いのちのバトンタッチ | 垂水のてるさんの釣りバカ日誌

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投げ釣りファンを増やすため神戸のアラ還釣りバカおじさんがポイントもコツも隠さずつぶやきます。

青木新門の『いのちのバトンタッチ』を読了。





集中力がなくて遅読のてるさんは本を買うと、買って満足してしまい、読みきれないことが多いので、2週間の貸出期間の拘束がある図書館で借りて読むようにしているのだが、この本はマイナーな東本願寺出版で図書館に蔵書がなく、しかも絶版なのでAmazonに古書が400円で出たところで入手した。


届いてびっくり、67ページしかなくて、本というより小冊子である。しかも定価250円で定価よりも高い買い物となった。


しかし、お盆に仏教や宗派の浄土真宗をついて考える時間をもてたし、読んで満足した。


青木新門が京都・東本願寺の2007年春の親鸞聖人の七百五十回御遠忌法要の講演に招かれ、30分の講演を1時間30分の講演と勘違いして、話し足りずに忸怩たる思いでいたのを出版を機に本来話そうと思っていた内容に加筆したものである。


内容は『納棺夫日記』『それからの納棺夫日記』を凝縮したような内容であるが、短くまとまっている分、より平易でわかりやすい。


人は臨終の瞬間に無量寿(永遠のいのち)に目覚め、いのちのバトンタッチが永遠に続くというのが仏教の教えである。


したがって、いのちを個人の所有物としてとらえ、つながりを断ち切ってしまっては、いのちを正しく理解しているとは言えない。


また、臨終間際にいのちに目覚めても、本人は数分しかいのちを生きたことにしかならない。


南無阿弥陀の念仏は今真実にいのちを生きていることを実感するためにあるのである。


親鸞と浄土真宗の教えをさらに深く学びたいと思った。