「人は、何のために生きるのだろう?」 -28ページ目

「人は、何のために生きるのだろう?」

「自分だけの幸せ」ではなく、「誰かの幸せを自分の喜びにする生き方」にあるのではないか。
我欲ではなく、愛情を中心に生きる。
そんな生き方を、歴史や社会、身近な出来事、そして人生の「なぜ?」を通して、皆さんと一緒に考えていきたいと思っています。

 

 

さて、南朝ユダがバビロンに幽閉されるまでの期間はほぼ400年だった。
ミカエルは言った。
「ソロモンから始まった400年のトライアングルは異邦摂理でした。本来はここで民族レベルのWHY代表南朝ユダとHOW代表北朝イスラエルが一つになるべきでしたがそれができませんでした。
悪魔の所有から抜けることができなかったわけですが・・・。」
神様は言われた。
「ヤコブの時の教訓を思い起こしなさい。ヤコブはエサウが初めから歓迎していればハランに出かける必要はなかった。しかしエサウに殺されそうになり、もう一度三大責任を自己の責任で成し遂げようと、ハラン生活21年に挑戦せざるを得なかった。ソロモントライアングルの最終の時点で、北朝イスラエルも南朝ユダも悪魔のものになってしまった。ヤコブは個人のレベルだったため21年だったが今回は民族の歴史であるため210年となる。この間に自体責任でその清算を終えなければならない。210年のまず初めの70年、バビロンでの奴隷生活を通して罪の清算と民族的使命完成を要求されたのだ。即ち自ら招いた偶像崇拝と全ての悪を償わなければならない。腐敗したイスラエル民族は神殿を持つ資格を失ったため、バビロンはソロモンの神殿を完全に破壊した。この70年の清算を終えれば、もう一度神殿を再建しなければならない。」
南朝ユダを支配したバビロンはペルシャに滅ぼされた。ペルシャのクロス王はイスラエルの民にエルサレム帰還を許可した。こうして70年のバビロン奴隷生活は終わり、イスラエルはエルサレムに帰還したが、そこにはもはや神殿もなく、精神的支柱を失った彼らは混乱の時代を通過せざるを得なかった。バビロンから帰ったのち預言者マラキを迎えるまで約140年だった。マラキはイエス登場の予言を担当した旧約最後の預言者だった。
バビロンの虜囚となった時からマラキまでの210年はヤコブのハラン時代21年の再現だった。
つまりマラキはヤコブの位置を取り戻したことになる。ヤコブから選民思想が出発したようにマラキからイエスを迎える最後の準備が始まった。
マラキは予言した。
「神様は言われる。見よ炉のように燃える日が来る。傲慢な者、悪に加担する者はわらのように焼き尽くされる。しかしお前達には義の太陽が昇る。お前達を踏みつけた者は踏みつけられて灰のようになる。あなた方は私の教えを守りなさい。見よ預言者エリヤが道を整えて、主の大いなる栄光が現れる。全ての準備が整った上で完全なWHY代表神の子が登場する。」
こうしてマラキの予言を起点として神様は準備の総仕上げに着手された。神様の動きが急に激しくなった。ミカエルもなんとなく落ち着かなくなった。
神様は言われた。
「最終準備が始まる。マラキがヤコブの位置に当たることは説明した。ヤコブから400年でモーセを迎える準備をした。そして今やマラキはイスラエルを悔い改めさせ新たな準備態勢を整えた。ミカエル理解できるかね。宇宙創造の初めにルシファーを立てた位置とマラキは一致するのだ。私はルシファーを初めとする天使界を造った後、具体的な環境創造を始めた。天使界の代表としてマラキが立った今、私は環境の準備に着手できる。今まで発揮することのできなかった私の創造の力を思う存分に発揮しよう。私は地上に近づき多くのインスピレーションを注ぐ。」
にわかに世界情勢は激動の時を迎えた。
アレクサンダー大王の大遠征を通して、それまで余り密でなかった東洋、西洋の交流が急に盛んになった。
ペルシャ、ギリシャに続いて、強大なローマ帝国が出現した。「世界の道はローマに通ずる」と言われるほどの世界基盤が整った。
イスラエル民族におけるマラキの使命を、インドにおいては釈尊、中国には孔子、ギリシャはソクラテスがそれぞれ担当した。イエスは単にイスラエルだけを救うために登場するのではない。悪魔から人類を救い出すことにその目的はあったのだ。
当時の発見、発明つまりHOWの進歩には目を見張るものがあった。アルキメデス、ユークリッド、ピタゴラスは言うまでもなく全分野で画期的な発展がなされた。ギリシャにおいては民主主義制度、投票制度、オリンピックなど今日の制度の大半が整っていた。建築技術は近代建築に勝るとも劣らないほどの高さを誇っていた。
HOWの成熟した時点でしかWHYと一致することはできないと教えているHOW・WHYの法則がまぎれもなく適用されていた。
マラキから400年はまさしく天使と環境準備の総仕上げの期間と言える。それは、神の子イエスの誕生によって完結しなければならない。
こうしてヤコブから約2000年の時が過ぎ、神様の摂理はクライマックスを迎えようとしていた。
つづく