知り合いの、20代後半のバカ息子が刺青を入れた、

という話を聞いた。

しかも、それまでにさんざん悪さをして

就職先が見つからず、母親のツテのツテで

無理矢理ねじ込んでもらった会社(建設業)に

入社する直前に、

「気合を入れるのと見せるために入れた」

のだという。しかも、

だいぶオアシのかかる立派な和彫なんだとか。

 

ここまでいくと、〝アホでどうしようもねえな〟

という感想も出てこない。

むしろ、その思考構造を丁寧に解析して、

脳科学の学会ででも発表したくなるレベル。

 

そんなことを考えていたら、

刺青=タトゥーに驚いたある夜のことを思いだした。

 

自分が30代後半だった頃の六本木の夜。

 

その頃は、二十歳以上年上で独身の、

大手出版社で小説誌の編集長をやっていた大先輩に、

3ヶ月に一度の割合で呼び出され、二人して

六本木や新宿のクラブでどんちゃん騒ぎをしていた。

もちろんそのうちの何割かは取材も兼ねていた

(大先輩の小説誌で『夜遊びに関するエッセイ』の

連載をいただいていた)ので、

経費で落ちることもあったが、半分以上は

その大先輩、いや恩人の奢りだった。

恩人は特に、企画系のクラブが大好きで、

当時官僚接待で話題になった

「ノーパンしゃぶしゃぶ」だの、

女の子が胸の開いた迷彩服で匍匐前進してくる

「自○隊パブ」だの、

超有名AV嬢がママを務める「銀座高級クラブ」

だの、一癖も二癖もある企画飲み屋に行っては、

朝まで大騒ぎをした。

 

そんな店たちの中でも、恩人が大好きだったのが

六本木にあるカウンターパブだった。

ここは、天井近くに酒の注ぎ口が据え付けられていて、

超ミニスカートの女の子たちがお酒を作る時、

カウンターに上って注ぐので……

これ以上の説明は人格が疑われるので避けておこう。

その店で働く女の子たちは、揃って明るく可愛らしく、

男性スタッフたちも陽気で話しやすいので、

恩人はほぼ常連となっていた。

「おめえらのパンツなんて見たくもねえから、

 下のキープボトルで普通に作ってくれ」

という程度には。

 

何回目かにその店を訪れたのは、

クリスマスのすぐ後、年末最終営業日だった。

その店で22:00の待ち合わせで、

いつもよりずいぶん遅いスタートだな、とは思っていた。

店に着くなり恩人は、

「オマエ、今日は朝まで大丈夫だよな?」

と言う。「もちろん」と答えると、

「今日はここでオーラスまで飲んで、

 二次会行こう。場所取ってあるから」

と言うので、いつもは数軒ハシゴなのに

珍しいこともあるもんだ、と思いながら飲み始めた。

 

3時間後、その店のすぐそばにある

有名ビジネスホテルの2階に恩人といた。

「二次会、ホテルの部屋でやるんですか?」

と訊くと、

「いや、ここに新しくできたカラオケボックスを

 押さえてあるんだよ」

と恩人。言うなりスタスタと歩いていく

彼についていくと、煌びやかな入り口があり、

さらにその先に、広々としたカラオケルームが

ガラス越しに見える。

「すごいだろ。風呂付きのカラオケルームなんだよ」

満面の笑顔の恩人が、言いながらドアを開けると、

そこには、4畳半ほどのカラオケスペースがあり、

その奥には、そこそこ大きな洋風風呂(3畳ぐらい?)が

湯気を上げている。

「まずは風呂入るかっ!」と言いながら脱ぎ始めた

恩人は、海水パンツに着替えると、湯の中へ飛び込んだ。

〝え…風呂付きの部屋で二次会? 二人でか?〟

と、戦慄を覚えて立ちすくんでいると、突然後ろから

「えーー!すごーーい!!」

という嬌声が聞こえてくる。振り返るとそこには、

四人の若い女性。あの店の女の子たち。

「先にずるいよー! 今行くからーっ!」

と言いながら四人は、端にある衝立に向こうへと走り、

数十秒後には色とりどりのビキニに着替えて、

続々と風呂へ飛び込んだ。

 

三十分後、異性と風呂に浸かりながら酒を飲み、

他人の歌を聞くという、ストレンジな状況に

やっと慣れてきた頃、部屋のドアをノックする音。

「やっと来たか。入れ入れ」

と言う恩人の声に、三人の男が入室してくる。

あの店の男性スタッフだ。

三人とも本当に好青年で、人懐っこく、

そこそこのイケメンで、細マッチョ。

そんな印象を持っていた。

〝あ、あの店の忘年会をやってあげてるのね、これ〟

と、やっと合点が行った頃、

三人が衝立の向こうから出てくる。

にこやかに歩いてくる三人は、

みんな見事に筋肉質で、

中年太りの自分の体が恥ずかしくなる。

そして三人並んで湯船に入り、ふうっと一息。

少しして、湯上がりに腕をかけようと、

なぜか三人揃って、後ろを向いた。

その瞬間に目に入ったのは……

 

揃いも揃った青い筋彫り。

右から順に、鯉、昇龍、金太郎…

色はまだ入っていないからモノアート。

でも、彫師の腕の良さがわかる見事な出来。

 

正直、面食らった。

彼らは、店で出会うと本当に真面目そうに見えて、

〝3人とも小学校から青学だよ〟と言われても

信じてしまいそうなほど、爽やかだったから。

墨を入れてる=不真面目というわけではないが、

あまりにも普段の印象とそぐわなかった。

 

「あ、見たあれ? 引くよねー」

 

女の子の一人が話しかけてくる。

 

「い、いや、うん……」

 

「後どれくらいかかるの、それ?

 そもそもなんで入れたの?」

 

女の子が男たちの絵を指さしながら訊く。おいおい。

 

「あと半年弱ぐらいかな。

 あそこで生きてくって決めたからだよ。

 決まってんじゃん」

 

言いながら男は、やや鋭い視線を送ってくる。

 

笑い返すしかできなかった……。

 

 

その後は、女の子たちが水着を脱ぎ始めたり、

男たちがジャニーズを歌い始めたりして、

大いに盛り上がったが、あんまり酔えなかった、

 

のちにお笑い芸人が乱行パーティーを開いて話題になり、

すぐに閉店してしまったカラオケボックスでのお話。

ちなみに私たちは淫らな行為は決してしていません。

 

 

ひとり暮らしの26年間は、言ってみれば

〝自炊を楽しんだ〟月日だったのかもしれない。

暮らした部屋はどれも狭くて、ましてや台所なぞ

でかい図体のこちとらには、

猫の額よりもちっちゃいと思えてしまうほどだった。

 

だから、よくベランダで調理をしたもんだ。

仕事の関係でベランダ菜園もしていたから、

サンチュやサニーレタス、ほうれん草…

そんなグングン育つ葉野菜を育て、

毟ってはジョウロで洗い、調理に使った。

物干し竿掛けを平行にして、一枚板を乗っければ

立派な「切り場」「鍋置き場」になるから、

調理のほとんどはそこでやり、

煮物は下拵えをして室内のコンロにかけ、

焼き魚などは七輪でパタパタ。

そのあたりが終わると、最後は室内に戻って炒め物。

これで、毎食「一汁三菜」を実現していたものだ、

流石に冬は寒かろう? って?

これが、そうでもないんだよ。

七輪炊いてるし、葉摘みやカッティング、鍋運びで

体を動かすから、室内着の上にベストを着ければ、

汗をかいてしまうくらい。

 

そんなベランダ調理も、令和の時代に入ると

だいぶ勝手が違ってきた。

何しろ、ベランダでタバコを吸うだけで

周囲から苦情がくる時代になったもんだから、

おちおち七輪焼きもできやしない。

8年前、東京の入谷から、埼玉の越谷に

越してきた(戻った)頃は、とにかく世の中が

〝煙〟というものに敏感になっていたから、

喫煙者や〝ベランダ調理人(勝手に命名)〟は

肩身の狭い思いをしたものだ。

ましてや越谷(大袋)のハイツは、

60平米ほどの2DKだったので、

自分の部屋以外は全てが家族住まい、

それも、一番大きいので小5の子供たちが各家族にいた。

これじゃ流石にベランダタバコも厳しいなぁ…と思い、

入居当初から対処時の壁紙張り替え覚悟で、

室内でタバコを吸うようにしていた。

 

当時やたらといた〝禁煙厨〟を恨みながら、

室内で喫煙し始めてから、二週間ぐらいたった頃、

買い物に出かけたスーパーで、隣人に会った。

たぶん、自分と同世代の奥様。

入居の際に、ゴミ出しその他のルールを

丁寧に説明してくれた親切なご婦人。

小学校高学年と年長さんの姉妹がいるその家族は、

旦那さんが建築系の仕事をしていて、

いろんな地方に行っているらしく、

隔週の週末ぐらいしか顔を見ない、

いわゆる「夫が単身赴任の女性家族」だった。

 

「大きい人が越してきてくれて、安心だわ」

 

と、顔合わせの時に言っていた。

〝顔と図体見ただけで信用してちゃ危ないぜ?〟

と思ったが、言わずにおいた。

その時、二人のお嬢さんにも会ったが、

二人とも母親の後ろに隠れ、少し怖がっていた、

 

 

スーパーでこちらを見つけた彼女は、

にこやかに話しかけてきた。

 

「今日は、そばの乾麺が死ぬほど安かったわよ。

 男の一人暮らしには重宝するから、

 買いだめしておくといいですよ!」

 

死ぬほど て。

 

「それと、喫煙者だって言ってましたよね?

 ウチは、危ないから子供をベランダに出さないので、

 ベランダで吸ってもらっていいですよ。

 あそこのハイツは、他にも喫煙者いるから、

 文句言う人いないですよ」

 

「あ、そうなんですか?」

 

「ただ、できれば洗濯物を干してる時は、

 風で流れてきた匂いが付いちゃうから、

 できればやめて欲しいけど…」

 

「ですよね。それは気をつけます」

 

こうして、口約束は成立した。

以降の隣人は、洗濯物をベランダに干すときは、

物干し竿の端をこちらの部屋から見えるように

してくれるようになったので、

それをサインとして、

ベランダで喫煙を楽しむようになった。

 

それからひと月ほど経ったある日、

ベランダ喫煙のついで、七輪での魚焼きをしていると、

隣のベランダから、壁越しに声がかかった。

 

「美味しそうな匂いですね。

 魚焼いてるのかな?」

 

「ですです。七輪で秋刀魚を…」

 

「さんま! いいなー。

 七輪で焼いた秋刀魚、美味しいですよねー」

 

「……良かったら、お裾分けしましょうか?」

 

「いえいえいいです。ウチもやってみるから!」

 

「あ、そうですか。今日はオレ、洗濯終わってるんで

 いつでもどうぞ」

 

「はーい!」

 

少女のような返事が微笑ましかった。

 

 

こう書いてみると、隣人家族と

たいそう仲良くしていたように思われるかもしれないが、

大袋に住んだ四年半で、顔を合わせたのは

二十回にも届かない数だろう。

お嬢さん二人とは登下校痔に会うことも少なくなかったが、

にっこり笑顔で挨拶してくれるだけで、

話したことはほとんどない。

 

やっぱり、怖がられてたんだろうなぁ。

お母さんも、警戒してたんだろうなぁ。

 

かように、中年男性の一人暮らしは切ないものです。

 

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元同僚の著書「東京の台所」を原作としたコミックが、

現在第1巻発売中。

原作者の大平一枝さんは市井の人々の暮らしの中から、

喜怒哀楽を詩的に抽出し、

柔らかい文章で表現することに定評のある人気作家さん。

紙の出版物の世界で生き抜く同志(烏滸がましいが)として、

いつもその動向が気になる人。

2話目、泣けました。

 

「東京の台所〜食べて笑って時々泣いて」第1巻

(原作・大平一枝/作画・ただりえこ)

 

 

 

 

夏の終わりになるといつも、

5年前に亡くなったトモダチを思い出す。

体高が110センチを超えていた、でっかいグレート・デン。

高校時代からの悪友の、大切な家族。

〝友人が飼っていたペット〟なんて言うと、

きっと悪友から怒られちまうし、

やっぱりトモダチ、ってことで。

 

 

悪友の家に遊びに行くと、そいつはどこからともなく出てきて、

こちらを一瞥すると、『なんだ、オマエかよ』ってなもんで、

プイとそっぽを向いて、どこかへいっちまう。

〝まあ、嫌われて吠えられたりするよりいいか…〟

と思って、いい感じの距離感を保った関係だった。最初は。

 

それが変わったのは、いつ頃のことだったんだろう。

悪友からライターとして仕事をもらうようになって、

打ち合わせや取材で頻繁に彼の家を訪ねるようになってからかな。

アイツはオレの顔を見ると、興味なさげに近づいてきて、

尻の匂いを嗅ぐようになった。

まあ、嗅いだあとはすぐにそっぽを向いて、

悪友か彼の奥さんの元に行ってしまうんだけど。

 

『ああコイツか。オレの家族に害を与える存在ではないな』

 

そんな確認をされているようだった。

 

 

そんなアイツに、一度だけすごい勢いで

向かってこられたことがある。

 

悪友が軽井沢に持っている別荘に、

泊まりがけで遊びに行った時のことだ。

昼間は、オレと悪友とアイツの三人で、

追分の街を散歩して回った。

アイツは、緑豊かな森林の中の道が大好きなようで、

いつもより少し、幼く見えた。

別荘に帰れば帰ったで、悪友が丹精した庭は木々に溢れて、

広い芝生の広場もあるもんだから、

初めてお祭りに行った小学校低学年の坊主のように、

ジグザグに走ったり、蝶を追いかけたり、土を掘ったり、

見ているこちらが楽しくなるような燥ぎぶりだった。

 

その夜のこと。夕食後に別荘の居間で、

これまでに貯めたメモ書きを広げながら、

次の原稿について二人であれこれ話していた。

一番遠くにおいたメモ書きに、次のテーマを書いていたので、

それを取りに行こうと3、4歩小走りをしたら……

台所の方からすごい足音を立てて、アイツが近づいてきた。

身を一旦沈め、こちらに飛びかかってくる体制になったところで、

悪友が『ステイ!』とやや大きな声をかけたので止まったが、

こちらを見るアイツの目は、『敵』を見る色をしていた。

 

あれ、もし友人が気づいてなかったら、

どうなっていたんだろう、と今でも思う。

悪友のアイツに対する、守護神としての教育に恐れ入った。

ちなみに、その〝番犬としての守備的攻撃性〟は、

女性や子供に対しては発揮されない。

悪友の別荘の居間で駆け回る子供たちを何度も見ているが、

アイツに襲いかかられそうになっているのは見たことがない。

 

 

オレと悪友とアイツの散歩は、都内の川縁でも

何度かしたことがある。

ある時は、夕暮れの新中川の河川敷を、

オレと悪友と彼の奥さんとアイツの4人で歩いた。

その時ふと悪友が、

「今日はリード持ってみる?」

と、オレに向かって言ってきた。

「いやいや、家族でもない奴に引っ張られたくないだろ」

と一度は断ったが、悪友が強引にリードを握らせてきた。

その瞬間アイツは、一瞬だけ「?」な表情をしたが、

すぐに前を向いて歩き出した。

真ん中にアイツを挟んで、右側に自分、

左側に友人夫妻と並んで歩き始めたが、

左手にリードを持ちながら寄り添って歩いてみて驚いた。

全く、引っ張られることがない……。

常にリードは弛んでいるのだ。

それはつまり、リードの長さ以内の距離を保って、

こちらの進む方向に合わせて歩いて

きてくれていると言うことだ。

 

『オレの家族と仲がいいようだし、今日は散歩に

 付き合ってやるよ。しょうがねえな』

 

そんなアイツの声が聞こえてきたような気がしたが、

初めての犬の散歩体験は、楽しかった。

あの時、歩きながら見た、

新中川の水面に照り返す夕陽の朱は、

今も鮮明に、記憶にこびりついている。

 

 

あれは確か、アイツが亡くなる前の年だったと思う。

その年の夏も、泊まりがけで悪友の別荘にお邪魔していた。

昼食が終わって、別荘にいた各個人がそれぞれ好きなことを

していた、なんとなく気怠い時間。

観るでもなくテレビを見ていたオレは少し眠くなって、

天井を見上げていた。

すると、近づいてくる吐息がある。

アイツの吐息だ。

 

その夏もオレとアイツは、じゃれ合うでもなく、

〝友人の友人〟のような間柄で、いい距離を保っていたが、

庭から帰ってきたアイツは、居間のソファに座る

オレの前までゆっくりと歩いてきた。

そして、開いているオレの両脚の間に、

少しだけ前足を滑り込ませて、立ち止まった。

そして、一瞬だけオレの目を見つめて、

少しだけ顎を上げた。

 

『首、掻いてくれよ』

 

とでも言うように。

 

 

なんだか本当に、『トモダチ』になれた気がしたんだよ。

あのとき。