夜長月の初頭に見た夢。
いつもの地下バーの扉を、いつものように開けると、
そこにはいつもと少し違う酒場の情景が広がり、
嗅いだことのない薄い血の匂いが漂っていた。
いつもの地下バーは奥まで広がるカウンターに、
十脚のスツールが並んでいるカウンターバーだが、
そこは、いつものカウンターとスツールの背に、
四人がけのソファ席が四つ、四角を描いて並んでいる。
戸惑いながら入っていくと、カウンターの中に
マスターの姿がない。代わりに、
美しい四肢の筋肉が服の上からでもわかる長身の男が、
生成りのトレーナー姿で立ち、グラスを磨いている。
男は瑠璃色の瞳でこちらを睨んだ後、ソファ席の方に声を掛ける。
〝おい、来たぞ〟
欧州の顔立ちに似合わぬ、美しい日本語で発した声に、
ソファ席に陣取っていた集団が一斉にこちらを向く。
集団は総勢六人。五人の男に一人の女。
男たちは、それぞれに違った色の単色のシャツを着て、
黒やインディゴのスキニーなジーンズを穿いている。
女は、落ち着いた緑と青の絞り染めのカットソーに、
黒のスパッツ、よく磨かれた皮が美しいロングのエンジニアブーツ。
男の中の一人と女が、対面でソファに腰掛け、
残りの男たちは座っている人間を守るように、
両サイドに立っている。
「お、いらしたのですね? どうぞ、お座りください」
ソファに座っている男が声をかけてくる。
どこかで見た顔だが、思い出せない。
「私の横に座りなよ」
女も声をかけてくる。女が声を発した瞬間、
ソファの男が厳しい視線を対面のに投げかける。
〝余計なことをするな〟と瞳が語っている。
とりあえず、ソファ席の方に歩を進めると、
立っている男の一人が、
ぶっきらぼうに手前のソファを指差す。
そこに腰掛け、指差した男に訊いてみる。
「今日は、マスターはどうしたの?」
訊かれた男は〝なんだこいつ〟が浮き出た
疑問符の顔で答える。
「知らねえよ」
腑に落ちぬまま、六人組の顔をまじまじと見つめてみる。
男五人は、おそらく二十代後半から三十代前半。
全員、既視感はあるが、誰だったがは思い出せない。
皆、鍛えてはいそうだが、カウンターの男ほど
肉体的な圧迫感はない。
表情は一様に暗く、なぜか恨みがましい目つきだけが共通している。
女は、これもおそらく二十代後半から三十代前半。
切長の目と、真っ直ぐに首まで降りたショートの黒髪が
眩しいほどに美しい人。待てよ?
これはついこの間見た、映画の中の女優か?
「やっと会えて嬉しいよ。久しぶりだな」
こちらが女優に見とれていると、ソファの男が口を開いた。
久しぶり? 会ったことがあるのか? やはり。
そう思う前に、二十も三十も年下に見える男に、
馴れ馴れしい口をきかれたことに腹立ちを覚える。
「あ? 会ったことがあるのか? 俺たち」
少し憤怒が現れてしまったこちらの口調に、
立っていた四人の男がいきり立つ。
軽く手を上げただけで四人を押さえつけながら、
ソファの男が言う。
「酷いなぁ。忘れちゃってんのかよ。
あんたが俺たちにしたことを」
「オマエらにしたこと? なんだそれ。
確かに、みんな見覚えのある顔だけど、
何をしたかなんて覚えてねえぞ」
その瞬間、ソファの男は左側に立つ男に合図を送り、
スマートフォンを受け取る。そしてそれを指で操作すると、
立ち上がった動画をこちらに向ける。
「これでも見て、思い出してくれよ」
動画を見ると、凄惨な光景が長く続いていた。
十人以上の男たちが、寝転がって横向きに
背中を折っている一人の男を、代わる代わる蹴り上げている。
二分ほどの動画の最後は、ソファの男が、
蹴られていた男を中腰に立たせ、顔の両端を握りながら、
ポケットから出したナイフで、右左の頬を、
斜めに深く抉っている光景。
抉られている男は、絶望的な表情をした……
二十代半ばに見える俺自身だった。
「なんだこれ、やられてるのは俺の方じゃねえか」
「そうだよ。オマエがオレの弟に、
選手権予選の試合で酷い怪我を負わせたから、
仲間でブッ締めたんだよ」
何が何だか、さっぱりわからなかった。
高校時代に選手権予選を戦ったこともなければ、
サッカーの試合で相手に酷い怪我を負わせたこともない。
「思い出したか? 十年前に散々思い知らせてやったのに、
全然わかってなかったんだな、オマエ。
俺たちの仲間の女に手を出すなんてよ。
もう一度、わからせてやらなきゃと思って、
この店で張ってたんだよ」
男の言い分を聞き、〝十年前だと、四十代だぞ? オレ〟と
思ったところで
……これは夢なのだと気付いた。そして、目が覚めた。
目覚めたらそこは、常磐線始発の中だった。
おそらく、最近観た映画かドラマの中に、
似たようなシーンがあったんだろう。
暴力的な映画ばかり見てちゃダメだなと思うと同時に、
自分の夢生成の単純すぎる構造に、
少しがっかりして、苦笑した。