なぜ長野に行かない?臨時特急しなの号 | しなのは走るよ♩♫どこまでも☆♩♫♬

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みなさんこんにちは!

はじめての方ははじめまして。

グリーン車に魅せられ、通算100回以上在来線特急・新幹線のグリーン車を乗り通したZelpher(ゼルファー)です。


最近は特急しなの号のネタに特化していますが、今回も同様にしなの号の事を扱います。

テーマは

特急しなの号はなぜ臨時列車と定期列車で運行経路が異なるか?

についてです。

この疑問を追求してみたいと思います。

異色を放つ白馬ゆきしなの81号。


結論を先に言いますと

国鉄時代に運行されていた
急行列車の名残り

ということになりますが、順番に取り扱っていきます。


 運行経路


まず、運行経路について考えます。

次の図を見てください。

これは特急しなの号の運行経路を表したもので、青色が定期列車の運行経路、緑色が臨時列車の運行経路を表しています。

特急しなの号運行経路図。

定期列車は名古屋〜長野を中央西線・篠ノ井線経由で結ぶのに対し、臨時列車は以下の2つの運行経路になっています。

  1. 名古屋〜白馬を中央西線・篠ノ井線・大糸線経由で結ぶ経路
  2. 名古屋〜松本を中央西線・篠ノ井線経由で結ぶ経路

途中の松本までは同じ経路ですが、臨時列車の場合は絶対に長野に行かない点が特徴的です。

つまり、定期列車では名古屋〜白馬を結ぶ列車は無く、逆に臨時列車では名古屋〜長野を結ぶ列車は無いという訳です。

なぜこの様な特殊な運用をするのでしょうか?


 国鉄時代の優等列車


その理由の1つは、国鉄時代に運行されていた『急行つがいけ』『準急きそ』の存在です。

国鉄時代、特に1960年代〜1970年代は、準急、急行、特急と数多くの優等列車が東京、名古屋、大阪の大都市から全国の地方都市に向かって走っていました。

中央西線は主に大都市名古屋と長野県の地方都市塩尻・松本を結ぶ路線で、過去には10種類にも及ぶ優等列車や夜行列車が行き交っています。

その中でも、『急行つがいけ』と『準急きそ』の運行経路が、臨時特急しなのと非常に酷似しています。

 急行つがいけ

名古屋と大糸線沿線を結ぶ不定期列車として1966年10月に名古屋〜信濃森上間で運転を開始。後に運転区間を南小谷まで延伸したが1982年1月に廃止。

出典:Wikipedia しなの(列車) 中央西線優等列車


 準急きそ

中央西線で最初の優等列車として、1947年6月に名古屋〜松本間で運転を開始した準急列車。1985年8月に廃止。

出典:Wikipedia しなの(列車) 中央西線優等列車


この2つの列車は、列車種別と列車名こそ違うものの、現在の特急しなの号の臨時列車とほぼ同じ運行経路になっている事がわかります。


次に時刻表を比較して、運行経路を詳しく調べてみます。


 時刻表の検証


次の写真を見てください。

上の写真は臨時特急しなの号の時刻表、下の写真は電子版の急行つがいけ・きその時刻表になります。

出典:コンパス時刻表12月号 交通新聞社


画像出典:Rail・Artブログ 
1982年夏の急行「きそ・つがいけ」の時刻


電子版の時刻表の中で『t51』と表記されている列車が『急行つがいけ』の時刻になります。

名古屋始発が23:31なので、急行つがいけは夜間急行だったようです。

この列車の時刻としなの81号の時刻を見比べてみますと、『急行つがいけ』の終点は白馬駅の次の信濃森上駅、『特急しなの81号』の終点は白馬駅という違いはありますが、実質的に運行形態はほぼ同じであるという事がわかります。

つまり、白馬駅を発着するしなの81号・84号の前身が『急行つがいけ号』だったと言えます。



松本駅を発着するしなの82号・85号についてもみていきます。

次の写真を見てください。

これは1975年春の中央西線の時刻表です。

画像出典:Rail・Artブログ
74年夏の急行「きそ・つがいけ・しらかば」の時刻


時刻表の1番右側を見ると、『急行きそ52号』の時刻が掲載されています。

駅名は写真の左側が切れていて見ることはできませんが、おそらく始発駅は松本駅です。

つまり、松本駅を発着するしなの82号・85号の前身が『急行きそ号』だったと言えます。

ちなみに『準急きそ』は1968年10月に中央西線の急行列車統一によって『きそ』に統合されたので、実質的には『準急きそ』が前身となります。



それでは、臨時特急しなの号の前身となったこの列車が、その後どの様な変遷を辿っていったのか補足します。



 『特急しなの』の誕生と『つがいけ』の統合


名古屋〜長野間を結ぶ『しなの』の運行が始まったのは戦後間もなくの頃。

最初は準急列車でしたが、その後急行に格上げされ、1968年10月に急行から特急に格上げされた際、気動車キハ181系を用いる形で『特急しなの』が誕生します。

1973年に中央西線が電化されると381系電車が投入される様になります。

中央西線はカーブや勾配がきつい山間部を走る路線ゆえ、キハ181系では速度を上げて走行することができずにスピードアップの足かせとなっていましたが、これが381系電車で運用されるようになった事で大幅なスピードアップが実現しました。

国鉄が産んだ20世紀の名列車381系電車。


特急しなののスピードアップに伴い、定期列車としての運行本数も年を追うごとに増発。

1982年に『急行つがいけ』が特急しなのに統合される形で廃止になります。


この様な変遷を経て、

名古屋と白馬を結ぶ特急しなのが誕生

する事になりました。


『急行つがいけ』はもともと不定期列車であった事から、特急しなのに統合された後も定期列車として運行される事はなく、現在と同様の臨時列車として運行されていきます。


なお1985年には後を追う様に、1966年に準急から急行に格上げされた『急行きそ』が廃止となります。

こちらは特に統合はされませんでしたが、松本発着のしなの号は『急行きそ』の名残りとして現在の運行形態となっています。

キハ181系 
画像出典:Wikipedia


ちなみに『急行きそ』は定期列車として運行されていましたが、仮に松本発着のしなの号もその流れを受け継いで定期列車として運行されていたら、中央東線のかいじ号と似た様な位置付けの特急列車になっていて、中央西線に2種類の特急列車が走っていたかもしれません。


こうして、『つがいけ』『きそ』の2つの急行列車は、形を変えて名古屋と松本・白馬を結び続けます。


 その後



JR東海が誇るハイスペックな383系。


1995年に入ると381系電車を置き換える目的で現行の383系電車が投入され、2000年代初頭には定期のしなのが383系電車、臨時のしなのが381系電車で運用される様になり、棲み分けが進みます。

2008年に中央西線から381系が撤退。

定期列車、臨時列車とも383系で運用される様になります。

この時は特に臨時列車の統廃合は行われず車両の入れ替えのみで終わり、2020年現在では、観光シーズンの土日祝日限定で、名古屋と白馬・松本を発着する列車がそれぞれ1往復のみ運行されるという形態になっています。


 まとめ


特急しなの号はなぜ臨時列車と定期列車で運行経路が異なるのか?

について考察してみました。

結論としては、冒頭でお伝えした通り


国鉄時代に運行されていた
急行列車の名残り


という事になります。

急行が特急に格上げされる形で統合される事は他のJR線でも例がありますが、しなの号の様に定期列車と臨時列車でここまで運行形態が異なるのは非常に特異なパターンです。

2020年現在、運行本数は多くはありませんが、戦後〜高度経済成長期に登場した2つの列車『急行つがいけ』『急行きそ』のDNAは、廃止から40年近く経った今でも、383系電車で運用される臨時特急しなの81号・82号・84号・85号に受け継がれて、これからも名古屋と白馬・松本を結び続けます。





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