京都・妙泉寺での奉納演奏 | 篠笛奏者:朱鷺たたら 笛吹き道中記

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実家が檀家であるお寺さん、妙泉寺さんで、法然さんの800年回忌記念行事として、奉納演奏を行ってきた。

800年回忌って!

生きてはったころは、13世紀ということか。

人間の生き様は進化しないんやな・・

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ところで、いま読んでいる本が「河原物のすすめ」(篠田正浩著)。

著者が映画監督であるためもあってか、学術書よりわたしなどはずっと読みやすく、考察の対象である芸能者たち(芸能人ではない!)が映画の登場人物のように、わたしの頭のなかで、生き生きと動いているような感覚を覚え、半ば興奮気味に読み進んでいる。

色々な時代を行ったりきたりしながら、その時代の河原者たちが、差別され、しかし同時に畏怖の対象であったことや、芸とは「劇的なるもの」の追求であることなどのくだりには、何で自分がこんなに興奮して読んでいるのかわからないが、わが意を得たりとばかりに膝を打った。

そんな本の世界に半分心が飛んでいっているなか、久しぶりに京都へ向かった。

妙泉寺さんにごく近い地下鉄「二条城駅」の階段を地上へ出ると、目の前が二条城の門だった。

出身地なのに、こうして離れてみれば、この土地の景色の特異性に圧倒されてしまう。

なんや、この景色は!

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数年前だったか、京都でのライヴで、東京のミュージシャン仲間を誘って、車で京都入りした際には、高速降りて市内に入り、まず目にする西本願寺に、彼らがわあわあ~騒ぎ、一体なにが車窓にあるのかと、急いで外を見て、なにに驚いたのかわからなかった自分を、まだ京都人やなあ・・・と認識したのだが、このたび、二条城のお堀と門、そしてそれらをなんとも思わず、散歩している人を見て、なんや、この景色は!と思ってしまう自分がいた。

さびしい・・

さて、こんかいは1時間程度の演奏時間であったが、途中、能管も短いながら聴いてもらうことにしていた。

大抵の会場で、能管を知っているお客様は非常に少ないのだが、ここでもこの土地柄を強烈に思い知らされたのは、80名ほどの檀家さんたちのほとんどが能を見たことがあり、能管をご存知であったということだ。

やりづらい~~

なんて、いいませんけども、さすが!と正直、思った。

京都にしても、東京にしても、身近に能楽堂や歌舞伎座がある。

岡山へきてから、そういう場所が本当に遠い。

身も心も遠い、という感覚であることがわかった。

新見にいるから余計だろうけど、昔は映画館もあったらしいが、いまはレンタルショップが市内に1軒だ。

とはいえ、わたしはまだ新見市街地の、それもどうやら繁華街のど真ん中に住んでいるらしいのだが、最近知り合ったお母さんたちは、ずうっと山の上の方に住んでいて、毎日雲海を見下ろせるといっていた。

雲海・・・?

アンビリーバボー・・・!

そして、ワンダフォーー!

凄い。

かなわん。

能楽堂より雲海の方が、ある意味凄い。

実家は金閣寺さんと同じ町内で、毎年の夏の地蔵盆の最後を飾る肝試しは、金閣寺で行っていた、というのも後から考えると凄い。

でも、雲海の前には負けた。

車のなかったころは、まるで天上人ではないか。

異邦人の目でみれば、見慣れた景色が変わる。

土地の人にとっても、異邦人の存在が自分達の有様を映し出す鏡になる。

演奏後、高速バスに乗るための大阪行きの電車で、大阪弁と京都弁のシャワーを全身に浴び、
「ええなあ、濃いなあ。やっぱでも大阪弁は濃すぎるわ~」と満喫。

高速バスでは、岡山弁のシャワーにさらされ、まだ残る若干の抵抗感と戦いながら、徐々に身体を慣れさせて帰宅した。

言葉の持つ音の世界は、考え方まで左右するほどではないかと、常々思う。

こうして、中国地方、そして大阪、京都と違う語圏を短い時間に移動すると痛感する。