個人的には、地酒って言葉に私は非常に疑問を持っています。
以前はそんなに違和感無かったのですが、以前酒匠のテストで地酒とは何かを問われた時に今の地酒に対して改めて疑問を持ちました。
現代清酒について、私が思うのは、技術の進歩によって、どんな味のお酒でも造ろうと思えば造れるし、日本全国、どこでもスーパーがあればほぼ同じものが食べる事が出来ます。
日本酒の酒造好適米にしても、兵庫県の特A地区で取れた山田錦が最高とされて、全国から買い付けが行われています。
ナショナルブランドと呼ばれる大手企業のお酒にしても、大半が灘で造られている訳だから、東京を基準に考えると地方と言う事になって来ます。
大手企業と中小企業の違いを考えると、大手企業は酒造りに必要な諸条件が、大きい資本によって可能ですが、大きい資本をずっと回し続けないといけないので、万人受けする味のお酒を造り続けないといけないし、小さい企業は、コアなファンを増やさないと生き残っていけない。
ただし、最後は消費者の食卓に出される杯で勝負が決まる訳だから、その一杯にどれだけの情熱を注ぐ事が出来るか?その一杯で人を感動させられるか?って事になるわけだなって思います。
こう考えると地酒って言葉が必要なのか?を考えると実は必要無いのではないか?って、最近益々思うようになりました。
そもそも、最初に地酒って概念が出来たのがいつかを考えると、豊臣秀吉が亡くなる少し前に、醍醐の花見で、日本全国からお酒を集めて飲み比べをしたことで出来たのかなって、個人的には考えています。
それから、江戸と言う世界史上はじめての大消費地が誕生し、そこで全国から地酒が集まって、結果的に灘のお酒が関係者の努力により大量に消費されるようになって、いつの間にか、灘の大手がナショナルブランド、それ以外が地酒って構図になって、現代に至る訳ですが、元々消費者の杯で喜んで貰っていたのが、灘のお酒で、灘の大手がシェア争いって消費者を忘れた事が、実は今一般的に言われている地酒って言葉に繋がっているのかな?って思ったりします。