「どうにもたまらぬ」
卜部季武(うらべ すえたけ)は、内裏に立ち込める様々なお香が混じりあった匂いに気が滅入っていた。
平安時代、庶民も貴族も武士も、風呂には入らなかった。というより、風呂というものが無かった。女性も髪は洗わずに、柘植(つげ)のクシで丹念にすいて、椿油を塗って髪の手入れをしていた。そしてお香を炊き男と会った。(おそらく体は水で拭いていただろう、髪は数日に一回または一ヶ月に一回という話も聞く)
大内裏に居る女性の数は男性を遥かに上回り、夜にもなるとお香の匂いが立ち込める。
ここで大内裏(だいだいり)のことを少し説明しておく。
京の中央にある大内裏は14の門を持ち、その中に政務や行事を司る建物が立ち並ぶ。その中央に内裏(だいり)があり、そこに天皇が常駐している。
皆さんもご存知の平安神宮。門を入ると正面と右側に赤い柱の応天門と大極殿がある。この二つは平安時代の大内裏にあった建物を復元させたものである。
また、平安神宮の庭園裏手に武徳殿(ぶとくでん)という建物がある。これ自体は明治に建てられたものだが名前は平安時代の大内裏にあった武徳殿(ぶとくでん)から来ており、東の柔道の講道館と共に西の剣道、居合道などの聖地のような場所にもなっている。武徳殿(ぶとくでん)と内裏の間は広い空き地になっており「宴の松原」と呼ばれて松林になっていた。平安時代中期以降になると大内裏も荒れ出してこの「宴の松原」にも鬼が出るようになる。
大極殿(平安神宮)
部屋の前の廊下を女が泣きながら通り過ぎた。しばらくして坂田金時がのしのしと歩いてきた。坂田金時、源頼光の四天王の一人。卜部が見出して頼光に推挙した。≪まさかりかついだキンタロウ≫である。
「おい、金時。どうしたというのだ、また女を泣かせたか。」
金時は声のする部屋の暖簾を無造作に上げて中に入ってきた。裸で寝ていた女房が(嫁という意味ではない)「きゃっ」と声を出して布団に隠れた。
「卜部の兄貴か、俺が悪いことをしたのではない、いつも逃げてしまうのだ。女という者ははわからん。」
「はっはっは、お前は普通にしていても怪力だからのう、酒でも飲むか」
そう言って、金時に濁り酒を渡した。金時は入り口にドッカと座り込んで、
「頼光様はどうなされた」
「殿は綱(つな:渡辺綱)殿と帝さまの所じゃ。今日は安部清明殿も参られておるそうじゃ」
「ああ、あの陰陽師殿か、わしはどうもあの狐殿は好かん」
「これこれ、そのようなことを言ってはいかん。」
「何の話であろう」
「また、鬼の話ではないかのう」
「鬼鬼鬼鬼、わしは内裏の女子共のほうがよっぽど鬼に見える、女の通鼻(つび:陰の部分)など、鬼そのものじゃ。」
「そうだの、見ようによっては確かに鬼じゃ。はっはっは」
「そのようなことはございませぬ。そのようなことを言われますから、金時様から女子が逃げるのです」
布団に隠れていた女房がいつのまにか服を着て卜部の後ろに座っていた。
「金時には、どのような女子(おなご)が良いかのう」
「金時さまには金時様に並ぶほどの立派な女房がよろしゅうございます。わたくしが捜して参りましょう」
「おう、そうしてくれ。」
しばらくして、頼光と渡辺綱(わたなべつな)が戻ってきた。
「本日はどのようなお話でしたかな」
「また、鬼の話や。しかし、今度の鬼はただの鬼やない」
「ただの鬼ではない。と申しますると」
「清明殿の占いによると、都の北に恐ろしい鬼が居るそうや。更に占いを進めた結果、その場所は宮津は「天の橋立」に至る手前にある「大江山」という山に居るそうや。今までの鬼とは違って、都に対する何代もの恨みがこもっており相当に手ごわいらしい」
「なるほど、帝はその鬼を退治せよとのことですな。」
「帝はこの国を早く平和な世の中にしたいと仰せられる。」
卜部には、本当の意味が解っていた。この時期は平安時代も中ごろで、宮中は仕官を控える者どもで溢れ返っていた。このまま律令の世の中を維持するのには限りを感じ、切り取った土地に地方の役人として赴任させてしまおうと考えていた。(今で言う天下りということになるか…、これが荘園や地方豪族となってゆくわけだ)
「では、早々ご出立なされますか」
「いや、慌てることもあるまい。卜部よ、明日より大江山の鬼について、何でも良いので聞き出してきてはくれまいか」
「かしこまりました」
そのころ酒呑童子と茨木童子は二条大路西京極坊の角にある葛城何某の邸宅前に着いていた。
三日月の月は童子共の真上から都を薄青く照らしていた。