経済の実体は「生産」である。決して「貨幣」ではない。貨幣自体は、全く生産にたずさわる事は無い。1万円札が労働をするなどと言う事は無い。
生産は、人間と生産設備(機械など)の両方によって行われる。
貨幣は、ただ単に生産されたモノ、サービスを売買する上で、便利が良いので使われるだけだ。
このように言うと「そんな当たり前の事は言われなくてもわかっている」と多くの人々は答えるだろうが、実は、ほとんどの人はこれがわかっていない。その良い例が「年金」に関することだ。
日本は少子高齢化がかなりのスピードで進みつつある。現在は、高齢者(年金受給者)と、それを支える現役世代との割合が、
[1 : 2.5 ]すなわち、現役世代が2.5人で1人の高齢者(年金受給者)を支えているが、何年か後には、この割合が [1 : 2 ]になり、いずれは [ 1:1 ] になるのは確実である。これでは年金制度が持たないだろう。
そこで、厚生労働省が考える事は、次のようなものだ。まず、年金支給額を徐々に減らしていき、かつ年金支給年齢を少しずつ上げていく。さらに現役世代からの年金徴収額を少しずつ増やしていく。
このようにして、世代間の比率が [ 1:1 ]になっても、何とか年金制度を存続させようとするものだ。
この計画は、すでに20年も前から実行にうつされているので、現在の年金受給額は、既にかなり減らされていて、ほとんどの高齢者はカツカツの生活を送っていると言う有様だ。
まして、これから先、年金を受け取る世代は、もはや年金だけで生活できるかどうか非常に危ぶまれる。いずれにしても、今後年金制度は崩壊する恐れが強いのである。ただし、厚労省は口が裂けてもそんな事は言わないだろう。
さて、ここで冷静になってよく考えてみてほしいことがある。それは、冒頭部分で述べたように、経済の実体は「生産」であり、決して「貨幣」ではないと言うことだ。
そして、
生産とは [人間の労働+生産設備(機械、コンピューター、ロボット、AIなど) ]の両方によってなされるのであって、[人間の労働 ] だけではないと言うことだ。
人間がトンカチやペンチなどの道具だけで、電気製品や自動車を作っているのではない。
そうであるなら、働く人間の減少分だけを計算して、年金支給額を決めるのはおかしいではないか。働く人間の数が減っても、生産設備などがそれ以上に生産能力を高めることによって、労働者の数の減少を補うか、あるいはそれ以上の働きをするのであれば、全体としての生産能力はむしろ高くなっているではないか。
生産能力が高まるのであれば、むしろ年金支給額を増やすのが正しいはずだ。
現役世代の人数が減れば、確かに年金徴収額の合計は減るだろう。しかし、この点だけから年金支給額を決めるのは、まさに「経済の実体は貨幣である」と言う考え方に陥っているのであり、とんでもない間違いだ。
何しろ、人間の労働力以上に、機械、ロボットは働いて生産を上げているのだ。しかし、機械、ロボットは給料をもらえないので、給料の中から社会保険料を支払うこともない。しかし、機械、ロボットは確実に生産を行っているのだ。それも人間以上に働いているのだ。
そうであるなら、機械、ロボットの生産力に相当する給料及び社会保険料を政府が計算して、これを国の1年間の年金徴収額として、1年間の年金支給額に加えれば良いのだ。
「え?、そんなお金は現実には無いではないか。」と言うだろうが、とんでもない、政府はお金を発行する権限を持っているのですよ!政府はものすごい力を保有しているのです。政府は法律を制定する権限を持ち、国民から税を徴収する権限を持ち、国家予算を決定する権限を持ち、警察権、裁判権を保有し、軍隊(自衛隊)を保有し、そして貨幣を発行する権限を持っているのですよ。(貨幣発行とは実際には国債を発行すること)
これらの力を、国民の安全と幸福を実現するために政府は存在するのだ。お金が目の前でボロボロ失われていくのを、ぼんやり眺めるためにあるのではない。これでは大変な国益の喪失ではないか。
なお、失われているのは年金だけではない。労働者の賃金も失われているのだ。日本において、1997年以降、平均賃金はずっと下がり続けているが、これも年金と同じように、機械、ロボットなどの生産設備の能力向上分を、政府が計算して労働者の給料に加算しないため起きている現象だ。
ただし、この問題は長くなるので、次のブログで詳しく説明する。
日本をリードすべき政治家、経済学者、評論家、マスコミの多くは、日本は人口が減少し、その上少子高齢化が進むので、もはや経済成長は無理だ。現状を維持するのが精一杯だと言う考えを持っているが、これは大間違いだ。
この人たちは、お金の計算ばかりして、生産能力の向上と言う面を全く無視している。すなわち、「経済の実体は生産」と言うことを忘れ、「生産の実体は貨幣」と思い込んでいるのだ。