天皇の話は少し資料不足。
もう少しだけ調べてから書く事にしました。
みなさんは僧侶と上人の違いを知っていますか?
私は昔聞いたことがあります。
親鸞上人は浄土真宗。
一遍上人は時宗。(2011.2.12訂正 一編→一遍)
しかし
空海上人、最澄上人とは言いません。
空海や最澄は僧侶です。
奈良や平安時代は、東大寺や叡山で戒(かい)という試験に受からないと僧侶にはなれませんでした。
(試験というのは今のような筆記試験ではありません 下記注記)
東大寺や叡山は今で言う大学や大学院のようなものだったそうです。
僧侶の試験を受けていない僧を上人(しょうにん)と呼びます。
その中でも聖人と書く場合もあります。
これは平たく言うと「乞食坊主」という意味合いなのだそうです。
一遍上人は武家の出身で僧侶の資格もありましたが、それを捨てて上人として「踊り念仏」を唱えた人です。
残念ながら一編上人は死ぬ前に経典を全て燃やしてしまいました。
時宗も親鸞上人の浄土真宗も元々浄土宗なので「南無阿弥陀仏」。
他の宗教には、大日如来を始めに沢山の神様や仏様(2011.2.12訂正)がいますね。
けど本願寺の浄土真宗(時宗は一遍上人が亡くなってから本願寺に吸収されます。(自然消滅するので多くは浄土真宗に吸収されるという意味です)。
浄土真宗は(浄土宗は)、阿弥陀如来という仏様しかいません。
なんで知っているかと言うと、私が出た大学が本願寺の大学だったから(笑)。
阿弥陀如来は宇宙というか、万物そのもので、人は「ありがとうございます(南無阿弥陀仏)」「なむあみだぶつ、なーんまーぃだぁー」と唱えると極楽浄土というところに行けて、生まれ変わりません(輪廻しない)。
(生まれ変わらない、というところが他の宗教と変わったところかもしれません)
極楽浄土はどうやら日が沈む西の方向にあるらしいのですが、よくわかりません。
一遍(いっぺん)上人や親鸞(しんらん)上人の数代後の蓮如(れんにょ)上人は、日本に画期的な思想を作りかけました。
日本人というのは、どうも昔から階級意識が強い人種ですよね。
普通は強者弱者の意識が強いはずです。
アメリカも中国もそうだと思います。
日本人は強者弱者ではなく階級コンプレックスがありそう。
だから回りの国から軍国主義に走りはしないかと警戒される。
縦社会に慣れてるから、組織を組みやすいのでしょうか。
話が横にそれました。
一遍上人の時宗の信者は「●阿弥」と呼ばれます。能役者の観阿弥(かんあみ)、世阿弥(ぜあみ)なんかは時宗の人で、「阿弥(あみ)」というのは無階級という意味だそうです。
司馬遼太郎先生が書かれていたのですが、大名の屋敷に庭掃除をしたり、大名の話し相手になったりしている人がいますよね。そんな人の名前に「阿弥」、例えば竹阿弥(ちくあみ)、といった名前の人が出てきます。
阿弥は無階級という意味なので、お目見え以下の人にも関らず将軍や大名と対等に話が出来る。しかし無階級だし、身分としては最下級であるがために、他の人に命令や指示はできない。
そんな、縦社会の橋渡しのような人がいたといわれます。
蓮如上人は戦国時代初期の本願寺の上人で、本願寺と浄土真宗を大きく広めた人ですが、「講(こう)」という集まりを開いて広めました。「講」に出席する人は全て無階級。
つまり日本ではじめて横社会が意識させたのは上人だったみたいです。
しかし、蓮如以降特に顕如の時代の本願寺は、今の大阪城の場所に石山本願寺という武装要塞の寺を作って信長をかれこれ10年間苦しめます。
そして、最大の信者と、資金(もともと幕府からも認められていない宗教だったので、寺も檀家もなくてお金など集まるしくみではなかったのですが、、「講(こう)」を利用して各地元の信者に「寺を作りなさい」と進めて50軒100軒に一つの寺をどんどん作らせました。そこから石山本願寺に寄進させる反面、石山本願寺の周りの民家約2000軒からも寄進を募ったので莫大な金が集まりました)と権力と資格(門跡)を得ました。
元々始祖親鸞はお寺すら持ってはいけないという考えだったので、蓮如が出なければ本願寺は時宗のようになくなっていたかもしれません。しかし宗教を超えて権力を持ちすぎ、宗教の本分を逸脱していたとも思います。
明治、昭和になって本願寺はこのことを深く反省して、今は静かに浄土真宗を伝えています。
親鸞と蓮如は心構えが全く逆です。
同じ時代に生まれていたら、大喧嘩必死。(笑)
蓮如は親鸞の本音を書いた「歎異抄」を隠してしまいます。
そして顕如のために信長は天下統一が叶わなかったとも言われています。
ちなみに、このころは葬式に出るのは上人だけで、例え東大寺の高僧がなくなっても葬式で僧侶がお経を唱えることはなかったらしいです。
蓮如は上人と呼ばれましたが、顕如は呼ばれていないみたいです(間違っているかもしれませんが・・・)。
天皇から門跡を買ったからでしょうか・・・・・。(門跡。つまり公家だから)
【注記】・・・・・・2011.2.12・・・・・・
ありがたいことに、私の記事について多くの誤植やご指摘をいただきました。
あくまで、歴史小説を書くための調査中に感じた疑問や感想を書いているのですが、それにともなって書かなければいけない史実の記述が難しいです(汗)。
勉強になっています。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1355426123
「これ、たそがれきんのすけさんのブログ。
ところどころ間違ってる箇所に気がつきませんか?
戒の試験て何?受戒の事を、戒の試験に受かる事と勘違いしています。
戒は受戒を受け、一白三羯磨を授かるんです。試験ではないですよね^^。
この方の理解でいくと、法然上人は戒の試験に合格していない事になります。
ところが、法然上人の事を、黒谷上人と呼ばれます。なぜか?
以前、戒の系譜を別質で記しましたが、叡空上人から受戒されています。
たそがれさんの記述の多くは適当な私見に過ぎません。
その他、いろんな間違いがあります。
たとえば、阿弥陀佛を神と表現されてますし・・^^;
わたしも、不正解だと思います。というか、でたらめな理解です。」
「高僧や修行の進んだ聖者の尊称として用いられるのが本来の用法です。私の実家の菩提寺は浄土宗ですが、住職は坊主資格を持った上人です。上人という尊称を使うのは宗派によって違うようです。現在は浄土宗や日蓮宗でよく使われているということです。
親鸞の場合は親鸞聖人と聖人という字が使われています。聖人が上人より一段高い尊称とされていますが、宗派や時代の違いもありますので比べようもないでしょう。法然上人は親鸞聖人の師匠ですしね。
一編上人は一遍上人の変換違いのようです。」