第11回’05 デュアスロンジャパン国東半島 国見大会参戦記 | たつにいさんのブログ

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マラソン、トレイルランニング、ツーリング、エンデューロレース

昨年は、台風で中止になった今大会だが、今回ばかりはその被害もない。
しかし、また新たな問題が浮上。
トレーニングを効果的にする為にも、健康管理には人一倍気をつけていた。
にも関わらず風邪を引いてしまった。
9月4日のきつきトライアスロン以降、体の疲労が抜け切らないうちに、今回のデュアスロンジャパンに向けてトレーニングを開始したものだから、体の抵抗力はがっくりと低下していた。
「疲れているな。」と薄々感じていたのだが「ビタミン類をたくさん摂れば良いだろう。」と、たかをくくっていたのだが、大きな間違いだった。
喉の痛みにプラスして、体の倦怠感。
おまけに咳きも酷く、夜間も眠れない日々が続いた。
何度かジムでトレーニングしたが、身体が言う事を聞いてくれない。
日に日に筋力が低下して行くのが解る。
人間の体は「節約の法則」と言うのが存在し、身体を保つ為に必要以上なエネルギーを消費しないで済む様に、使わないとどんどん筋力が無くなり、筋肉も細くなって行くのだ。
骨折をした時、患部を動かさないでいると、ゲッソリ筋肉が落ちている事を経験した貴兄もいるだろう。
まさにそれこそ「節約の法則」なのだ。
自分でもその筋肉が落ちていくのを感じた。
悪い事は更に続く。
風邪がようやく小康状態になってきたかと思う頃、ファクトリーのエンデューロレースでマーシャルをしてくれと依頼があった。
正直な話、あまり気乗りがしなかったのだが、主催者のY野氏が「マーシャル専用だ。」とジャージやモトパンをプレゼントしてくれた。
そんな経緯もあり、マーシャルを断りにくくなってしまい、とりあえず行く事にした。
土曜日の朝、午前6時に起床。
体調はまだ不十分だが、少しでもトレーニングしておこうと、ウエストバックに少しのお金を入れ、ウィダーインゼリーを1本飲んで自宅を出発。
まずはラントレーニング。
排気ガスの多い幹線路を逃れて、山手の方へ走る。
天気も良く、直ぐに汗ばむ。
いつもなら汗ばむ頃、脳内からβーエンドロフィンが出てきて「ランナーズ・ハイ」が起こるのだが、体調が不調な為に気分がすぐれない。
ラントレーニングを終え、自宅に戻る。
次はバイクトレーニングだ。
デュアスロンは「バイク」「ラン」「バイク」の競技なので、トレーニングも「ラン」と「バイク」のクロストレーニングを行って、身体に適応力を知らしめておかなければならない。
合計12.5kmのランと12.5kmのバイクトレーニングをした。
トレーニング後、朝食。
その後、前々から延び延びになっていた、通勤XRのチェーンと前後のスプロケを交換する為、バイク屋に行き、交換作業をしていたが作業中気分が悪くなって来た。
それでも交換を終わらせなければならない。
なんとか交換を終えて自宅に戻った。
自宅に戻ると誰もいない。
どうやら愛妻は買い物に出掛けているらしい。
具合が悪いのでリビングのソファーに腰掛けていたが、更に気分が悪くなってきた。
風邪なのに、無理強いしてトレーニングをしたのが悪かったのだろう。
1時間程横になっていると、少し気分が回復。
トランポにウエア類、ヘルメット、ブーツ着替え等を積み込んで自宅を出発した。
途中で温泉に入り、後小国町内で買出しをして、阿蘇観光牧場を目指した。
この阿蘇観光牧場は、マラソンの実業団の選手もトレーニングに来る様に、芝生のランニングコースがあるのだ。
走ってみたかったのだが、体調が悪くて全くそんな気分にはなれなかった。
大会はどんどん近づいているのに、自分の満足のいくトレーニングが出来ない。
気持ちは焦るばかりだ。
おまけにレース当日に、オートバイで転んでしまい、右側の肋骨2本にヒビが入ってしまった。
翌日からは、ベットから起きるのも辛い、特にくしゃみや咳きはご法度だ。
一度でもくしゃみや咳きをする途端、刺すような鋭い痛みが、右側半身を支配する。
いよいよトレーニングも満足に出来ない身体になってしまった。
もちろん走る事も出来ない。
走ると振動が肋骨に伝わり、又も刺すような鋭い痛みが右側半身を支配する。
「今回の出場はキャンセルしょうか。」と弱気な気持ちが何度も心の中を横切る。
我ながら情けない話だ。

デュアスロンジャパンの前夜に「ウェルカムパーティ」(国東半島の山海の珍味や新鮮な刺身、唐揚げ、枝豆、海老、ビール、ジュース、お茶、焼酎、酒が飲み放題食い放題)があったのだ。
その時に主催者の方に「わたしはねー。アスリートのみなさんが、ご家族と一緒にゴールするシーンが一番感動的で嬉しいのですよ。明日は是非ご家族、お子さんと連れ立って、ゴールテープを切ってくださいね。」と言われてしまった。
肋骨にヒビが入り、満足なトレーニングも出来なかったわたくしは「ええ。」と小さくうなずくだけだった。
見上げた目の前には「日本一過酷なコースが選手諸君を待ってるぜ。」とデカデカと横断幕が掲げられていた。
国見町の町長さんも「ウチのコースはねー。日本で一番過酷と言われているのですよー。最初の第1回は500人くらい参加があったのですけどねー。あまりにコースがキツイので、年々減って今は100人くらいしか集まらないですよー。」と言いながらわたくしにビールを注いでくれた。
そして「まあ、コースのキツさが一つのウリなんですねどね。」とグビリとビールを一気飲みした。
わたくしのテンションは一気に下がり、ブルーな気分になった。
しかし、数秒後「よし!その日本一キツイコースを完走してやろうじゃないか!」と心を決めた。
もう会場に来たのだ。何も迷う事は無い。
自分で進んで参戦すると決めた大会だ。
トレーニングがまともに出来なかったからと弱気になるのは、自分的にもやはり「おかしい。」と感じた。
行けるとこまで行くしかない。
そんな事を考えていると、この大会を企画している、町役場の企画長が話し掛けて来た。
当たり障りの無い世間話をしている最中に「今日は何処に泊まるの?」と言う話になった時、わたくしが「今晩は家族全員で車の中で寝ます。」と言うと、彼は、この会場にある和室を使わせてくれると言う。
しかも毛布まで用意してくれた。
ありがたい話である。
約20畳敷きの大広間に、家族4人が寝る事となった。
どうやら一般の人達から見ると、車中泊をすると言うのは、事の他気の毒に見えるらしい。(笑)

 

 

とうとう日本一コースがハードと言われる、デュアスロンジャパン開催の朝がやって来た。
朝6時に起床して、朝晩のウエルカムパーティで貰ったおにぎりを3個食べた。
そして当日の出走受付を済ませ、着替えをする。
依然として右側の肋骨2本のヒビ箇所が痛む。
足底筋膜も痛いので、十分なアップが出来ない。
それでもスタート時間がやって来る。
そして予定時間の午前9時、わたくしが参戦するフルコース「第1ラン8.5km、バイク59km、第2ラン11.5km」の長い道のりのレースがスタートした。
第1ランは、国見役場のみんなんかんをスタートし、伊集川沿いを通り、妙見トンネルを抜け、竹田津大橋を渡り、武多部神社を見ながら再度スタート地点に戻る8.5kmの道のりだ。
「とにかく完走だけはしよう。」とペースを控えめに、1km/5分(時速12Km/h)で走った。
第1ランのコースは殆どが直線で、トップを走る選手の姿が見える。
41分41秒で第1ランを終えた。
バイクパートに移る為、バイクラックに掛けてあるトランジッションエリアに行き、バイク用のパンツを履く。
ヘルメットを被りバイクを押してスタート地点に向かった。
バイクスタートの設営されたエイド地点で、むぎ茶を1杯飲んだ。
今から59kmの日本一ハードと言われる、バイクコースに向かった。
沿道では地元の人達が、応援してくれている。
とても勇気付けられる。
長いバイクコースに備える為に、バイクのBENTO BOXに補給食のウィダーインゼリーを2つ入れていた。
1つ取り出した時に、後で飲むはずだった2個目が道路に落ちた。
拾うのも面倒だったので、そのまま走る事にした。
この後補給食なしで走り続けなければならない。
わたくしの参戦するフルコースは、片道約15kmのコースを2往復する。
ハーフコースに参戦している選手達は1往復で良い。
わたくしはハーフコースに参戦している選手より、このコースで2倍苦しむ事になる。
スタートして1kmも進まないうちに、早速上りが始まる。
ダラダラと長そうな上りだ。
「上りやカーブが多いコース」と言うふれこみ通り、先が見えにくい上りが続く。
心拍数を出来るだけ上昇させないように、乳酸を溜め込まない様にペダリングする。
上っては、下り、上っては、下り、上っては、下り、そして曲がる。
上っては、下り、上っては、下り、上っては、下り、そして曲がる。
猫の目の様に巡るましくアップダウンが続く。
殆ど平坦な箇所が無い。
そして片道約15kmの行程に、大小のトンネルが7つもある。
文字通りハードで険しい山岳地帯だ。
1周目の折り返し地点には、チェックを含めたエイドがある。
わたくしがターンする時に、ナンバーカードを見た人達が「おっ!ゼッケン1番」と言った。
1番を付けていると言う事は、どんな大会でも「速い選手」だと思われる様だ。
その事を直感したわたくしは即座に「いえ、別に速くないですよ。エントリーが1番だっただけです。」と説明した。
そして「来年は、少し遅らせてエントリーしょう。」と心に誓った。
このエイドを過ぎると約2kmの上りが続く。
バイクでは、主に大腿四頭筋が使われるので、ここのレジスタンストレーニングを重点に行っていた。
それが、やや功を奏したか、去年このコースを試走した時より少しばかり楽に感じた。
1往復目の折り返し地点には、地元の子供達が多くいた。
そして口々に「ガンバレー!ガンバレー!」と応援してくれる。
わたくしは「うぉーい!がんばるぞー!」と声援に答えた。
2往復目になると流石に足に来る。
上りで必死にペダルを漕いでいると、すれ違う選手が「ファイトー!がんばれー!」と声を掛けてくれる。
そう、みんな同じコースで戦っているのだ。苦しいのは自分だけじゃない。
そして「一人じゃない。みんな仲間なんだ。」そう感じた。
バイク59kmの行程を2時間36分45秒で終えて、スタート地点の「みんなんかん」に戻って来た。
その時丁度、トップの選手が帰って来て、ゴールしていた。
わたくしは、今から11.5kmの第2ランをスタートすると言うのにだ・・・。
呼吸はそんなに苦しくないが、第1ラン8.5km、バイク59kmで、両方の足裏と大腿三頭筋が痛む。
とにかく狂うしい程に痛い。
痛み止めが欲しいくらいに痛む。
11.5kmの第2ランも、みんなんかんをスタートして折り返しを往復するコースだ。
行きは緩やかな坂になっており、かなり過酷に感じた。
地元のおいさん達が「おい!ゼッケン1番!しっかり走らんか!」と叱咤激励をくれるが、なかなか思い通りに行かない。
気温も上昇し、汗が全身から噴出す。
額から流れる汗が、両目に入って痛い。
3キロ地点に用意されているエイドで頭から水を被る。
足が痛くても、とにかく歯を食い縛って走った。
がんばるしかない。
ゴールが近づいて着た。「あと残り1km」の看板が目に飛び込む。
その刹那背筋が攣り、呼吸が満足に出来なくなってきた。
大腿筋が悲鳴を上げ、大腿三頭筋が引き攣ってきた。
ヒラメ筋が攣り、足底筋膜の感覚が無くなってきた。
ゴールのみんなんかんが見えて着た。
昨晩のウェルカムパーティーで、お決まりの世間話をしながらわたくしにビールを注いでくれた、町会議員の顔が見えた。
彼はお決まりの笑顔で迎えてくれた。
愛娘に「おとうさん、ユウちゃんと手をつないで一緒にゴールしょうね。」と言われてがんばった。
その一瞬の為だけにがんばった。
なのに、わたくしが近づくと、娘はわたくしを置いて、一人でゴールテープを切ろうとした。
「行かせてなるものか。」最後の力を振り絞り、ようやく彼女に追い付いて「主催者希望通り感動のゴールシーン」となった。
開催日:2005年10月16日