上分を正確に社会の豊かさに反映することができないのが、ミクロ経済社会の持つ宿命なのである。
冒頭部分で、経済の実体は「生産」であり、「貨幣」ではないと述べたが、実体であるはずの「生産」を正しく反映、評価した経済運営を日本政府は行っていないので、生産能力が向上すればするほど、日本社会は貧しくなっていくのである。
では、日本政府はどうすれば良いのか?
日本国において、政府しか保有していない強力な権限である「貨幣の発行」により、「生産能力の向上分」と同等の所得を国民に与えることによって、供給と需要のバランスを正せば良いのである。そしてデフレを解消すれば良い。
現在、日本政府は貨幣「政府紙幣」を発行していないので、貨幣の代わりに国債を発行して、財政出動をすることによって、あらゆる局面にお金を注ぎ込み、国民を豊かにすれば良いのである。その財政出動の額は、インフレ率によって規制されるだけである。
以上は、MMT 理論の根拠を説明したものである。
