神様の公式は明白だった。異邦摂理がすぐに開始された。ヤコブトライアングル2000年の歴史はイエスの死と共に摂理歴史から消えてゆくしかなかった。イエスの言葉にあった通り、イエスを殺した瞬間、イスラエル民族の選民の資格は剥奪され、その使命は異邦の民に移行することとなった。イスラエル民族はその邪悪さの故に、常に追われる運命を辿るようになった。
イエスの十字架の死から40年目の西暦70年、イスラエル民族はローマの総攻撃を受けて玉砕した。イエスの殺害は、人類が神様へ帰る道をふさぎ、神様の胸に悲しみの大きな釘を打ち込んだ。
ユダヤ民族に替わりイエスを信じて新しい選民思想が始まった。それがキリスト教であり、イエスをキリストと信じる群れは、やがてクリスチャンと呼ばれるようになった。イエスはユダヤ人でありながら、同胞ユダヤ人から拒絶され、迫害され、殺された。しかし非ユダヤ人に受け入れられ、今日のキリスト教世界を生み出す起点となった。
復活
イエスは3日の間、悪魔の支配下に落ちた。しかし悪魔が手に入れたのは肉体の所有権だけであり霊体には何の所有権もなかった。結局悪魔はイエスの霊体を神様に返すしかなかった。こうしてイエスの復活が可能となった。
復活は死んだ肉体が再び生き返ることではない。霊界において霊体が悪魔の支配する領域から神様所有の領域へ移動することである。
それでは、異邦摂理における復活イエストライアングルに焦点を合わせてみよう。
復活したイエスは、その後40日にわたって大いなる働きをされた。この40日は悪魔分立の期間を意味していた。イエスは、異邦トライアングルを出発させるために、最低でも家庭レベルのトライアングルを成就しなければならなかった。ミカエルは神様に言った。
「ご主人様、あなたのお心をお察し致します。本当に耐え難い結末に何を言っていいか分かりません。でも私達は今回、心の底から天使の喜びに目覚めました。仕え甲斐のあるイエス様をご主人として迎えることができたのです。そしてあなたのお子様のすばらしい実像を初めて見ました。あなたが理想に描いた最高の創造として人間の真の姿を初めて見ることができました。私は今まで以上に全面的にお仕えします。何なりとお命じ下さい。今後のことですが・・・。」
神様は言われた。
「私は既に二度にわたり私のトライアングルを完成させようとアダムとイエスを責任者に立てた。アダムは失敗しイエスは完成できなかった。私に可能な選択は最後の摂理、三度目のトライアングルに着手することだ。イエスはそのことを良く知っていた。弟子達が使命を完成できそうもないことを悟った時、イエスは次のトライアングルの原因の位置だけはどんなことがあっても確立しようと決意してくれた。そして充分な働きを見せてくれた。」
霊界に移動したイエスは神様に言った。
「父よ、お許し下さい。私は完全なる親孝行ができませんでした。私の生涯は短いものでした。その短い生涯でさえ人間の凄まじいまでの強情さ、罪深さ、傲慢さに本当に耐え難い苦痛を感じました。あなたはこんな苦痛を何千年も耐え続けて来られました。今なお諦めることなく我が子をかき抱こうと必死です。あなたのご苦労を思いますと私の心は痛みます。」
神様は言われた。
「我が子よ、過去を越えて前進するのだ。さあ、次の摂理に移行しよう。」
復活イエストライアングルの出発は、文字通りイエスの復活から始まった。ヤコブは霊界の天使との戦いに勝利し、次に肉体を持った天使のエサウに勝利した。復活イエストライアングルにおいても公式が変わることはない。まず霊体のイエスは3日間地獄で戦い見事に勝利した。アブラハムがイサクを殺す決意をして、イサクが真事権を確立するのに3日間を要したのと同じだ。この時点でヤコブが天使に勝利した位置を獲得した。
公式から言えば、次に肉体を中心とした戦いが始まるが、イエスには肝心の肉体がないために肉体の戦い自体ができない。結局復活イエストライアングルは霊的な基盤だけのトライアングルとなり肉体はそのまま悪魔に所有権を渡したままとなる。つまりイエスは復活により霊的使命完成のみを成就した。
霊体イエスは復活後40日間、昇天することなく地上の使命を継続された。まず、日頃心にとめていた女性達に姿を顕された。続いて弟子達に姿を顕された。肉体のない霊的な姿で幻のように顕れた。
ヨハネによる福音書20:11
しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」。そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。マリヤは、その人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」。イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれのことを自分に仰せになったことを、報告した。その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。
イエスの目的は霊的調和完成のために一度は逃げた弟子達をもう一度立て直すことにあった。ユダを除く11人の弟子達は霊体のイエスに会い、再び燃え上がった。第一弟子ペテロは生まれ変わった。
つづく

