経済を成り立たせているのは生産である。決して貨幣ではない。
ところが、ほとんどの人間は貨幣が経済を成り立たせていると勘違いしている。しかし、貨幣は経済においては、生産されたモノ、サービスを取引、分配する上での便利な仲介物でしかない。
生産が全く行われていない地域、例えば砂漠のど真ん中に、お金だけを持って出かけても、何も買うことはできない。あくまでお金が役にたつのは、生産が行われている地域においてのみである。南極でも、シベリアのツンドラ地帯でも、お金は役に立たない。
そんな当たり前の事は、言われなくてもわかっていると言うだろうが、極めて残念なことに、大半の人々がこの当たり前のことがわかっていない。
だから、国家レベルの経済(マクロ経済)について、とてつもない勘違い、判断の誤りを犯してしまうのだ。その最たるものは、日本は巨額の財政赤字を抱え込んでいるので、いずれ破綻するだろうと言うものだ。
財政赤字とは、要するにお金の額を示すものに過ぎない。上でも述べたように、マクロ経済においては、お金は経済の仲介物でしかない。経済において、最も重要なものは「生産」であり、生産がしっかり行われる国においては、破綻などあり得ないのである。
ただし、ミクロ経済主体(個人や企業など)については、借金が返済できなければ、破産、倒産は充分あり得る。
大事な事は、ミクロ経済とマクロ経済を混同しないことである。
さて、マクロ経済(国全体の経済)においては、「生産」がいかなる状態にあるかが最も重要なのであるが、国全体の生産力は常に変化している。決して同じ生産力が長期間にわたって続くものではない。
特に20世紀から21世紀にかけて、生産力は急激に向上した。例えば、20世紀前半においては、現在のような家庭電気製品はほとんどなかったし、また自家用乗用車もほとんどなかった。これらは皆 20世紀後半になって、多くの一般家庭に普及したものである。
さらに21世紀に入ると、コンピューターが急速に発達し、生産のあらゆる面に活用されるようになった。製造業においては、ほぼすべての機械にコンピューターが組み込まれ、プログラムに従って正確に、しかも驚くほどのスピードで生産が行われ、またサービス業その他の業種においても、コンピュータはなくてはならないものになり幅広い活躍をしている。
これらの機械、コンピューターの進歩、発達は国全体の生産能力を著しく向上させ、モノ、サービスの生産は増大する一方である。
と、このように述べると、たちまち反論が起きるだろう。「そんなことを言っても、国全体の生産力を表す統計、国内総生産(GDP)は、1997年以降25年も横ばいが続いているではないか、どうして著しい生産力の向上があったと言えるのか?」と。
なるほど、確かにGDPは横ばいが続いている。しかし、これは「生産力」に問題があるからではない。生産されたモノ、サービスのうち、買ってもらえたモノ、サービスの合計額をGDPは表しているからだ。
どんなに「生産力」が高く、大量にモノ、サービスを生産しても、それを買ってもらえなければ、生産者側が損をするだけなので、生産を控えることになる。
すなわち、本来はもっとたくさんモノ、サービスを生産することができるのにもかかわらず、実際は売れるだけしか生産しないからだ。
結局、生産力の問題ではなく、購買する側、消費者側の問題になるのである。
消費者の側、すなわち国民が十分なお金を持っていないから、国全体の生産力に見合った消費をすることができないのである。
わかりやすく言うと、 ある商店が、店先に100万円分の商品を並べたが、そこにやってきた何人かの客の手持ちのお金が、全部合わせて50万円しかなかった。そうすると、どう考えても、この店の商品は50万円以上は売れないことになる。そこでこの店主は、翌日から50万円分しか商品を仕入れなくなった。
よって、この店の売り上げ(GDP)は50万円に決定したのである。
以上の話と全く同じことが、日本国全体に起きているのだ。要するに、日本国民に、日本全体の生産力にふさわしいお金(所得)を持ってもらえば良いのだ。
ところがここに、どうしようもないジレンマが起きるのである。科学、技術が進歩すると、機械、コンピューター、ロボットが発達して人間の代わりに仕事をするようになり、人間の仕事が奪われてしまう。
すなわち、人間の労働が次第に不要になることによって、賃金が低下し、国民全体の総所得が減少すると言う現実が生じるのだ。
国全体の生産力は高まるので、モノ、サービスの生産量は増える一方であるのに、それを買うお金がどんどん減っていくと言うジレンマである。
このために、GDPは完全に頭打ちになってしまうのだ。これが現在の日本の経済状態であり、生産力(供給)に対して需要が過少であるために、頑固なデフレに陥るのである。
賃金の低下は、統計にもはっきりと表れていて、1997年以降今日に至るまで常に下がり続けている。
1997年は、GDPが停滞、下降し始めた年でもあり、賃金の低下とGDPの低下は完全に連動している。
それでは、1997年前後、日本社会にどのような現象が起きていただろうか?
消費税が3%から5%に上がり、医療費の負担も上がって、本格的な不況に突入し、リストラ(人員削減)が大はやりになった。さらに、社員に無茶苦茶な働き方をさせるブラック企業なるものも、この時期に出現した。
その後やってきたのが、非正規雇用の急増であった。非正規労働者は、給与が正社員の半分程度で、社会保険にも加入してもらえない上、会社の都合で簡単にクビになると言う、まるで「使い捨てカイロ」並みの扱いで、文明国家の雇用形態とは思えない身分だ。
これは、間違いなく国家を衰亡させる制度だが、政治は企業経営者よりなので、問題視する様子もない。
「リストラ」「ブラック企業」「非正規雇用」どれをとっても労働者には悲惨な境遇でしかない。
しかも、30年前までは、このような言葉は聞かれることもなかったし、また賃金は毎年必ず上昇するのが当たり前であった。1億総中流と言われ、豊かさを実感できる時代であった。
これらが全て逆転したのであるが、その原因は科学、技術が進歩し、機械、コンピューター、ロボットが人間の仕事を奪い、人間の労働の価値が低下したからだ。
分けてもコンピューターの発達は凄まじいもので、 2年か3年前のコンピュータはもう古くて性能が劣るほどだ。現在、スマートフォンは毎年、新機種が販売されている。
これら、コンピューター関係の凄まじい進歩、発達は全て生産活動に生かされ、生産能力は加速度的に向上しているのである。このことが、社会全体にどれほどの影響を及ぼし、社会を急速に変化させているか。
われわれは、江戸時代や室町時代のように、生産力にほとんど変化のない時代に生きているのではない。
そこで、1997年以前の経済に対する考え方を、すっぱりと捨て去り、別の考え方(パラダイム)を打ち立てなければならない。
それは、科学、技術の進歩が社会を豊かにする時代はもう終わったのであり、これからは逆に社会を貧しくするように変化したのであるから、財政健全化と言う考え方を捨てなければならないと言うことだ。
それはなぜかと言うと、科学、技術の進歩が賃金を低下させ国民全体の総所得を減少させることによって、大幅に需要を低下させるからだ。
生産能力の加速度的な向上に対して、それに反比例するように需要が低下し、構造的なデフレ経済に陥るのであるから、これを転換するためには、政府が財政出動することによって、国民の失われた所得を回復する以外にないからである。
MMT が主張するように、国債の発行は貨幣の発行記録(失われた所得の補填記録)となるのである。これ以外に、科学、技術の進歩を社会の豊かさに結びつける方法は無い。
冒頭部分でも述べたように、「生産」こそが経済の実態であるから、「生産」の増大に「貨幣」を合わせれば良いのだ。決して、「貨幣」が縮んでいく現実に「生産」を合わせてはいけない。それは本末転倒と言うものである。
それでも、「生産」より「貨幣」の方が大事だと言う人は、砂漠のど真ん中にお金だけ持って出かけてみてほしいものだ。ホテルもない、商店も自動販売機さえない砂漠のど真ん中に。
つづく
