和気菊麻呂(わけのきくまろ)21歳。
有名な小倉百人一首76番
♪
かぐや姫 心の道も遠ければ まだふみも見ず 月小屋の人
♪
……うそである。
まだまだ修業の足りない菊麻呂であった。
内裏(だいり)で働く女房(にょうぼう)に 藤少納言(ふじしょうなごん)という人がいた。
余談だが良く似た名前の人に、清少納言(せいしょうなごん)という女房がいる。
「せいしょう なごん」
と呼ぶ人がいる。
「せい しょうなごん」
に決まっているだろう。
……ここだけの話だが、何を隠そう、私も小さな頃は間違っていた……。
東西という漢字に当てて、清少納言に対して「とうしょうなごん」とあだ名されていた。
だからといって別に美人とは思わなかったが…。
菊麻呂は、とうしょうなごん に恋をした。
「とう殿は、いはりますかのお」
「あら、これは菊麻呂さま」
布を折りたたんでいた藤少納言の女房、豆福が答えた。
豆福は菊麻呂の突然の訪問にあわてて扇子を広げ、顔を隠した。
(宮中の女め、相変わらず厚化粧や。顔を隠すくらいなら化粧をするなと思うに)
「留守ですか」
「いえ、……あの、かぐや姫でございます」
「かぐや姫と……これを渡してくれ」
菊麻呂は思いついたように歌を書いて豆福に渡した。
「 ♪
かぐや姫 心の道も遠ければ まだふみも見ず 月小屋の人
♪ でございますか……」
「そうだ、それが私の今の気持ちだ」
平安時代の女性は生理が始まると、生理小屋というところで終わるまで篭ってしまう。この小屋は汚らわしい場所として生理の女性と世話係以外は近づこうとはしなかった。
どうも平安時代の女性は血がとても嫌いで美を追求する気持ちはとても強かったみたいだ。
「なんだか汚い歌ですね」
(くっ、この女、生意気に私の歌を汚いなどと)
「ふっまだまだ青いのう、聞かせてやろう、かぐや姫は藤少納言さまのことだ、それだけでも美しいではないか。ふみは踏みと文をかけておる、月小屋はかぐや姫と生理小屋をかけてるのや、すばらしいだろう」
(そんなことくらい解っているわよ!、馬鹿じゃない…、生理小屋なんかに行きたいわけ?、第一「大江山 いく野の道も遠ければ まだふみも見ず 天橋立」の盗作じゃないの!知らないわよ)
その時、たまたま具合が良かったのか、藤少納言が戻ってきた、しかし生理痛が酷いのか機嫌は悪かった。
「ふじさま、この人がこれを」
「……」
その歌を読んだ藤少納言の顔は見る見るうちに険しくなってきた。
パカッ。
「おっ!」
あまりに急な表情の変化のため、藤少納言の厚化粧が真二つに割れ、中から皺だらけの女の顔が現れた。
藤少納言はすかさず平手で菊麻呂の顔を打った。
菊麻呂は気絶して、その時のことを覚えていない。
藤少納言、当年45歳。
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こんなこともありました。
この頃にはもちろんナプキンは無く、布のふんどしをするか紙を詰めていたそうですが、いつもそうするには紙や布は高価なものなので、生理用の小屋に篭ってしばらくは出てこなかったと言われています。
【続く】