日本で一番辛かった天皇は誰だっただろう、と考えた。
日本で家系というのがありますよね。
「私の先祖は源氏だった」
とか
「私の先祖は藤原氏」
などと言う人もいるし、戦国や徳川時代に家系を作り直されたりしたみたいですが、私は全部嘘っぱちだと思っています。
古代日本から家系を守り抜けて来た家は二つしかないのではないでしょうか。
一つは天皇家。
もう一つは出雲大社。
他は何処かでねつ造されて、無茶苦茶になっているはずです。
家系を守るというのは大変な事でしょうね。
子種が途切れたり江戸時代などでお家取り潰しにあったり。
天皇も今まで維持して来ているのは驚異的なことです。
今でも子供が産まれると大騒ぎ。
この家系というものだけでも天皇家は純日本人として維持していく価値はあるかもしれません。
今でも国民が税金を払ってその一部を宮内庁の予算に充てているのでしょうが、それすらない時代がありました。
戦国時代です。
当時の天皇は正親町天皇。
この時代はご存知の通り下克上。
世の中は群雄割拠して、自らを生き抜く事で精一杯。
天皇に貢ぐなどとは誰も気がまわらなかった。
誰かが京を制覇すれば貢物が入ってくる。しかし、織田信長と顕如が争っていた頃は厳しかった。
その後の江戸時代でも天皇には二万石しかわたされなかった。
天皇に二万石ではなくて公家全てを含めてです。
足軽と同じ程度の生活だったらしい。
正親町天皇は、戦国時代の天皇だったので、誰にも振り向かれずに相当苦しい生活をしていたらしい。
高貴な公家が出家する寺を門跡(もんぜき)と呼ぶらしい。
京都なら大覚寺や仁和寺(にんなじ)、全国に数十寺しかない。
門跡は高貴な公家さんしかなれない。
いわば公家そのものだ。
このころ本願寺は顕如(けんにょ)上人だった。
織田信長と戦った人だ。
不安定な時代を利用して門人を沢山増やした。
この時代、ある意味日本の宗教で天下を取った人でもある。
自然と金も集まり名誉も権力も手に入れた。
正親町天皇はといえば、その日の食事にもありつけない程苦しい生活だったらしい。
やむなく正親町天皇は顕如に門跡の資格を売った。
天皇自らが公家の持つ資格を売ったのは後にも先にも正親町天皇だけらしい。
これは天皇家にとっては汚点かもしれない。
それだけ天皇というのはプライドというか格を維持しなければならない運命や宿命の人でもあり、その資格の一部を切り売りしてしまうしかない正親町天皇の生活はよほど厳しかったのだろう。
天皇は格式を落としてはならない。そして家系を維持しなければならない。
それだけのことでもどれだけ大変なことだろう。
室町から戦国までを継いできた天皇の話は明日書きます。
顕如ひきいる本願寺は門跡になった。
公家になったということでもある。
門人はさらに喜び、顕如は益々雲の上に登り、仏人なのに神のようになってしまった。
顕如が入った風呂には、風呂の湯を汲みに来る門人が後をたたずに、湯がすぐに無くなった。
病人に飲ませると治るという。
門人はさらに増えて極楽浄土を望んだ。
そして正親町天皇は、なんとかこの時代を切り抜ける事が出来て、今の天皇がある。