本日は先週の報道内容を踏まえた私見を綴っていきたいと思います。前回投稿は下記の通りです。


まず、スケジュール見直しによる下級生の稽古時間増加については劇団が見直すといった以上は先頭に立って管理システムを構築するべきだと思います。以前から思っているのですが、歌劇団においては事あるごとにこの自主性というものに甘んじて搾取しているように感じます。稽古だけでなくアクセサリー作りやその制作に関わる費用などもです。自主的な研鑽は大いに結構ですが稽古場という職場を利用している以上労働時間として認められるなら給与を出すべきですし、出さないならさせないこともまた必要です。管理というのはそこまでしてはじめて成り立つのではと個人的に思います。アクセサリーはじめ必要な経費含めて生徒任せな点は搾取と捉えられても何も言えないと思います。



新人公演の延期についての諸問題、まず早々の体調回復が厳しいウイルスであり拡大の危険性からも申告するのは至極当然ですし、黙殺するよう強要するのは言語道断です。実際複数名の体調不良者がいながら公演を続けていたようですし、こちらも管理面が自主的な報告によって形骸化していることが問題だと思います。特殊な形態の職種である以上体温測定や問診などを歌劇団として管理して公演実施可否を判断する必要があると思います。


そして星組上級生について、昨秋からあれだけ問題視されていたパワハラについてまったく学習しておらず、あまりにも問題に対する当事者意識が低いと思います。壁に追いやり複数人で取り囲むなど、どこからどう見ても指導から逸脱したイジメに等しい行為です。これが事実なら到底許されるものではありません。


プロデューサーの振る舞いもいただけません。労働時間を管理する立場がその管理対象たる稽古状況を見ておらず居眠りをしているのはもちろんですが、匿名の相談を吹聴までする始末。そもそも内部告発やいじめ告発は告発者の秘匿するように努めなければならないことです。今回形は違えども人間関係によるトラブルで起きたことを考えれば相談ひとつにしても慎重に扱うべきでした。それを安易に言いふらすところにパワハラや人間関係の問題に対する意識が低いと言わざるを得ません。軽率という他ないでしょう。



これだけ根深い問題で自分達で気づくことすら叶わないのなら、生徒個々人や組織の経営陣含め全員が外部の手を借り一から学び直す必要があると思います。生徒達は指導を信頼関係のもと行っているとタカを括っていますが、その状態が1番危険だということを理解しなければなりません。この言葉は相手を傷つけないか、パワハラに当たらないか常に意識しながらやらなければなりません。

経営陣は改善策を出すだけで終わっており、上述した通り実行は生徒任せになっている傾向が強いと感じます。稽古しかり現場・生徒任せな体制を改めなければなりません。主導でやる気がないなら経営から退くべきです。



今回、時間を要した理由として報道を知り、書き進められないほどガッカリしたということがありました。経営陣の無責任さは昨年から想像通りなので今更なんとも思わないのですが、昨年の悲劇と諸問題に対し連日厳しい声があったにも関わらず、生徒達にすら何も響いていなかったこと、これが何とも残念でなりませんでした。

組が違えど同じ夢を持った同志が心身を傷つけられ自ら命を絶たなければならなかった、そのことをもっと厳粛に受け止めていると思っていました。対岸の火事ではありません。隣家が、もっと言うなれば同じ敷地の別の離れから火が出ているようなものなのです。当事者以外の何物でもありません。

しかし、報道が事実であるならば一部の生徒たちは何ひとつこの重大な欠陥に気づいておらず未だ言葉のナイフを振り回しています。私はそれが残念でなりません。変わる可能性が万に一つあるなら生徒達の意識から変わっていくところからだと思っていたのですが、その傾向はまったく見られないという結果でした。





このことは私が宝塚という世界から離れるターニングポイントになるやもしれません。こんなにも理解がないとは、思いませんでした。






今は悲劇が再び起きないことを願い、1日も早く歌劇団全体が問題を重要なものと捉え直し正しい改善することを求めるばかりです。