
公園協会さんのイベントに出展しました。
おばあさんが焚火スイーツをくるくるして
なんとか完成させてたべながら
「おいしい。生きているうちにやらせてもらえてよかった。」
なんて言う。
あやうく泣きそうになったが、そこは俺なんで
「よかったろ!棺桶に入ったら食えないからな!」
とこたえるに決まってる。
べつのばあさんは、口にしてまもなく
「あまーい♪」
なんていう。
そこは俺なんで
「よかったな!辛かったらショックであの世だもんな!」
と言っておくしかない。
またほかのばあさんは
「わーたれるたれるー」
なんてキャッピキャピしてるんで
そこは俺なんで
「そりゃーたれるだろ!年取るといろいろなところが垂れて来るもんな!」
「キャハハ♪(ばばあの嬌声。)」
とほとんどセクハラですか。
ごちそうさま
ありがとう
おいしかった
て笑って帰ってくれる。
ほんの短い、しかししっかりキャンプだった。
ウチのスタッフは別として、ほかのスタッフは本当に次から次へと来るお客さんのことに一生懸命だった。
俺が一生懸命やるわけないんで、2時間半の実施時間中、3回は一服しに行ってたね。
ミーティングでは
「短時間ですが普段のキャンプと違うので相手との距離を考えて。」
「普段みたいにグワッとわしづかみにせず、ゆっくりしかも早く関係を作ってください。」
と良いことばっかし言っていたもんだから
アベベが途中で俺に突っ込む。
「コーチャンマン!わしづかみしてるじゃないすか!」
つって。
っち。
いい子ぶってやがら。
こういうイベントでは何を見るかというと
・導線
と
・挙動
です。
どういう風に人が流れてゆくのか、その中で、何か不自然は無いかを見るわけです。
見るというより、視野に入れておく感じです。目の隅っこのほうで不自然があれば気づいてあげられるのです。もちろん、ぼんやりしていたらどうしようもない。
導線がしっかりしていれば、不自然な挙動に気づきます。
導線があやふやだと、不自然で当然なので、挙動をみても困っているか、間違っているかなどを見てあげにくいわけです。
この意味が分かりますか。
動線というのは、環境に応じて人が自然に流れるもので
導線というのは、環境をつくって人を流すものです。
我々が作るのは導線です。もちろん完璧は無いです。
環境は周囲だけでなく、人間が持ちこむものもあるからです。
そうしたものをみるためには、時に現場を遠くから眺める必要もあります。
今日は、遠くから眺めようとしたらそこに「喫煙所」がちょうどあっただけで御座います。
現場を遠くから眺めるきっかけは、ばばあのかわいい一言になみだが出そうになったりした時です。