-----------------------------------------------------
ある晴れた日、琵琶湖を背にして田畑が広がる湖畔道を荷車に乗った男が人夫二人を伴ってゆっくり歩いていた。
畑の左右で雲雀(ひばり)が舞い上がり、忙しなく鳴き続けている。
とある民家にたどり着いた。
「お頼み申します」
しばらくすると、なかから老人が出てきた。
「なんじゃの」
「このあたりはすばらしい土地ですな」
「そうかの」
「私は土地を探しておるものです。譲っていただける土地はございませんか」
「譲る、そんな馬鹿が何処に居る」
「いやいや、もちろん相応のものは払います」
「布や米は自分で賄っておるからいらんぞい」
「いやいや、そのようなものではなく、ほれ、そこの荷車に積んでおります」
「土がめり込んで居るではないか、それはなんじゃの」
「お金でございます」
「おかね・・・銅銭というやつか」
「そうです、この湖が一望できる土地の内、一町四方ばかり譲ってくれまいか」
「いっちょう・・・譲ってやらんわけではないがのう」
「いかほどなら譲ってくれますやら」
「いかほど・・・・いかほどでほしい」
「それは、安いに越したことはありません」
「う~~、いかほどじゃ、いかほどかときいておるのでイカのタコのと言うておらんと、はっきり言うてくれ」
「タコなどとは申した憶えはございませんが・・・それでは・・・」
「それでは・・・・」
「1貫文でどうでしょう」
「いちかんもん・・・・たくさんということか」
「ははは、そうでございます」
「どれほどか見せてくれ」
男は砂地の上に和同開珎を1000枚ほど盛り上げた。
「なんじゃ、こんなものか、・・・だめだの」
「それではどれほど・・・」
「ん~~そこにあるもの全部じゃ」
「10貫文も・・・・よいでしょう10貫文で」
「その金をわしの家で数えてくれ」
「ちゃんとございますよ、きっちり10貫文数えてきましたから」
「信用できん」
「ならば数えましょう」
男は老人の家に10貫文をてんこ盛りにした。
「小山のようじゃの」
「では数えましょう」
数え終えた時は夕方だった。
「9990枚しかないではないか」
「おかしいな、おいもう一度数えろ」
夜になり菜種油に火が灯った。
「9980枚になったぞ」
「おっかしいなぁ、おいもう一度数えろ」
それから6度数えなおした時には朝になっていた。
「9920枚」
「・・・・」
「足りんの、土地はあきらめろ」
「なんで合わないんだ、この情け無い人夫め」
男はその場で人夫を追い出した。
「しかたないこの金の分だけ分けてくれ」
「しかたないの、そうしよう」
その後男は文無しになり、畑で飢え死にした。
老人の金は盗賊に襲われ、老人は殺された。
「ただで数えるばかが何処にいる」
40文づつ持って解雇された人夫はその金で盗賊を雇って老人を襲った。
金はみんなで山分けされたそうだ。
----------------------------------------------------------
平安時代のお金は皇朝
最初の貨幣は、ご存知「和同開珎」。
唐の開元通宝をモチーフにして造られたそうです。
銀銭と銅銭がありましたが、銀銭は直ぐに製造をやめました。
その後、平安中期にかけて12回も名前を変えて作り直しました。
理由はニセ金です。
大きさは、和同開珎は10円玉ほどの大きさでしたが、朝廷の財政事情もあり、だんだんと小さくなって行きます。
708年:和同開珎、760年:万年通宝、765年:神功開宝、796年:隆平永宝、818年:富寿神宝、835年:承和昌宝、848年:長年大宝、859年:饒益神宝、870年:貞観永宝、890年:寛平大宝、907年:延喜通宝、958年:乾元大宝
これは白米一升の物価の変化をグラフにしたものです。このサイトはすごく良く調べられていますね。
(画像クリックでリンク)
710年は平安時代の始まり、清少納言や紫式部、安部清明や藤原道長は1000年前後なのでまだ生まれていませんよ。平安遷都した桓武天皇と次の平城天皇の時代です。
量は、10合(ごう)が1升、10升が1斗(と)10斗が1石、1升=1.8039リットルですが、この頃は
4合が一升でしたから今の間隔での一升は2.5倍しなくてないけません。
白米一升は平安遷都時は1文ですが、今の一升で考えると2.5文です。760年代の飢饉では30文(と言うことは75文)もしました。
食事は朝晩二回だったのですが、家族で住むと一升なんか二日で無くなりますよね。
酒は一升買うとした場合、
710年ごろは500円くらいだったのに740年には5000円、飢饉の頃の760年ではなんと10000円から15000円もしたことになりますね。・・・ほんとかな・・・。まあインフレも考えないと駄目なんですけど。
土地などは、1町は約110m 1.8m四方が一坪だから、1町四方で3667坪で10貫文(10000文)
次は平安時代の女性についてです。
【続く】

