20時じゃないけど書く
10月18日は新宿区私立幼稚園連合会から
講師として呼ばれて、久々に講演をしなくてはならない。
前は
講演前になったら眠れなくなる不眠症
過敏性腸症候群により
トイレに行きたくなったらどうしよう
と悩みに悩み、何年も行っていなかった
精神科に通うことになった
通院により上記のことは完全ではないけれど
改善されたのだが
今度は
「17日の夜に妹が水を大量に飲み、救急車で運ばれ呼び出しをされたらどうしよう。
私は寝ないまま、18日の講演にフラフラで
向い、大失敗の講演になってしまう」
と思い、それを避ける方法を模索している。
例えば
携帯電話も固定電話も電話線を切ってしまい
連絡をとれなくする。
ホームに電話して、17日の夕食後の19時に頓服のリスペドリンを飲ませてもらい、水を飲むのを避ける。
でも、この行動って不安を消そうとあらがっている行為に他ならない
こういうことを
全か無か思考
黒か白か思考
0点か100点か思考
で完全になくそうとしていること自体がいけないんだ。
それをさんざん主治医から言われてる。(主治医から言われていることは後半に添付してます)
でも、やっちまいました
一昨日、ホームのケースワーカーさんから事務連絡があったとき
「私、18日に大切な講演があるんです。だから、必要がなくても妹に頓服薬を飲ませてください」と
ケースワーカーさんからは
「はい、検討しますね。でも、水飲みは頓服を飲ませたからと言ってやらないことはないみたいです。
訪問看護の精神科の看護師が言っていました」
そうだ、そうだった
松沢病院の受診のとき
「水中毒を防ぐため薬を増やしてほしい」
と伝えたら
「そんな魔法の薬があったら、誰も苦労はしてませんよ。これが出来ないから精神医療の世界では医師たちも困ってるんです」と
そう言われたことを思い出した。
コロナが収まりつつあって、リアルな講演会を何件か依頼されている。
妹のことさえなかったら、とつくづく思う。
こうやって公開ブログに書くのも、吐き出して自分の不安を何とかしたいからだと思う。
(公開する理由は他にもあります。
前のブログに書いてます)
【主治医からの添付参考資料】
悩みが生じるのは自然の摂理であり、何とかしようとあらがうと、自然に反することになり悩みが深くなると考える。
そのためあるがままにして、今なすべきことしたいことに目を向けて行動することで本来持っている生きる力を引き出すことに注力する。
欲望にはよりよく生きたい欲望(生の欲望)と、悩みを何とかしたい欲望(死の恐怖)を下にした欲望の2つの方向がある。
普段は「よりよくありたい」、「良い人間関係でいたい」、「仕事で成績を上げたい」、「健康になりたい」などよりよく生きたい欲望に生きる力を発揮しているのに
その欲望が現実生活実現できないと、生きづらさを感じ、悩みが生まれる。
すると今度は悩みを何とかしたいという欲望へと意識が移っていく。
ところ何とかしようとすればするほど悩みが深くなる。
こうなるとより良く生きたいという欲望に意識が向かなくなる。
これまで頑張ってきた人ほど、悩みをなんとかしたい欲望も強く心の悪循環になる。
やってみた結果、うまくいってもいかなくても、それを経験した自分としてやっていけばよい。
感じって見た結果、満足でも残念でも、様々な感情を持つ自分をあるがままに引き受ける。
そうしていくと「今の自分のままでよい」が心に刻み込まれ、無理をしなくてもよく、辛さがなくなっていく。
心とは動いているもの。
それが自然の心と考える。
「べき思考」に縛られる、失敗に囚われる、他人の目が気になる、身体の症状をなくしたいなど何ともならないことに意識が向いていると、心の流動性が失われる。
普段、心は先へ先へと進んでいくものだが、生きづらいと感じるときは「どうしよう。どうしよう」と心が内向きになって止まってしまう。
すると悩みはどんどん深くなる。
不快な感情でも感じたままあるがままに放っておくと、心が立ち止まることなく自然に流れて不安のピークの後は少しずつ消滅する。
これが心の自然なのだ。
自分で何とかできる悩みなら対策を講じることができるが、何ともできない悩みというのは、何とかしようともがけばもがくほど却って深刻になるもの。
何ともできない悩みには
不安や恐怖イライラ落ち込みなど不快な感情
緊張や動機など正常な身体反応だが不快に感じてしまう現象
他人の考えや心の内
などが挙げられる
例えば、今、不安なのに不安を感じないようにすべきと意識することは、「今の自分ではダメだ」と自分を否定することになり、心が縛られてしまう。
何ともできない不安はあるがままにし、「不安を抱えた自分のままでよい」と丸ごと受け入れる。
そこから今なすべきことや好きなことに目を向けやってみると、そのうちに心が動き出し、不安が消滅する。
他人に対しても他人の考えや頃の自分ではなんともできないもの一つ。
人の目が気になって仕方がない場合も「他人が変に思っているん違いない」「あの人は私を嫌っている」など他人の気持ちが気になって一喜一憂するのではなく…
人にもいろいろな感情があって良いと考える。
他人もあるがままに受け入れ“今の自分のまま”で踏み出す。
「なんであの人はこう考えるのだろう。嫌な奴だ。」と思う必要はない。どうしようもないものだからだ
おわり
妹の水中毒についてはこちら
また、20時に寄ってください発達障害の子の園選び