担い手農家とJAの懸け橋をつくるために! | マトバッティ―のアグリノート

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 平成18年1月にJA全農の機構改革と人事異動が発令され、同じ部内に新しく「担い手渉外グループ」が設置され3月から内部異動することになりました。

 

 なぜ、この部署が新しく設置されたのか、まずはその経緯から説明しますね。

 

 私がJA全農に就職した昭和62年(1987年)頃は、全国には約4,000ほどの農協(この頃はJAの言葉はなく農協と呼んでました)があり、郵便局と農協だけは全国どこにでもあり地域住民のライフライン的な存在でしたね~。

 

 翌年の昭和63年に農協組織は全国の地方自治体の市町村合併にならい1,000農協構想を打ち出し、また、平成4年(1992年)には農協組織のイメージ刷新のために農協をJAの愛称としました。この年を境に農協はJAと呼ばれるようになったんですよ。

 平成18年頃には全国JAの数は約900となり1,000農協構想を達成をしていましたが、JAの現場では深刻な問題が発生していたのです(現在令和2年4月現在の全国JA数は584)。

 

 JAの合併により事業規模が大きくなったのは良いのですが、JA職員が自分の地元の農家から遠い存在となってしまい、農家のJA離れが加速してしまったのです。

 特に農家の営農と生活に密着していた営農指導員・生活指導員がJA合併により合理化され数が減らされたことの影響が大きかったですね。

 

 そこで、JA全農は将来の地域農業を牽引する担い手農家とJAとの新たな懸け橋をつくるために機構改革を行い「担い手渉外グループ」という新設部署を設置したのです。

 

 以上が簡単ですが、新設部署設置の経緯となります。この他にも、農林水産省指導によるJA合併に伴うJAそして連合会組織の経済事業改革、JA全農組織の事業改革である「新生プラン」の影響もありましたが、ここでは詳細の説明は省きますね。

 

 新しい部署に異動して、まず、最初のミッションは、JA職員が担い手農家を巡回した時の面談記録を管理するデータベースの構築でした。

 また、データベースの開発?と少しがっかりしましたが、これまでの経験を生かせると考え方を切り替えました。

 

 しかし、半年後にはスタートさせるという期限つき。これは一から自分達でシステム構築するのは困難と頭を切り替え、SFA(Sales Force Automation:営業支援システム)をすでに構築しているメーカーに声をかけコンペ方式での採用から始めました。

 

 大手システムメーカーからベンチャーまで複数社にプレゼンテーションをしてもらい、全農内部、そして担い手農家への事業提案をJAとともにすでに実践していたJA全農の県本部担当者(茨城、栃木、新潟、兵庫、三重、岡山)に審査員になってもらいました。

 

 そして、採用したのが、中国出身の宋文洲氏が創設したソフトブレーン株式会社の「e-セールスマネージャー」でした。

 

 このシステムをJAにモニターになってもらいJAの担い手農家対応用にカスタマイズしました。

 

 そして、10月に何とか担い手対応支援システムが完成しました(現在はTACシステムと呼んでいます)。

 この時の全国のモニターJAさんとの意見交換、完成後のシステム操作研修会でのJA全農県本部担当者との交流はいまでも大切な宝物となっています。

 

 そんな、感動にあふれた毎日を過ごしている最中の年明けの1月に突然、上司の部長に「的場~たまには二人で飲みに行かないか~」とめずらしく誘われました。

 

 二人でビールで乾杯をして、しばらくすると部長から「山形県本部へ行ってくれないか」と切り出されました。

 

 つづきは次回のブログで!