戦後の日本において、高度経済成長が始まったのは1955年(昭和30年)頃であった。この当時のマネーサプライ、すなわち世の中に出回るお金の量は、4兆円程度であった。

ところが、その42年後の1997年には、マネーサプライは570兆円にまで膨れ上がっているのだ。実に世の中に出回るお金の量が132倍になっているのである。132倍とは、途方もない増え方であるので、当然ものすごいインフレを起こしそうであるが、実際にはこの42年間で、消費者物価の上昇は、わずか5.8倍に過ぎない。

お金の量が132倍になると、物価も132倍になると言うものでは無いようだ。

しかも、1970年代には2度のオイルショックによる激しい物価の高騰があり、その上この42年間の賃金の上昇は、23倍にも達しているのである。

このような状況下で、年平均のインフレ率がせいぜい4%程度と言う、比較的穏やかな物価上昇に過ぎなかったことになる。

なぜこの程度の物価上昇で済んだかと言うと、この42年間の国全体の生産能力が、著しく向上したからである。

国内総生産(GDP)の統計によると、1955年にわずか8.6兆円であったGDPが、1997年には520兆円にまで増加しているのである。倍率で言うと、GDPが約60倍に増えたことになる。42年間で国内総生産が60倍になるのであるから、いかに凄まじい生産能力の向上があったかと言うことだ。


以上のことから、我々が意識におかなければならないのは、生産がどのように変化したか、どれほど生産能力が向上し、モノ、サービスが増大したか、あるいはしなかったか、と言うことである。

そして、その生産量に合わせて、貨幣量を増減させれば良いと言うことである。もし、生産量が全く増えていないのに、貨幣量が極端に増えれば、この場合は当然、激しいインフレが起きるだろう。


この1955年から1997年までの間に、 GDPが60倍に増えたことも素晴らしいが、より理想的な経済成長の姿を示しているのは、物価の上昇が5.8倍であったのに対して、賃金の上昇が23倍であったことだ。このことが国民全体に与えた豊かさの実感は素晴らしいものがあった。

1980年代の日本は、「1億総中流」と言われ、また「ジャパン アズ  ナンバーワン」とアメリカの学者に言われたほどであった。


ところが、実に驚くべきことに、この1997年を境にして、日本は経済成長がピタリと止まり、国内総生産(GDP)は、ほぼ横ばいのまま今日に至るのである。

それまでは、必ず右肩上がりに経済成長していた日本がである。

さらに不思議なことには、この年以降、賃金が常に下がり続けると言う現象が起き、その上、それまでのインフレ傾向が、真反対のデフレに転換すると言う有様になった。

一体、1997年に日本はどうなってしまったのか?  この年から突然、生産能力の向上が止まってしまったのか?

そんなはずは無い。そもそも、1990年代に入って、情報通信革命(IT革命)なるものが起きて、幅広い業務に画期的な効率化が行われ、生産能力は飛躍的に伸びたはずである。

コンピューターの性能だけに限っても、この時期に相当な進歩を遂げ、あらゆる業種に活用されるようになっている。例えば銀行のATMは、銀行員の代わりに多くの業務をこなすようになり、製造業においては、ほとんどの機械にコンピューターが組み込まれ、人間の手による作業に比べ、数十倍のスピードで正確にものが作られると言うように。

おそらく、1990年代以前の生産能力の向上よりも、1990年代以降の向上の方が、はるかに大きかったと思われる。そうであるのに、国内総生産(GDP)が低迷し続けるのはなぜだろう? 

それは、明らかに賃金の低下に原因があると考えられる。すなわち賃金の低下による国民の総所得の減少が、総需要の低下を招き、生産(供給)にブレーキをかける原因になっているのだ。

どんなに生産能力が高まり、大量にモノ、サービスを生産しても、それを購入してもらうためのお金を、国民が十分に持っていなければ、買うことはできない。そうなれば、生産する側は生産を縮小するしかない。だから、GDPは頭打ちのまま伸びることができないのだ。


それでは、なぜ賃金は低下するのか?

その理由は、まさに生産能力の著しい向上にある。

生産能力が向上するとは、具体的にはどういうことか。例えば、10人規模の製造工場が、新しい優れた機械を導入した結果、それまでと同じ生産量を、半分の5人で生産するようになると言う形になる。

この場合、新しい機械を導入したので、人員は10人のままで2倍の生産量を達成すると言うことにはならない。なぜなら、この工場のもつシェア(製品の販路)は簡単には増えないからだ。(他にも同じ製品を製造する会社があるから)

したがって、生産能力の高い機械を導入した会社は、生産量は増やさずに、人員を削減すると言う方法をとることになる。

そして、この会社はそれだけ人件費を節約することができたので、製品の単価を下げるだろう。なぜなら、同業他社も同時期に同じような新しい機械を導入して、やはり単価を下げるだろうから。

これが市場経済における競争原理と言うものだ。このようにして、生産能力が高まると言う事は、雇用する労働者を削減し、次いで物の値段を下げる競争が起きると言うことである。

すなわち、次第に労働者は働く場を失い、そのため労働者の余剰が起きて、労働者の価値が低下し、結局賃金が下がるのである。それと同時に、モノの値段が下がり、デフレ経済に陥るのである。


よく思い出して欲しいのは、1990年代から2000年代にかけて、盛んにリストラ(人員削減)が行われるようになったことだ。

大手家電メーカーから自動車メーカー、銀行、スーパーに至るまで、あらゆる業種でリストラが流行ったものだ。割増の退職金を出すから自主的に退職してくれと言うものから、嫌がらせをして無理矢理退職させるものまで、いろいろであった。

全然別の業種への「出向」などと言うものもあった。

分けても凄まじかったのは、NTTの11万人の大リストラであった。このリストラは、不思議なことにマスコミもあまり報道しなかったが、ちょうど小泉構造改革時代の、郵政民営化の大騒ぎに隠れてしまったのか。

しかし、郵政民営化でさえ、今から思えばやらなくてもよい大リストラであった。

この頃から「ブラック企業」なる言葉もよく耳にするようになった。


ところで、最近はリストラと言う言葉は、あまり聞かれなくなったが、人員削減はもうおさまったのだろうか?  いやいや、とんでもない、形を変えたのだ。非正規雇用と言う形に。

経団連を筆頭に、企業経営者の集団は狡猾で、リストラ、リストラと世間から批判を浴びることにうんざりして、うまい手を考えだした。

それまで一部の職種に限られていた「労働者派遣法」を、2004年に改正して、すべての職種に適用されるようにした。

これ以後、雪崩を打ったように非正規労働者が増え続け、現在では全体の4割を超えるまでになってしまった。

非正規労働者は、給与が正社員の半分ほどで、社会保険にも加入してもらえない上、企業側の都合で、いつでも簡単にクビにすることができる。まるで「使い捨てカイロ」並みの扱いで、とても人権を尊重するはずの文明国家の雇用形態とは思えない。まるで、時代を百年以上さかのぼってしまったかのような感がある。

しかし、よく考えてみなければならない事は、機械やコンピューターが発達して、人間の労働が余分になってしまったのだから、企業側が労働者を買い叩くのは、ある意味当然のことだろう。

また、労働者側も他に仕事がなければ、「使い捨てカイロ」のような非正規でも、甘んじて働くしかないだろう。

さらに科学、技術を研究するものは、たゆまず研究を重ねて、ますます機械、コンピューターは進歩発達し、ロボットやAIが人間の仕事を奪うだろう。

すなわち、企業も労働者も研究者も誰も悪いとは言えない。これらミクロ経済主体は、それぞれが自己の利益を追求して、精一杯経済活動を行っているのだ。

しかし、そのために賃金がどうしようもなく下がり続け、その結果、国内総生産(GDP)が停滞してしまうと言うパラドックス状態に日本は陥ってしまったのである。

科学、技術が進歩したことによって、我々は豊かになるのではなく、反対に貧しくなっているのだ。こんなことがあって良いものではない。これはひとえに、科学、技術の進歩を、豊かさへつなげる知恵が我々に欠けている証拠である。

どうすれば良いのか?   

ミクロ経済ではどうすることもできない状況を転換することができるのは、マクロ経済主体である政府だけである。政府が失われた国民の賃金を補填するのだ。

本来、科学、技術の進歩に比例して増えなければならないはずの国民の所得を、政府が補うのである。政府は、貨幣(すなわち国債のこと)を発行する権限を持っているのだから。

以上はMMT が正しいことの理論的根拠を示したものである。MMT は「機能的財政出動」と言う用語を使うが、この言葉の意味を詳しく説明したのである。