存在しない自分(自覚なき存在) -33ページ目
ピコ太郎は
世間をにぎわしている
僕には
あまりピンと来ていない
ちょっと
周りから取り残された感はあるけど
氣にはなっていない
むしろ
ホッとしている
「僕には僕なりの感じ方が
あっていいのだ!」
そうだ そうだ
昨日
少年の書いた本を手にした
タイトルは
「見てる 知ってる
考えてる」
中島 芭旺(ばお)さん
10歳
僕
おじさん57歳
今頃僕が知っている
知恵を
彼はすでに知っているようだ
これはショック
僕を超えているよな!
と思える部分さえもたくさんある
なぜか
涙がこぼれそうに・・・
岡本太郎さんも
好きなようだ
彼は両親以外の大人にも
熱~い視線を注いでいる
ちょっと怖いけど友達に
なれそうな氣がした
嬉しい感じ
壁さえ自分で作らなければ
だれからでも学べる
「施し」をすることは
仏教において
最も大切な
修行となっているそうです
その中に
「無財の七施」というものが
ありますが
これは
お金はなくともできる施しを
挙げています
.1.眼施(慈眼施)
.2.和顔施(和顔悦色施)
3.愛語施(言辞施)
4.身施(捨身施)
5.心施(心慮施)
6.壮座施
7.房舎施
「眼施」は
心から温かい眼差しを向ける
「和顔施」は
心から温かい笑顔を送る
「愛語施」は
心から感謝の言葉をかける
「身施」は
心をこめて身体を使って奉仕する
「心施」は
心から共に喜び共に悲しむ
「壮座施」は
自分の席を譲る
「房舎施」は
風や雨露をしのぐ場所を提供する
という意味だそうです
「施しは無上の善根なり」という
言葉もあるそうです
7の房舎施以外は
その氣になりさえすれば誰にでも
すぐにできそうです
というよりは
「当たり前」のことばがりであることに
氣がつきます
仏道修行において
このような施しが最も大切であると
説かれていること自体
当たり前のことを
当たり前のようにすることの難しさを
表しているのだと思います
さあ
当たり前のことを坦々と
当たり前に行う修行に出ましょう
最近お聞きした
こわ~い話
確かに
私はおっさんですが・・・
これは
私の話ではない
ある職場にやってきた
中年の男性は
口ばかりよく動くが
手はあまり動かないそうな
女性たちの間では
影で
その男性のことを
「おっさん」と呼んで話のタネとなっている
女性陣の方がその男性より
年上らしいのだが・・・
それを
あまりよろしくないと常々考えている
女性もいた
だから
その男性に
声をかけるときには
その人の
名前で呼びかけるようにと
普段から自分の意識に強く働きかけていた
ところが
その女性がその男性に用事があって
声をかけた際
うっかり
「おっさん」と
呼びかけてしまったのだったとか
ぱやぱや~
氣を付けよう
世のおっさんん仲間

