(なんでこんなに当たらないんだろう・・・)
負け続けているときに、
負け続けている人が、
途中でやめるということはしない。
本当は、さっさと負けを認めて
ぶっ倒れればいいのだ。
ボクシングでも・・・・・
いや、ボクシングはレフリーが止めてくれる。
しかし、賭け事を一人でやっている人間には、
レフリーはおろか、誰も止めてくれる人はいない。
元々そんな人と一緒に賭け事をしに来ないからだ。
なんでこんなに疲れきっているのに
一生懸命賭けるのだろう・・・。
ばかばかしくならない自分が馬鹿馬鹿しくもあった。
自分の中の、別の自分が軽蔑の目で見ていた。
(バカじゃないの・・・ともいう気が起きないよ・・・)
(カスやな・・・・)
私のフロントにいる自分は、
そんなこと無視して、黙々と次のレースのことを
考えている。
体は過労で筋肉に痛みすら感じる。
足は棒のようになって今にも膝から崩れそうだ。
もはや、賭け事をしているのではない。
JRAとボクシングをして、
サンドバック状態だ。
目に熊ができて、
小さな文字で印刷されている競馬新聞すら
まともに読めない。
何も考えずに、人気だけを見て賭ければいい。
そうすると、そのうち当たる。
必ず当たる。
ところが、
新聞を手にすると、直ぐに分析してしまう。
分析といっても、我流でしかない。
分析すると、気が変わる。
分析すると、常識で選んでしまう。
以前にも書いたが、
競馬騎手ですら、自分が何着になるかなど
わからない。
常識で考えると、
新聞で前走の時計が優秀な馬が来る。
そして、競馬を賭ける人の多くは
同じように考える。
新聞を見て、常識を考えると
8番人気や11番人気などというものが
絶対にくるわけがないのだ。
しかし、実際は来る。
全然駄目な馬だけ省く。
それでも、省いた馬が来る。
そうなると、新聞が読めなくなる。
いったい、何を頼りに賭ければいいか
すら、わからなくなってしまう。
特に、雨や雨上がりの天候。
雨上がりでも、コースのところどころは
ぬかるんでいたりする。
こんなときは、新聞は役に立たない。
予想よりも走破タイムがかかることを
時計がかかる という。
雨で、時計がかかると、
たとえば、芝1800mを1分47秒で走るとする。
それが、雨のせいで1分49秒かかったとしたら、
その走破タイムで走れる馬はたくさん出てくる。
そうなると、レースの展開次第ということになる。
11番人気でも勝てるようになるのだ。
レースはその日の終盤に差し掛かっていた。
もう、自分の予想に自信がないので
当てずっぽうで賭けていた。
もはや、競馬を賭けているのではなく、
ロト6やロト5の宝くじを賭けているようだった。
函館11レースがスタートした。
レースは逃げ馬不在でスローの展開となった。
直線での追い比べになり、7,8頭の馬が
ほぼ同時にゴールに入線した。
結果、やはり当たらなかった。
ここで、数十万あった軍資金が切れた。
私の足は急いで場外馬券場を後にした。
急いで歩く方向は、駅ではなかった。