おはようございます。
パーソナルトレーナー・スタジオインストラクターの金崎達朗です。
今日はちょっと小話(ヒーリング系のレッスンで金崎は必ず小話を5分くらいします。笑)
週に1冊は本を読めるように時間を作っているのですが、今週読んだ本を紹介します。
『生き方』 著:稲盛和夫
京セラを設立し、今のKDDIを創設、近年では経営破綻したJALを再生された稲盛氏の「フィロソフィ(哲学)」がこの本には余すことなく綴られ、社会人として、また一人の人間としてとても勉強になりました。
本書の「利他の心で生きる」の中で『心の持ち方ひとつで地獄は極楽にもなる』という内容があります。
以下、本分より抜粋いたします。
―あるお寺で若い修行僧が老師に「あの世には地獄と極楽があるそうですが、地獄と極楽はどんなところですか」と尋ねてみました。すると老師は次のように答えます。
『確かにあの世には地獄もあれば、極楽もある。しかし、両者には想像しているほどの違いがあるわけでもなく、外見上は全く同じような場所だ。ただ一つ違っているのは、そこにいる人たちの心なのだ』
老師が語るには、地獄と極楽には同じように大きな釜があり、そこには同じように美味しそうなうどんがぐつぐつと煮えている。ところが、そのうどんを食べるのが一苦労で、長さが1メートルほど長い箸を使うしかないのです。
地獄に住んでいる人は皆、われ先にうどんを食べようと、争って箸を釜に突っ込んでうどんをつかもうとしますが、あまりにも箸が長く、うまく口にすることができない。
美味しそうなうどんを目の前にしながら、誰もが植えて痩せ衰えている。
それが地獄の光景だというのです。
それに対して極楽は、同じ条件でも全く違う光景が繰り広げられています。
誰もが自分の長い箸でうどんをつかむと、釜の向こう側にいる人の口へと運び
「あなたからお先にどうぞ」と食べさせてあげる。そうやってうどんを食べた人も
「ありがとう。次はあなたの番です」と、お返しにうどんを取ってあげます。
ですから、極楽では全員がおだやかにうどんを食べることができ、満ち足りた心になれるー
同じような世界に住んでいても、あたたかい思いやりの心を持てるかどうかで、そこが極楽にも地獄にもなる。
これが、この話の言わんとしていることなのです。
「1メートルもする箸って、長くね!?」「あの世ではうどんが食べれるのかぁ」
なんて金崎は思いながら本文を読みながらも、色々と自分の世界と結びつけて考えてみました。
私にはあの世この世や天国・地獄といった「死生観」は現在ありませんが、生きていく上でこの考え方はとても大切だなと感じました。
私が活動しているフィットネスクラブや個人的に利用する会員制ジムにも「煮えたうどんと箸の話」と同じようなエピソードが起こります。
つい先日、個人的に利用している24時間ジムで会員の方同士がマシンの使用について揉めており「何事だ・・・」と少し聞こえてくる話に耳を傾けると「自分が使いたいマシンをずっと使っている!早く退け!」といった内容でした。
他者に物事を伝えるときにはマナーや言葉使いが大切だと思いますし「なんだかなぁ・・・」と思いながらも、自分の身になって考えてみました。
もしかしたら、そのお怒りになっていた方は気が立っていたのかもしれませんし、そのマシンを使いたいのに利用されていた方があまりにも使用時間が長くて、しかもそれが常習犯的で、業を煮やして本人に伝えたのかもしれません。
私だったら「違う種目に切り替えよう」と代替させて満足しますかね。あるいは「次使いたいんですけど、何分くらいで空きますか?」と丁重に質問します。
それでも言えなかったり聞かないような方の場合はスタッフに相談しますかね。
自分の感情に反応的になってしまっては、気持ち良く運動を楽しめないですし、何よりフィットネスクラブに行くのは快適に運動をしたいからであって、嫌な思いやケンカをしたいわけでは誰もないはずです。
今回、この『心の持ち方ひとつで天国にも地獄のもなる』は私にとって、とてもリアルな学びになりました。
自分のスタジオレッスンや指導の現場においては同じ時間を全員が気持ちよく、そして楽しみながら、自分の身体作りや目的に合わせて一緒にフィットネスに励んでいけるような空間にしていきたいと、常々思います。
いろいろな方がいらっしゃいますので、感じ方・行動・言動は人それぞれ、多様かと思います。
しかし、願わくば「お先にどうぞ」「ありがとう、次はあなたの番よ」と私を含めみんなで言い合えるような時間と場所をインストラクター・指導者として創っていきたいと思います。
そして、私生活でも「利他の心」を大切にしていきたいですね。
ちょっと小話でした。
明日のお昼はうどんにしましょうかね。
(高GI炭水化物ですので、トレーニング後に最適です)
GI値の話はまた明日いたします⭐︎
金崎 達朗