介護ストレスが溜まってきているのを、

やっと自覚し始めた3月、

PCのゲームでも始めようかなと思っていた頃、

AIで静止画を動画にできるサイトに出会った。

 

最初は好きな女優さんの写真を、

こちらに笑いかけてくれるように

指示したりして遊んでいたが、

肖像権やコンプラの問題でAIが動画作りを

拒否してくるようになったりしたので、

次第に自撮りを加工するようになった。

若い頃の写真を使ったり、

逆に加齢加工を指示したりすると、

いろんな時代の自分が、いろんなことをし始める。

それがなんだか楽しくて、

Facebookやインスタに、毎日投稿するようになった。

 

AI動画作りがストレス解消になっていったのは、

もはや自然の流れだった。

SNSに上げてみると、「いいね」はつかないまでも、

ビュー数が飛躍的に伸びているのが

数字でわかるようになって、

ますます楽しくなっていった。

還暦の年から始めた〝AI創作活動〟は日課になり、

その元ネタを探すために、古いメモリを

引っ張り出してきては、使えそうな写真を集めた。

 

そんな中、USBメモリケースの端っこから

出てきたのが、32ギガのメモリを埋め尽くしていた

〝Tabi〟という写真データ群。

 

長年勤めた編プロの同期の紹介で、

発行部数25万を超える某新聞の旅コラムを

書き始めたのは、2014年のこと。

去年の6月まで続けたから、丸十一年以上も

ひと月に一ヶ所はどこかを旅していた。

自分より15歳ほど年若い二代目担当編集(女性)とソリが

合わなかったり、経費の支払いが遅れたり

するようになったので、自分でも驚くほどあっさりと

卒業を宣言してしまったが、

11年の間に、本当にいろんな〝日本〟を見た。

そんな中で撮りためてきた写真(撮影は自分だった)が、

32ギガの中に山ほどあって、

見つけた日は一日中、47都道府県を網羅していた

写真データ群に見入っては、

その旅の思い出を頭の中に巡らせていた。

 

この、静止画の群れを、AIに動画にしてもらおう。

 

写真での思い出巡りの後、すぐにそう思った。

せっかくだからYouTubeに上げて、

みんなに見てもらおう。そう思った。

 

そして、チャンネルを立ち上げ、

動画を毎日複数本上げるようになったのが、

四月の初めのこと。

以来、毎日続けることを自分の縛りにして、

今日、目標としていた

〝合計180本のショート動画投稿〟

を達成した。

できれば登録者数500を超えて、収益化したかったがw

そう甘いもんじゃなかった。

まあ、各々が5〜10秒の極めて短いショート動画だし

(あくまでも〝無料の〟サイトで作っているので)、

拡散のための努力もしていないから、

目標の十分の一にさえ届かなかった登録者数は

仕方ないと思っている。

 

でも…良かったら見にきてくださいね(頭を下げる)

 

https://www.youtube.com/@tattsya10

 

↓ 最後の投稿

 

 

 

 

 

↓ 以下、数年前の旅コラム原稿より

 

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「あいつも好きだった“埼玉の山”、一緒に登らないか?」

昨年急逝した友人の幼なじみから、誘われたのは4月の終わりのこと。

棒ノ折山。

“あいつ”からも、その山の沢登りの楽しさ、

心地よさはさんざん聞かされていました。

飯能駅からのバスの窓に映る景色から、すでに心を奪われます。

時代を感じさせる木造の商家や家屋敷が立ち並ぶ旧道。

山間を流れる川沿いには美しい緑木が立ち並び、

清流にやさしく影を落としています。

「もう少し前に来れば良かったなぁ……桜の季節は、

そりゃあすごいんだ。街中も川沿いも桜色で溢れててさ」

バス停から緩い上り坂を歩き、名栗湖を抜けると、いよいよ登山口。

ここからしばらく細かく曲がりくねる山道を登ります。

山登り初心者の自分は、歩き始めて10分で早くも息が切れ。

ベテランの同伴者は少し先を歩いてはこちらを待ち、声がけをしてくれます。

「下向いて歩くと息切れするから、少し視線を上げて、

景色を楽しみながらゆっくり行こう。すぐ沢だから」

30分後、彼の言葉通りに現れた沢は、

心地よい流れの音と涼やかな空気をくれました。

ここからしばらくは、道なき道をゆく沢登り。

いつもならそろそろ上がり始める筋肉の悲鳴も、今日は聴こえてきません。

清流の中にときどき見え隠れする生き物の躍動。

巨岩の間を滑り落ちてくる滝。

小さな渓谷のようになっている川間に、岩を割って立つ巨木。

そんなものたちに目を奪われながら登っていると、疲れを忘れてしまいます。

「お先にどうぞ」

沢登りの終点の鎖場で、同伴者が、後ろから登ってきていた

“山ガール”たちに声をかけています。

ここからはまた、山登りです。息切れしながらなんとか歩き、

山頂近くの分岐点へ。

ここにある岩茸石は、高さが4メートルほどはあろうかという大きな石。

その大きさに圧倒されながらひと休みして、ここからは一気! 

長い階段、平坦な道、短い階段を上がると……山頂です。

奥武蔵の山々と、遠くには副都心のビルを微かにのぞむ

山頂の景色は、まさに“ひろびろ”。

亡き友がSNSにアップしていたものと同じ角度で写真を撮り、登頂完了です。

下りは、ゲザニスト(下山が得意な登山初心者=自ら勝手に命名)として、

余裕を持ってゆっくりと、思い出話をしながら山道を楽しみました。

亡き友が繋いだ本日の同伴者との縁も、もう三十余年。

“あいつ”の分まで大切にしようと思い直した山旅でした。

 

 

 

〝あいつ〟は2016年に亡くなった高校時代からの悪友のこと。

そしてこの旅の同伴者だったナカザワは、

17の頃に〝あいつ〟の家で初めて会って、

31の時に〝あいつ〟の結婚式で再会して、

以来、定期的な〝悪飲み仲間〟になった。

映像を創造することを生業としている彼は、

某国営放送で定期的に放送される、『巨樹』をテーマとした

ドキュメンタリーで、各方面から称賛されている

TVディレクターでもある。

 

そんな彼がいま、四半世紀に近い、長い時間をかけて

追い続けてきた物語を、ついに形にしようとしている。

オレが住んでいた入谷のマンションからほど近い

ところにあった〝現場〟に通い続け、

ただそこで起こっている事を静かに、

空気のような存在感で、記録し続けた日々。

何の約束も保証もないまま、東上野に通い続けた

二十年以上の長い時間を、多くの〝誰か〟に伝えるべく、

この卯月、プロジェクトが立ち上がった。

 

ドキュメンタリー映画

『ボーン・アゲイン 薬物依存症と生きる』
制作支援プロジェクト

 

薬物依存症者リハビリ施設「ダルク」。

その創設者である故・近藤恒夫氏と、

社会から孤立して生きる薬物依存症者たちの、

生の姿を捉え続けた膨大な記録。

 

それが、映画になろうとしている。

 

ナカザワの記録行動に同行したこともある

自分としては、痛切に「早く観たい!」と思う。

そして、多くの方の目に触れてほしいとも思う。

 

薬物依存症者を、

=自分に甘く、社会についていけなかった人間だ=

と切り捨てるのは簡単なことだ。

しかし、この記録の数々を見ることで、

「本当にそれだけでいいのか?」

という疑問が観たものの頭の中に芽生え、本当の意味での

『共存社会』を考え直すきっかけにしていただければ、

ナカザワのライフワークが実を結ぶ。

 

ただただ映画が作りたい……

そんな薄っぺらい思いではないことだけでも、

わかってあげてほしい。

 

https://motion-gallery.net/projects/drug-addict-eiga

 

 

その晩の都内は、ほとんどの交通機関が

停止するほどの大雪だった。

夕方の時点で、すでに雪はパラついていたが、

そんな日に限って、

「こんな日に飲むのもオツだろ?」

なんて誘いをかけてくる数奇者がいるもので、

こちらも嫌いじゃないから、ホイホイ応じてしまう。

で、電話から30分後の16:45には、

新宿三丁目の、いつもの餃子居酒屋で

ビールグラスをぶつけ合っていた。

 

「おいおい、ちょっと洒落にならないぐらい

 降ってるぞ。車も全然走ってねえや」

 

「あ、山手線止まってますよ。

 そりゃあ、この降りじゃねえ……」

 

20:45。トイレで小窓から外を覗いてきた客と、

店主がそんな会話をしている。

客は自分たちの他に、そのトイレ客の3人組だけ。

 

こちらの連れは、数奇者の同業者とその彼女。

店主と客の会話を聞いて、

小さな劇団で女優をしている彼女の方が、

目に見えて動揺を始める。

 

「うわぁ、帰れないじゃんこれ。

 どうすんのよ。

 うちのクソ親父に引っぱたかれる!」

 

「なんで? 今日はちゃんと、

 彼氏と出かけるって言ってきたんだろ?」

 

「そうなんだけどさ……

 帰れないとなると、

 電話しなきゃなのよ。

 で、絶対〝彼氏に代われ〟って

    なっちゃうのよ」

 

「あ、そうか。そりゃマズいな」

 

彼女の年齢は、22歳。

〝嫁入り前の娘〟真っ盛りで、

実家暮らしだと言うから、

そりゃあ親は心配するだろう。

 

「なんでマズいんだよ?

 オマエが電話に出てやりゃいいじゃん」

 

「いや、そうなんだけど…

 彼女の父親、オレが会社勤めしてた頃の

 上司でさ。お互いに嫌い合ってた

 最悪の関係なんだよね。

 それを知ってるからコイツも、

 〝彼氏はお役所勤めのお堅い人〟

 って、父親にウソ言ってるんだよ」

 

「別に大丈夫だろ。

 オマエが電話でお役所勤めを演じて

    やりゃ済むことじゃんか」

 

「いや、それは無理。

 声と喋り方で絶対バレる。

 入社当時は仲良くしてて、

 家に遊びに行ったりもしてたから」

 

「なんでそんな拗れちゃったん

    だよ、父ちゃんと」

 

「…いや、オレが晩飯をご馳走に

   なりに行った翌週に、

   当時16歳だったコイツと

   デートしたのがバレて……」

 

数奇者はこの時32歳。

6年前だから、当時26歳の男が、

16歳の、上司の娘を連れ出したわけだ。

 

「ああ、それは拗れるわ。

 全面的にオマエが悪い」

 

「そう言うなよ。

 なぁ、あんたが彼氏やってくれないか?

 この店と、この後行くバー、

 全部オレが持つからさぁ」

 

ちなみにこの日は、

餃子居酒屋を出た後、

それなりに格式の高いバーに行って、

それなりに格式の高いウイスキーを

ボトルで頼むことで話はまとまっていた。

 

「マジか。よし!

 フィッシュのマインドあらば

 ウォーターのマインドだな」

 

以下は、1時間後の

彼女父とウソ彼氏の会話である。

 

↓↓↓↓↓↓

 

父「話をさせてもらうのは初めてですね。

  ○○の父です。

  話は娘からよく聞いています」

ウ「初めまして。□□です。

  本日は娘さんを連れ出してすみません。

  しかも、お返しできなくて」

父「大雪だから仕方ないよ。

     いま、新宿だよな? いつも私が

  利用しているビジネスホテルに電話して、

  ひと部屋空けてもらったから、

  すまないがそちらに送り届けてくれ。

  歩きで行ける距離だから」

ウ「わかりました」

父「ところで、君は役所勤めと聞いたが、

  どんなところで働いているんだ?

  市役所とか、県庁とか」

ウ「いえ、役所勤めではありません。

  娘さんが気を遣って、

  そう言っているんだと思います」

父「じゃあ本当はなんの仕事をしてるんだ?」

ウ「フリーランスでライターの仕事をしています」

父「フリーのライターだぁ? そんなヤクザな仕事を…」

ウ「はぁ? ヤクザな仕事? 広告代理店なんていう

  クソ中抜き仕事してるあんたに言われたくねえな?

  大体が過干渉なんだよアンタ、22だろ?もう、娘」

 

↑↑↑↑↑↑

 

と言ったところで、彼女に無理やり

携帯を取り上げられた。

 

だいぶ酔ってたんで、

言いたいこと言っちゃいました。

その後、彼ら二人がどうなったのかは知らないが、

その晩は、後から彼女の方も

〝なんかスッキリした〟と言ってくれたので、

3人で朝まで、4万円のボトルを痛飲しながら、

散々の悪口大会を開催。

 

四半世紀前の話です。