3年前に亡くなった父は根っからの巨人ファンで、
特に、自分と同世代(二学年下)の選手の大ファンだった。
オレにも幼稚園の頃から野球を教え始め、
その選手が出場する試合は、必ず観るように
口うるさく言われたし、小学校に上がってからは、
電車で1時間以上かけて水道橋まで行き、
錦糸町の勤務先からやってくる父と待ち合わせをして、
後楽園球場で一緒に試合を観たものだ。年に三回ぐらい。
父が贔屓にしていたその選手が引退したのが、
オレが小学校二年生になったとき。
引退試合はダブルヘッダー(一日二試合)で行われたが、
そのデイゲームの方を観に行った。
現役ラス前のその試合で彼は、
現役最後の、444本目のホームランを打った。
「本当は現役最後の試合を観たかったけど、
最後のホームランが見られたから、よかったな」
と、後に父が言っていたのを、今も覚えている。
その年の巨人は十連覇がかかっていた年だったが、
その偉業は成し遂げられなかった。
そして、かねてから発表されていた通り、
その年限りで〝打撃の神様〟と言われた大監督が身を引き、
翌年からは、父にとっての〝年下のヒーロー〟、
長嶋茂雄が巨人軍の指揮を取ることになった。
その年の秋(翌年の冬?)のこと。
土曜の夕餉で、父が突然、オレの肩を叩きながら言った。
「明日は、6時起きな。ナガシマを見に行くぞ」
突然言われて思った。
「もう、シーズン終わってるのに。長嶋もいないのに」
怪訝そうな顔をしていたであろうオレに、父は力強く言った。
「多摩川行くんだよ!」
翌日、多摩川にあった巨人軍多摩川グラウンドに着いたのは、
朝の8時ぐらいだっただろうか。
着いてみると、グラウンド周辺はファンで溢れかえっていた。
あのナガシマが監督として初めて迎えるキャンプだ。
誰もが彼の登場を待っていた。
「ナガシマは、もう少し経ってから来るみたいだ。
もうグラウンドに何人か選手がいるから、
見に行ってみようか」
初対面のファン仲間から情報を聞き出してきた父に誘われ、
グラウンドの方に若い選手たちを見に行った。
前の年くらいから少し目立つ活躍をしていた、
若手(当時二十代前半)の左バッター、
淡口憲治選手のファンだったオレは、彼を探した。
すると、センター奥のフェンス前で柔軟体操をしている、
背番号35を発見。思い切って叫んでみた。
〝アワグチーーーッ!〟と。
〝おーーーう! ありがとーーー!〟
こちらがかけた精一杯の大声に、手を振りながら
大声で応えてくれたことに、なんだか胸が一杯になった。
思い返してみればこの瞬間が、オレがその後の数年間、
野球に入れ込んだきっかけだったのかもしれない。
アワグチとの邂逅(一方的な思い)に胸を熱くさせた
少し後、河川敷へ降りる階段のあたりが
急に騒がしくなってきた。
みると、大勢の若者と子供たちがある一点を
目指して駆け寄っている。
「ナガシマが来たんだ…」そう思った瞬間、
父に背中を押された。
「オマエも行ってこい! 階段の下から写真撮ってやる」
言われて、オレは駆け出した。
その頃のオレは、同じ年の友達の中では一番チビで
痩せっぽちだったが、足は速くて、身のこなしも軽かった。
だから、前を行く中高生の兄貴たちや、少し年上の小学生の
渋滞している中をすり抜けているうち、
上りの階段の頂上手前で、列の一番前、つまり
ナガシマの真横に、気がつけば躍り出ていた。
ナガシマはまだ、「戦うもの」のオーラに
包まれている気がした。横目に見る表情も厳しかった。
階段を上り追いついて来たファンたちも、
近付き難い雰囲気を感じているのか、
横に広がりながら後をついてくる。
そして、ナガシマの後ろを横列が追いかけるような形で、
河川敷の側道を渡り、ナガシマが下りの階段に
一歩足をかけた瞬間……。
突然彼は振り返り、確かに左横にいるオレに向かって
あの声で言ったんだよ。
「階段危ないから、気をつけろよ!」
って。しっかりオレの目を見ながら、
甲高い大声で言ったんだ。
* * * *
読売巨人軍終身名誉監督・長嶋茂雄さんが亡くなられた。
6月3日。同級生のあのバカが逝ったのと同じ日付。
これで本当に昭和が終わったな、と思った。
昭和は今年で100年目。
そんな区切りの年に亡くなるのは、
昭和のスターらしいな、と思った。
いつまでも 数字の〝3〟がそこにいる
ホットコーナー 貴方の居場所
父子に夢を、ありがとうございました。
どうぞ安らかに。
