前々回の続きになります。
平成14年7月にJAグループは「食料の安全・安心確保に向けたJAグループの取り組み方針」を決定し、「生産履歴記帳運動」の推進を打ち出しました。
これは、平成8年の0-157発生以来、11年のダイオキシン問題、12年の牛乳汚染事故、13年のBSE国内牛第1号発生、そして14年に食肉産地偽装表示事件と4年連続で国内農畜産物の安全・安心に対する消費者の信頼が失われつつあったことが背景にありました。
やや、専門的になりますが、「生産履歴記帳運動」とは、①生産基準にもとづく農産物づくり、②生産活動の日誌への記帳、③できた農産物の分別管理、④生産情報の開示、を通じて取引先・消費者に安全で確かな農産物と安心の生産情報を提供していくJAグループの取り組みでした。
この考え方は、まさしく、JA全農が取り組んだ「全農安心システム」の考え方をそのまま応用できる内容だったのです。
生産履歴記帳運動を推進する部隊として、平成14年の8月にJAグループ全国組織の指導機関であるJA全中(全国農業協同組合中央会)に「食の安全・安心対策室」が設置され、JA全農からもこの部隊に「全農安心システム」の仲間が出向しました(現在、JA全農営農・技術センター農産物商品開発室長の東野さんです)。
私は、1年間はJA全農の技術者の立場で、おもに生産履歴のデータを管理するデータベースの開発に携わりました。
全農安心システムでもデータベースを開発していたこともあったので、約半年でスタンドアロン型のデータベースソフトをJA全中と共同で開発し、JA全中主催の全国各ブロックでの生産履歴記帳運動講習会にデータベースの説明担当で参加しました。
この時、前回のブログで紹介した当時日本オーガニック検査員協会の水野葉子さんを講師として、生産履歴記帳運動の内部検査員制度について講習会の場で寸劇を交えながら説明していただきました。
この内部検査員制度はビデオも制作し私も役者として出演していますよ(笑)。
1年遅れの平成15年8月に私は東京にあるJA全農営農総合対策部営農企画課に転勤となり、JA全中とJA全農と一体となって、JAグループ生産履歴記帳運動をデータベースの普及を中心に推進していくことになり、平成17年まで3年間取り組むことになりました。
この頃が、私の社会人としての絶頂期だったような気がします。
自分たちが開発したデータベースの商品を全国のJA営農指導員の方に利用してもらうように営業・巡回しました。
たくさんのJA営農指導員の皆さんと接することが出来て、今でも私の心の宝物となっています。
そして、平成18年4月に営農企画課から新設された担い手渉外グループへ内部異動となり、青天の霹靂というかまったく違う仕事をやることになりました。
その内容は次回のブログで!