大阪の地震と断層 上町大地というところが良い訳 |         きんぱこ(^^)v  

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      砂坂を這う蟻  たそがれきんのすけ

 私が大阪に住み始めて早や26年。私の場合東京の街は大きすぎて落ち着かず、この大阪が丁度性に合っている感じがします。


コメントで豊崎さんと言われる方から教えていただいた資料を基に、再度改編して投稿しなおします。おかげで大分しっかりした資料になってきました・・・かも。(2013/3/3⇒2015/4/19)


大阪は昔は大坂と書いていたのですが、大坂という漢字は「おーさか」ではなくて「おおざか」「おさか」と呼ばれていたそうです。この大坂も室町時代以降と言われていて、石山本願寺を建てた蓮如が最初に呼び始めたとも言われています。


 では、古代から奈良・平安の時代は何と呼んでいたのかと言うと、どうも「なにわ」(難波、浪速、浪華)と呼んでいたらしいです。


 この大阪の地は周りに比べて雨は少なく、大きな地震の震源にもならず、台風も奈良吉野の山が壁になって滅多に来ないのです。

 

 しかし一つだけ心配なのは、南海トラフあたりで起きる地震の影響で発生する津波です。


 大阪は地震による被害例が少なく、しかし過去に津波による浸水被害はあったのです。

 2,3mの大きな津波が来ると、大阪城から天王寺までの上町大地を除いてほとんどが浸水被害に遭うのは明白。その時の対策は・・・・上町大地に逃げるか高層ビルに上がるか、それ以外に対策はないでしょう。


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(産経新聞より)


 2012年に大阪文化財研究所の調査によって、大阪でわかっている断層や地滑り跡が公表されました。上町大地が南北に隆起しているのは、この断層と関係があると言われていますが、過去7000年もの間に活動が認められていないので地震があればM7を超える地震になるでしょうが過去の資料が無くてよくわかっていないそうです。


 先日、豊崎さんと言われる方からコメントをいただき、京都大や産業技術総合研究所が纏めた資料を教えていただいて、読んでいました。

下の画像は内容の一部に地名を付けたものです。

画像をクリックすると資料のPDFに移ります。


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私は毎日通勤で、鶴橋から真田山を越えて東横堀川まで、飽きないように色んな通りを走りながら通っています。

この画像を見て、なるほどと思うわけです。

上町大地は平坦な丘ではなく、丘の上でもデコボコしていて、5m、10mの高低差を上がったり下ったり、ある意味不思議な丘でもあります。

今でこそ落ち着いていますが、昔は活断層が活発に動いていたそうです。



 大阪は飛鳥時代より昔に都があったことをご存知でしょうか。


 難波宮(なにわのみや)という都で、今の大阪城の南側に広い公園として残されています。

 NHK大阪があるところにも、そのころの穀物倉庫や地下では杭跡などを見ることができます。


 ここは、どう見ても見晴らしが良い丘で自然の要塞になっていて、この丘(上のブルーの部分)の周りは今でこそ埋め立てられていますが室町時代以前は広大な沼地だったそうです。

 なのに、人間はこの大阪上町台地に建てた難波宮をあっさりと捨てて、ここから見える奈良生駒山・金剛山の奥にある飛鳥の地まで引っ込んでしまった。馬鹿でかい四天王寺もあったし馬鹿でかい住吉大社もあったのにですよ。


 一体何があったのでしょうね。


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(平安時代以前の大阪。上町大地以外は多くが水没状態。今の大阪とは全然違います。人形の街松屋町,御堂筋、難波も梅田も大阪ドームも海遊館やUSJも全て八十島(やそしま)という島の中にあったのですね。淀川も昔は今で言う大川を流れていたし奈良から流れている大和川も現在のように堺市に流れ出るのではなくて、東大阪を流れて淀川に合流していました。)

 不思議だとは思いませんか?大阪文化財研究所の調査報告を見て『ひょっとすると』と思ったのです。


 飛鳥時代の少し前に大阪で巨大地震があったのだそうです


 想像ですが、地が割れ宮殿も壊れまわりを見渡すと沼地や川は津波の洪水で溢れ船はことごとく沈んだという感じだったのでしょうか。

 
 その後、今の大阪城付近はどうだったかと言えば、室町時代までは草と石ころだけの丘だったそうです。その後親鸞が小さな小屋を建てて、蓮如の頃には石山本願寺という大寺院になり、それを追い出した織田信長の家臣だった秀吉が天下を統一して大阪城を建てたというわけです。


 つまり、ここに都を建てたけれど、飛鳥時代の地震があまりにも大きかったので、当時の権力者は奈良や京都の内陸部に引っ込んでしまったのではないだろうかと私は思っています。



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 上の画像はNHKにあるものですが、これは江戸時代ですかね。

 下のグーグルアースに私が書き込んだ資料と見比べてみると、どうやら手前の横に流れている大きな川のところが上町断層と呼ばれる大断層の部分なのではないかと思いました。

 この川は幅こそ狭くなりましたが今でもあって『東横堀川』と呼ばれています。右端は直角に下側に折れて道頓堀川になります。


 下の画像は上の画像を時計回りに90°回したものです。
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 上の画像の下側に描いたカーキ色の部分は断面図のようなもので、大阪は横から見ればこんな感じになっているわけです。こんもり盛り上がったところを『上町台地』と呼んでいて、ここに四天王寺大阪城が建っているのです。


 だから、南海トラフで地震があり津波が発生すると、5mか10mの津波で上町台地の手前まで洪水が来るのです。

 つまり、大阪駅も本町も難波もUSJも海遊館も全部浸水です。残るのは天王寺・大阪城・阿倍野ハルカスのある上町大地だけ


 大阪のお寺はなぜかほとんどが上町台地の上に建っています

これも絶対に理由があるはずです。

大阪市の寺は上町大地を南北に走る谷町筋と上町筋沿いに呆れるほど沢山並んでいて、宗派は浄土宗や真宗、日蓮宗などが目に付きます。

その数、軽く100件は越えるのではないでしょうか。

御堂筋の難波神社などは秀吉が移動させたものですしね・・・。


 大阪にもヒルズがあって、上本町ヒルズと言って上本町6丁目(ウエロク)の近くにあります。天王寺のあべのハルカスもどちらも上町大地ににあるわけです。

もちろん古寺である四天王寺も。


余談ですが、四天王寺って何宗かご存知ですか?

実は四天王寺は色んな宗教が日本にやってくる以前からあった寺院なので、すべての宗教を受け入れるお寺なのですよ。


 それだけ上町大地というのは強固な岩盤で、大阪では安全なところなのかもしれません。


 過去の地震や津波では予想通りに上町台地の手前(松屋町筋)まで浸水したことが何度もあったそうです。

 上町大地と言っても2,30mほど高いだけの丘なのですが、それが運命の明暗を分けることが起きるのでしょうか。


 大阪は滅多に地震や災害が起きないし、普段も天気の良い日が多い街ですが、他県から引っ越してくる人はこんなことも意識して住まいを決めるのも大事かもしれませんね。


 ただ上町大地は活動が認められない大断層。安全ですがひとたび目を覚ますと大きな地震を誘発させるのかもしれません。

 眠れるトラはいつ起きるか・・・・。

 どうもここ100年200年は大丈夫ではないかと言われているみたいです。


 やはり、大阪で心配することは、上町大地の地震よりも、南海トラフの津波ではないかと私は思っています。