ホツマツタヱには系統不明の人物がチラホラ登場します、その中で以前にも紹介した例が「ヰチヂとは猿田彦である」事から、その系譜を系図にすると、

 上図の通りとなり、実は中臣系の祖となります。

 

  上記のブログでも書きましたが、小野と猿回しが関係している時に調べた『猿屋伝書』には「渦女命とは即ち猿女命の御事にして猿田彦命の御妻春日大明神の御母なり。」とあり、春日大明神とは「天児屋命」を指しますので、ホツマツタヱからその父母を特定すると、「ヰチヂアサカ姫」となり、この二人が「猿田彦ウズメ」となるのです。

 

 オオカシマ日立などもこの系譜になるので、猿田彦の勢力がいかに大きかったかを知る事が出来ます。

 

 猿田彦とは族長の称号ですから歴代の猿田彦がいます、しかしこの伝承からヰチヂが猿田彦の一人であったと分かる事から、上記の系譜が猿田彦の個人名を記すものだと分かったのです。

 

 猿田彦の名乗りはアメノウズメが「猿女君」となった時から廃止され、猿女氏が誕生したと解釈されています(私もそう思っています。)、だから猿女氏の後には猿田彦を名乗る者はいなくなっているとも言えます。


 なのでアサカ姫ウズメの一人ではあっても、猿女君となった女性は他にいると考えられ、時代的には神武天皇の頃だと思います。


 この猿女君となったウズメの個人名は分かりませんが、櫛甕魂命の娘の誕生時にはまだ猿田彦が存在していた事をホツマツタヱは伝えています。

 

 私はこの時の猿田彦の息子が「長髄彦」だと思っています、母は天太玉命の娘だと思っていますが、名は記録されていません。

 

 九鬼文書は中臣家の古文書に由来するものですから、九鬼文書の内容を伝えていたのは「猿田彦の系譜」となり、九鬼文書の内容から「メソポタミアエジプトイスラエルインド」のユダヤ系日本人と推測される為、猿田彦はクナト王の系譜であり、ユダヤ系日本人の末裔であり、ドラヴィダ系日本人の血筋と言えると思います。

 

 猿田彦の姿が天狗に似ているのも、鼻が高く赤ら顔で、キルギス系日本人とは特徴が違う事を強調しているのでしょう。

 

 中臣系がユダヤ系日本人だと思っている人は少ないでしょう、しかし証拠を積み上げれば事実だと認識せざるを得ないと思います。

 

 現代までは伝承されていなくても、多くの日本人はメソポタミア由来の血筋に染まっていると考えられます。

 

 皆さんの目からウロコが落ちる事を楽しみにしています。(笑)

 

 龍海