近頃、自分の緊張感のなさに愕然とすることが増えた。

電車の中で眠りこけるなどということは、絶対なかった自分なのに、

この盆過ぎは、恐ろしいほど遠くまで電車を乗り過ごした。

しかも、いつものような「夜通し飲んで、始発」ではなく、

仕事で千葉県の街まで行く常磐線の下り。日中だ。

起きた駅は、ほとんど聞いたこともない、茨城県の駅。

前夜は、遅くまでコレコレの生配信を聴いていたとはいえ、

たっぷり6時間以上寝ている。

 

「どうしちまったんだ、オレ?」

そんな思いに囚われながら、ホームのベンチに腰掛ける。

「さて、どうすっかな?」と思う。

10以上の駅を乗越し、時間もだいぶ過ぎてしまっているので、

慌てて来た道を戻ることもない。

幸い、今日は街並みの撮影をするというだけで、

相手の居る仕事でもないので、別日で全く問題ない。なので、

ホームの自販機で「ビタミンすうマッチ」を買い、

ぐびっと大量に飲んだところでベンチに戻り、独りごちた。

と…

 

「間違ってたらすみません。山本さんですか?」

 

後ろから声をかけられる。

振り返ってみると、ブルネットがかったショートがよく似合う、

たぶん四十代くらいの女性。見覚えは…ない。

 

「はい、山本ですが。すみません、どちら様ですか?」

 

「やっぱりタッちゃんだ! 覚えてないの?

 ○○の家内です。元、だけど。

 タッちゃん、太ったねえ。てか、デカくなった」

 

……言われて思い出した。

新宿時代(約半世紀前)、よくツルんでいた年上の飲み友達が、

40歳で十五も歳下の女房をもらったのが、ちょうど2000年。

それからはその若い嫁も一緒に3人して、新宿や六本木を飲み歩いた。

日韓W杯が終わる頃までは、よく会っていた人だ。

 

「あーー! ○○ちゃんかぁ! 久しぶりじゃん。

 キミは変わんないなぁ。

 もと女房って、何よ? 別れたの?」

 

「別れた別れた(笑)。もう、20年も前だよ。

 知らなかった? お互いに、別に好きな人ができちゃってさ」

 

「あ、そうなのか……ちょうどその頃から、

 オレもあの人とはボツ交渉になったからなぁ…引っ越しちゃったし」

 

「私は、そのあとすぐに再婚して、今じゃ二人の子持ちだよ。

 あの人とは全く連絡取ってないから、

 何してるか全然わかんないなぁ」

 

「てか、こんなところで会うなんてな。

 なんでこんなとこに居んの?」

 

「こんなとこ、とか言わないで。私の地元だし」

 

「あ、そうなのか? こんな田舎の出身だったんだ?

 あの頃はずいぶん洒落者ぶってたのに(笑)」

 

「それは言わないで! がんばってたんだから」

 

「いま、四十代半ばぐらい? いつ地元に帰ったの?」

 

「相変わらずデリカシーないなぁ。

 地元の同級生と再婚したんだよ。彼の実家が果樹園やってて、

 それを継いだ8年前に、地元に戻ってきた」

 

「そっかぁ。オレは今日、柏に行こうと思って常磐線乗ったら、

 思いっきり寝過ごして、今ここだ」

 

「そーなんだ。歳だねえ…てか、太りすぎだし」

 

「太ってないよっ。筋トレし過ぎて肩幅が以上に増えただけっ!

 体脂肪率はだいぶ減ったんだからな」

 

「聞いてないから、それ」

 

 

そんな他愛もない話をホームでしたあと、

上野に出かけるという彼女に、常磐線上りを北千住まで隣席した。

上野まで90分ほどかかる田舎で、果樹園の手伝いもしている

二人の子持ち女性には全く見えないほど、

メイクも服装も垢抜けている。

たぶん最後に会ったのは二十代後半だったはずだが、

それから20年以上も経っているようには、全く見えない。

物語なら恋心でも芽生えそうな場面だが、

2000年代の関係性や、現在の幸せそうな結婚生活を聞いた影響か、

そんな芽生えは全くなかった。

 

「タッちゃんは結婚してないんだね。

 相変わらずフリー稼業なんだ?」

 

「まあね。誰かと一緒に暮らすのも、仕事するのも向いてないから」

 

「それな。私もそう思ったよ、遊んでた当時から。

 あの頃、一緒に飲んだ女の子の中に、

 〝タッちゃん、いいね〟って言ってる子いたけど、

 私、即座に言ってたもん。〝アレはやめとけ〟って(笑)」

 

「なんだそれ? オイ!」

 

 

彼女の元旦那は、00年代の半ばに仕事で大失敗をして、

ある日、行方をくらました。

気前のいい人で、飲みに行くといつも全員分を払っていたから、

お金のやりくりに失敗したんだろう。

そんな彼との離別を、「お互いに好きな人ができたから」と

オブラートに包んで説明する彼女の優しさに、心を打たれた。

東南アジアで彼を見かけた、という話を何年か前に聞いたが、

彼女に言う必要も無いだろう。

幸せそうないまだから。

 

「んじゃ、北千住だから降りるわ。

 会えてよかったよ。

 買い物、気をつけてな」

 

「了解。また、

 田舎の駅で偶然会えるといいね、タッちゃん」

 

「おうよ」

 

 

「寝過ごしもたまには悪くないな」と思いながら、

東武線に乗り直したら、また三駅も乗り過ごした、

盆過ぎの平日の昼間。

 

 

 

前日に雨が降ったおかげか、少し涼しくなった盛夏の日中、

家から自転車で5分ほどの、川縁のフットサル場に出かけた。

ここは、予約がゼロの平日の日中に限り、

千円払うとコートを使わせてくれる。

コーンを立ててのドリブル練習と、

バックスピンをかけて前に出したパスが

戻ってくるボールを思い切り撃つシュート練習。

「ひとりサッカー」でできるのはこの程度の練習だが、

1時間ほどやっていると、いい運動になるので、

この春ぐらいから月イチ程度のペースで、汗をかきかき自転車で、

この平日昼間のフットサル場まで通っている。

時折、夕方から練習を始める近所の少年チームのメンバーが、

だいぶ早めにやって来ることがあって、ネット越しに

中年親父が一人でドリブルしているのを眺めているので、

少し話をしたりする。

「両足の外側でドリブルできるのすごいねー」

「バックスピン、だいぶかかってるなー」

「今の左のアウト、すげえ曲がり方したなー」

なんて、オッサンのプレーになかなか

通な解説を加えたりもして来るので、頬が緩んでしまう。

ちょっといいところを見せたくなって、力が入りすぎ、

翌日の筋肉痛に直結してしまうこともしばしば。

小僧らは一緒にプレーして、教えて欲しそうだったりもするが、

一緒にやって怪我でもされたらたちまち事件になるので、

〝入ってくるな〟のオーラを出して、観客に徹してもらう。

子供たちにサッカーを教えるのは、好きだが苦手だ。

 

高校の部活は、2年生の夏に辞めた。というかクビになった。

顧問の教師とサッカー観が全く合わず、

設定してくる練習メニューも、実になるものと思えなかったので、

意見→反抗→謹慎を繰り返していた。

何より、自分よりサッカーが下手な人間に、教わる気がしなかった。

子供過ぎてどうしようもないと、今なら思うが……。そんな中、

謹慎処分でレギュラーを外されていた試合中に、ゴール裏での

玉拾いを命じられて、あまりにも面白くないので、

試合そっちのけでハンミョウ釣りをして遊んでいたら、

いきなり「ちょっと来い!」と顧問にベンチから怒鳴られた。

不貞腐れ顔でベンチに戻ると、

 

「もうオマエ要らねえや。辞めちまえ!」

 

と一喝された。そう言われるのは予想していたので、

「わっかりましたー!」と返す刀で言い、早々に荷物をまとめて帰った。

1年以上、だいぶ本気で取り組んだ部活動だったが、

後悔は全くなかった。逆に、

「オレ抜きで勝てるんなら、まぁ頑張ってくれ」

ぐらい思っていた気がする。

その後は色々あったが、1週間後、正式に退部届を出してやめた。

その間、先輩も同級も慰留に来てくれた人はいなかった。

自分の人望は、まぁそんなものなんだなと、少しがっかりした。

 

「まぁ、オマエは高校の部活より、

  クラブチームとかの方がいいと思うよ」

 

なんだか少し嬉しそうに、退部届を受け取った顧問が言った。

 

部活は辞めても、サッカーは続けていた。

週に2回は、大先輩が所属する地元強豪クラブのナイター練習に

参加していたし、学校から早めに帰れるように

なってもやることがないので、家の目の前にある小学校のグラウンドで、

「ひとりサッカー」に励んでいた。

そんなある日、ひとりサッカー中に顔見知りの紳士が声をかけてきた。

 

「なんだ? 最近よく一人で蹴ってるな?

 部活、辞めたのか?」

 

この紳士は、地元サッカー少年団の監督だった。

自分の子供二人も所属する少年団を、この地区では敵なしの

強豪に育て上げた鬼監督。

 

「そーなんすよ。クビになっちゃって」

「どうせ先生と合わなかったんだろ?」

「あ、わかりますか?」

「わかるよー。オマエ、中学の時もそうだったじゃないか」

 

この監督の上の息子は、同じ中学の二つ下だったので、

部活に差し入れなどもしてくれていたから、

中学のグラウンドでも顔を合わせていた。

 

「ちょうどいいや。いま、うちの下の坊主が6年で、

 少年団の一番上なんだよ。

 部活なくってヒマなら、教えにきてくれないか?」

「あ、いいですよ」

 

ヒマ潰しがもう一つ、見つかった瞬間だった。

 

翌々日、少年団のグラウンドに行くと、監督が

少年団のオリジナルジャージを用意して、待っていてくれた。

 

「ジャージはこれ着てよ。時間ある時だけ来てもらって、

 ギャラは月々で払うから」

「ギャラなんて要らないっす。その代わり練習後に、

 グラウンド使わせてもらえれば」

「あ、悪いね。じゃあ、そんな感じでよろしく」

 

その日から練習を見るようになったが、まず、

最上級生である監督の下の息子を見て驚いた。

身長が、高2の自分より高い。

まあ、こちらが低かったせいもあるが。

そしてプレーを見ると、大人びていてまた驚く。

この、下の息子は後々、Jリーグ大宮アルティージャの

前身であるNTT関東に進んでプロになったので、

今となれば腑に落ちるが、当時は衝撃的だった。

それでもかろうじてその頃は、自分の方が少し

レベルが上だったので、マンツーマンでもやり込めて、

なんとか大人の威厳を保った。

 

「よかったよ、来てもらって。

 あいつ最近、

〝パパたちオレより下手じゃん〟なんて

 オレたち父兄を馬鹿にしてるから困っててさ」

 

練習後に監督がこっそり打ち明けてきた。

確かに、そう言えるだけの実力が、下の息子にはあった。

 

その日から週に2、3度、練習を見に行くようになった。

練習が終わってからは、ひとりサッカーを存分にやった。

長い距離をジグザグにドリブルして、

金網の円柱ポールでワンツーをし、

小学生用の小さなゴールの角を目指してシュートを打つ。

円柱からのリターンは方向が予測不能だし、

ゴールの的は小さいしで、だいぶいい練習になった。

 

コーチを始めて1週間後。いつものように

アフターのひとりサッカーをしていると、一人の少年が

近づいてきて言った。

 

「コーチ、かっこいいなあぁ。

 ボクもそんな風になれるかなぁ?」

 

5年生の、補欠のメンバーだった。

 

「なれるよ。練習すればな」

「ほんと? じゃ、ボクも一緒にシュー練やっていい?」

「そろそろ暗くなるから、ちょっとだけな」

 

その日からその子は、練習が終わった後、

15分だけ一緒にボールを蹴るようになった。

当時の少年団は、6年生が6人いて、全員レギュラー。

残りの5人を、8人いる5年生が争っていた。

背も小さくて、実力もなかったその子は、5年生の中では

最下層だったが、アフター練を始めてからぐんぐん実力をつけ、

3ヶ月で試合に出るようになった。

 

「オマエのせいで負けたんだぞ、ヘタクソ。

 辞めちまえよ、バカ」

 

コーチ就任から半年後の練習試合。接戦を落として、

チーム全体がショボくれる中、ベンチに戻るなり、

その日初めて試合に出た4年生を罵倒している少年がいた。

アフター練でのし上がったあの子だった。

レギュラー入りしてからは、アフター練に来なくなり、

自信をつけたのはいいが、試合中に

ミスしたチームメートを罵倒する姿が目立つようになった。

相変わらず自分に懐いてくれてはいたので、

そんな姿を見ると注意したりはしていたが、

笑いながら受け流すようなところがあって、気にはなっていた。

この日の罵倒は一線を越えた気がしたので、

怒り気味に注意した。

 

「最低だなオマエ。

 仲間にそんなこと言っちゃうオマエの方が、

 辞めた方がいいんじゃないのか?」

 

そんなことがあった後の、次の練習に、

その子は姿を見せなかった。

監督に訊くと〝連絡もらってない〟という。

そして、翌週になって監督から言われた。

 

「母親から連絡あった。あいつな、親父さんが転勤で、

 どっちにしろ今月いっぱいまでだったらしいわ。でも、

 〝この前の試合でコーチに嫌われたから、もう行かない〟

 って言ってるらしい。

 なんかあったのか?」

 

 

そんなことがあって、なんだか子供相手のコーチ稼業が

少し面倒くさく、つまらなくなっていた。

その後2ヶ月ほど指導は続け、県の大会で準優勝するぐらい

までにはなったが、監督の下の子の卒業と同時に、暇をもらった。

 

だから……

 

子供たちにサッカーを教えるのは、好きだが苦手だ。

 

 

 

 

 

 

久々に〝朝まで飲み〟をやらかして、入谷駅0523発の始発で帰る。

始発は各駅停車だ。埼玉の、自分の駅まで50分弱。

うたた寝をするにはちょうどいい時間……だった。五十前までは。

還暦に近づくにつれ、それまでは絶対にしなかった「乗り過ごし」を

3回に一度のペースでやるようになった。

この日もまんまと乗り過ごし。6つ先の和戸駅まで。

乗り過ごしている間の眠りの中で、おかしな夢を見た。

 

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心の底から疲れ切って、千鳥足で家路に着く自分。

酔ってはいない。ただ、疲れている。

そんな自分を嘲笑うかのように、傘の端が欠けた街灯の下を

巨大な蛾がブンブンと飛び回っている。黄色い鱗粉を撒き散らしながら。

口中には苦味だけがある。鱗粉でも入ったか。上がってきた胃液か。

 

やっとの思いで、安アパートの自分の部屋に辿り着き、ドアを開ける。

当然あると思っていた「おかえり」の声が無い。

その声だけが聴きたくて、必死に歩いたのに。

その声だけが聴きたくて、泊まらずに帰ったのに。

仕方が無いから、自分で部屋の電球のスイッチを入れる。

と、部屋の中央のちゃぶ台の上にメモ書きがあるのが目に入った。

 

〝↓の子は私の代わり。可愛がってね。いままでありがとう〟

 

拙い文字で書かれた文章を読んで、少し動揺する。

なんだ。あいつはいっちゃったのか。

↓の子ってなんだ? と思い、ちゃぶ台の下を見ると、

ところどころが煤けて中の紙パイプが見えている段ボール箱の中に、

小さな生き物が眠っている。子猫だ。

白い毛に覆われた体表の中に、筆で描いたような文様が

ところどころに散らばっている。紺に橙、黒に金、茶に黄と、

六色が交差する文様は、誰かに悪戯描きされたように思えたが、

注意深く見ればそうではなくて、毛がその色なのだ。

こんなにたくさんの色が模様に入った猫は初めて見た。

そう思ってしばし、そいつを眺める。

 

寝顔を見ているうち、安らかなその表情が、穏やかな時の

出て行ったあいつに似ている気がして憎たらしくなり、

鼻を少し摘んでみる。すると子猫は、

プシュッと軽い嚔をし、目を覚ますと、こちらを潤んだ眼で見上げて、

「にゃあ」と哭いた。

 

〝オマエはあいつの代わりなのか?〟

〝………〟

〝代わりにここにいるつもりなのか?〟

〝………〟

〝嫌だよ。オマエも出て行っちまえよ〟

 

〝にゃあ〟

 

最後の問いかけにだけ鳴き声で答えると、

子猫は脱兎の如く箱から飛び出した。

しまった、ドアを閉めていない、と思ったのも束の間、

子猫は飛び出して行ってしまった。

慌てて追いかけたが、色とりどりの体表は電灯の下で一度だけ

きらりと輝き、すぐに宵闇の中に消えてしまった。

 

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そんな、短い夢。

和戸の駅から上り線に乗り直した電車の中でも、

ずっとその夢を思い出していた。

乗り過ごしの眠りの中で見る夢なんて、いつもはすぐに忘れるのに。

 

もちろんその夢は完全なフィクションだ。

独り暮らしは30年近くしたけれど、

安アパートと呼ばれるようなところに住んだことはないし、

もちろん、待っていてくれる女性と同居したこともない。

誰かと一緒に住むなんて、考えたこともない。

 

ただ、この夢に少し近い状況を、経験したことはある。

 

一人暮らしを始めて4年目ぐらいの頃。

その頃は、南麻布の、最寄り駅まで歩いて小一時間かかる、

つくりは立派だが古くて狭いマンションに住んでいた。

不便だから借り手も少なくて、2階の六つの部屋で、

入っているのは自分だけ。

だから、隣付き合いをしなくて済む分、気が楽で、

よく友達が泊まりにきては、どうでもいい話をしながら朝まで飲んだ。

 

その日は、近所の馴染みの店に友達が来ていて、

しこたま飲んで朝帰りをした。

ほうほうの体で階段を上り、やっと自室の前に辿り着くと、

ドアの前に白い段ボール箱が置いてある。

見るとテープ留めはしていなかったので、恐る恐る開けてみると、

中には猫がいた。

薄汚れたバスタオルの上に鎮座して、うとうとしている。

猫は子猫でも成猫でもなく、中途半端な大きさだ。

綺麗な三毛で、どことなく気品のある顔立ち。

 

なんだこれ? 捨て猫か? オレが飼えってのか?

まだ酔っているので状況を把握し切らず、

眠くて仕方ないので取り敢えず、

段ボールを玄関に引き入れ、冷蔵庫にあったシャケ缶を開けて

段ボールの中の猫の横に置き、そのままにして、

ベッドに直行した。

 

数時間後の夕方、猛烈な臭気で目が覚めた……。

臭気の元は、ベッド横にあるオットマンに寝転がる

見慣れぬ動物の尻だ。

寝惚けた頭で状況を整理する。

確かに自分は今朝、謎の猫入り段ボールを玄関に引き入れた。

こいつはその箱入り猫で、つい先ほど夕方の排泄行為をして、

ここに寝ていやがるのだろう。オレに尻を向けて。

部屋の中を見渡してみると、ブツはすぐ近くにあった。

窓際の、絨毯の端に。そして玄関では、横に倒れた段ボールの

周辺に、シャケ缶が散らばって強烈な生臭さを放っていた。

 

状況を推理すると、おそらく何者かが、

入居者の少ないこのマンションの、中でもひと気のないフロアの廊下に、

段ボール猫を置いて行ったのだろう。

その当時は、野良猫は捕獲されて殺処分がデフォルトだったから、

助けてあげようと思ったのかもしれない。

 

その後は部屋のブツを捨て、掃除をし、段ボール猫と一晩過ごした。

すぐにオレの脹脛に頭を擦り付けてくる、かわいいやつだった。

 

その当時は、ペットフードのメーカーが発行するペット雑誌の

編集をレギュラーでしていたので、捨て猫野良猫の事情に詳しい仲間がいた。

そいつに連絡をしてみると…

 

「捨て猫として保健所に連れて行くのが筋なんだろうけど、

 お察しの通り、ほとんど殺処分にされちゃうんだよねぇ…。

 オマエのとこ、麻布だったよな? 

 近所に愛猫サークルやってる知り合いがいるから、連絡してみるよ」

 

との返事。そして翌日のお昼頃、〝仲間の知り合い〟が

猫を引き取りに来てくれた。

愛護団体を運営しているというその女性は、

界隈では有名なお金持ちの家の奥様で、歳の頃なら40代前半の

気品ある美しい女性だった。

 

ペットキャリーケースに入れられる直前、

その女性の腕の中でダンボール猫は、潤んだ目でこちらを見て一声だけ、

〝にゃおう〟と泣いた。