世の中には、積極財政派と緊縮財政と、2つの真っ向対立する意見があって、それぞれ激論を戦わせています。
いったいどちらが正しいのか、多くの国民は悩んでいます。
しかし、この2つの考え方のうち、どちらが正しいのかを見極めるのは、意外と簡単です。

それは、日本全体の生産能力を知ることです。現在の生産能力はどれほどであるか。又、過去から現在に至る生産能力の変化が、どのようなものであったのかを知れば良いのです。
お金の計算ばかりしても何にもなりません。なぜなら、経済とは生産であり、モノ、サービスの生産があるからこそ、それを売り買いするお金が必要になってくるからです。
仮に、生産がゼロであるなら、その社会では、お金はいくらあっても何の役にも立ちません。
経済においては、生産が主であり、お金は従です。

さて、私は1,954年(昭和29年)の生まれですが、約60年前の幼児期の記憶をたどってみると、家の中には、電気製品と言えるものは、電灯とラジオしかありませんでした。台所には、かまどがあり、薪を燃やしてご飯を炊いていました。要するに、電気炊飯器もなければ、テレビも冷蔵庫も電気洗濯機も、その他の電気製品も何もなかったのです。
あるいは、近所に自家用自動車のある家も皆無でした。
約60年前の、日本の一般的生活様式は、このようなものでした。
ところが、それから10年ないし20年ほどで、各家庭の中には、電気製品が溢れんばかりに普及し、自家用車を持つ家庭がごく普通になりました。もちろん、その後も新しい製品が次々に生み出され、新しいサービスも生まれました。
60年前と現在とでは、モノ、サービスの生産量は、、天地雲泥の開きがあるほど大量になりました。国内総生産(GDP)では、約70倍以上に増えています。

以上が、経済の実態である生産量の変化です。生産量が増えれば、それに合わせて、お金の量も増やさなければなりません。モノ、サービスが増えたのであれば、お金の種類はプラスの価値を持つものでなければなりません。そのお金とは、政府が、ただお札を印刷して発行すると言う種類のものが最もふさわしいでしょう。
例えば、一万円札の場合には、製造費用(紙代と印刷代)は1枚につき十数円になります。そうすると、9,900円以上がこのお金を発行した政府の収益となります。
政府はこのお金をどうするのか。もちろん財政支出にあてます。公共事業に使い、社会保障に使い、公務員の給与にも使うでしょう。そうすると、それは国民にとって何を意味するのか。
当然、自分たちが納めた税金以上に、政治のサービスを受けることができます。
これらは、国民が当たり前のように受け取って良いサービスなのです。なぜなら、モノ、サービスの生産量が増えたことによって増やしたお金を使っているからです。モノ、サービスの量が増えていないのに増やしたお金では無いからです。もし、生産量が増えていないのにお金を増やせば、それはインフレと言う現象によって、国民の利益は失われてしまいます。
しかし、何度も言いますが、生産量が増えたのです。それに合わせてお金の量を増やしたのであるから、インフレにはなりません。現実に、今の日本はインフレに、しようとしてもインフレにならないほどです。

それから、大事な事は、何もしていないのに生産量が自然に増えたわけではありません。国民がよく働いたからです。国民が、工夫して機械を改良し、生産能力を高めたからです。あるいは、科学、技術を進歩発展させたからです。

政府がただお札を刷って、これを使うのは何か反則行為のように感じるかもしれませんが、全然そんな事はありません。工夫し、研究し、よく働いて生産量増やした国民が受ける当然の権利です。大威張りで受け取っていいのです。

ところが一体どうしたことでしょう。政府は1度もお札を刷って発行しませんでした。それどころか、政府のした事は、借用証書の発行でした。政府は、お札を刷る代わりに国債を擦りまくって、これを銀行や保険会社に買わせて、お金を集め、財政支出にあてたのです。
その結果、出来上がったものは、一千兆円もの政府(国)の借金でした。
なぜこんなことをしてしまったのでしょうか。
それは、政治家、官僚、学者、マスコミなど日本国の指導的立場にある人々が、「経済の実態は生産である」ということに気づいていないからです。戦後の高度成長期から今日に至るまで、どれほど生産の増大があったかと言うことに、まるで関心を持とうとしないからです。
とてつもないほどの生産の増大があったから、とてつもなくお金を刷って発行しなければならなかったということが、彼らにはわからないのです。
指導的立場にある人々は、工場と言う生産現場を覗いてみたことがないので、どれほど生産能力の向上が起きているのかを知りません。あるいは、自分の身の回りで便利な製品がどれほど増えているかと言うことにも興味を示しません。
その中でも、極めつけにひどいのは経済学者と言う職業の人々です。彼らは、自宅と学校(研究所)の間を往復しながら、生産の変化が世の中にどんな影響を与えているか、についてまるで目を向けません。研究室にこもって、文献を見たり、資料を見たりで一生を終えます。
そして、微分、積分、変微分、なんとか解析等と、高等数学を使って、お金の計算はものすごくやります。しかし、生産自体については関心がありません。経済の実態である「生産」には関心がありません。

以上で、わかってもらえたことでしょう。経済の実態を見ずに、お金の計算ばかりする人々は全員間違っています。
したがって、緊縮財政派は間違っています。国の借金がいくらで、資産がいくらでと言う計算しかしないからです。

この人たちは、戦後の日本はものすごく経済が成長し、生産が増大したが、その分のお金を発行すべきところ、間違って借金証書(国債)を発行してしまったことを知らないのです。生産が増大した分、国の借金が積み上がったことを知らないのです。
国の借金1千兆円は幻です。そんなものはありません。お金の出し方を間違えただけです。ある商人が、領収証を出すべきところを、うっかり借用証書を出してしまったようなものです。

ただし、現在、国債は借用証書としてではなく、立派な金融資産として世の中に流通しています。国債を返済してくれと、政府に掛け合う者は誰もいないからです。国債を現金に変えたい者は、国債市場で売れば良いからです。

これとよく似た金融資産に株があります。企業は株を発行して資金を集めますが、これは企業にとっては借金ではありません。株で集めたお金は返済しなくていいのです。
民間企業が発行した株は、借金ではないのに、国が発行した株(国債)は借金とは、一体どうしたことでしょう。

どうか日本国民は、頭の中を入れ替えてください。